今年3月、カリフォルニア州インディアンウェルズ──。
BNPパリバ・オープン初戦で3時間近くの死闘を制し、コート上でインタビューを受ける勝者のもとに、似た面差しの男児が弾むように駆けていった。
父の勝利を知ってか知らずか、足にギュッとしがみつく子どもの姿は、いかに父親が好きかを物語る。
「びっくりしましたね。観に来ていると思わなかったので」
試合後に父親は、やや恥ずかしそうに笑った。
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もちろん、家族が大会会場に来ていることは知っていた。ただ、まだ幼い第二子がいることもあり、観客席に来ているとは思わなかったという。
最近は遠征も、家族とともに回る機会が増えてきた。もっとも、子どもたちが客席に来ると「静かにしていられるかな?」と気になってしまうので、生観戦されるのは少し苦手だという。
錦織圭、35歳。プロフェッショナル・テニスプレーヤー。そして、ふたりの男児の父親である。
正直なことを言うと、錦織本人の口から父親としての強い思いを直接うかがったことは、あまりない。なお、錦織に「長男の名前を出してもいいか」と尋ねた時、「それはなしで。『A君』でお願いします」と言われたので、以降、A君と呼称しよう。
1年ほど前に「A君が自分のプレーする姿を覚えてくれるまで、現役でいたいという気持ちはあるか」と問うと、いつもの困ったような笑みをこぼしつつ彼は言った。
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「いやぁ......、『はい』と言えればいいんですが、そういう気持ちは、全然なくて......」
その言葉が、どこまで本音かどうかは、わからない。というのも、そのさらに半年ほど前、日本のジュニアたちの指導にあたる錦織が、こんなことを言っていたからだ。
「今は自分の現役の姿を......背中を見てほしいというか、カッコいい姿を子どもたちに見せたいなという気持ちが一番にあります」
このような発言は、20代だったころの錦織からは、まず聞くことのなかった言葉。「子どもたち」のなかに、自分の子どもが含まれていても不思議ではないだろう。遠征先で、子どもたちにお土産を買うようになったのも、ここ数年で変わったことのひとつだ。
【父が息子に与えた多くの選択肢】
テニスプレーヤー錦織圭の「始まり」も、父親からもらった海外土産だった。
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もう、30年前の話になる。錦織の父・清志さんが仕事でハワイを訪れた際に、通常よりひと回り小さなラケットを目にした。
「ジュニア用のラケットがあるんだ......」
そんな小さな驚きから、思わずラケットを手に取ったという。
もしかしたら、当時から日本でもジュニア用ラケットは売られていたのかもしれない。海外に来た好奇心も手伝い、いつも以上にショップを隅々まで見ていたから、気がついたという可能性もある。いずれにしても清志さんは、ふたりの子どもにお土産としてラケットを購入し、日本に持ち帰った。
「いつか、家族4人でダブルスができたらいいな」という、近い未来像を描いて。
もっとも、父が息子に与えた選択肢は、ラケットだけではない。水泳、サッカー......。「アルファベット一文字で表現できる名前(圭=K)」に込められた、グローバルな視線も錦織が父から受け取ったものだろう。
14歳でテニス留学して以来、今も米国フロリダ州が錦織の変わらぬ生活拠点。「テニスで強くなりたいなら、僕は100パーセント、海外に行くこと推奨派」とも言っていた。
錦織一家を長く知る、鳥取県・遊ポートTC(テニスクラブ)の石光孝次コーチは、最近こんなことを言っていた。
「圭は、1万人にひとりくらいの才能の持ち主だと思います。そして圭のお父さんも、1万人にひとりくらいのユニークで魅力的な視点や発想の持ち主。1万と1万を掛け算したら、とてつもなく希少な存在になりますよね」
既存の枠や概念にとらわれず、周囲のことごとくを自然体で受け止め、なおかつ独自の価値観と信念を貫く──。そのような錦織圭という稀有なキャラクターは、「本人の資質に、家族や地縁などの環境を掛け算していくことで生まれた」というのが、石光氏の見解だ。
錦織が、父親から「ジュニア用ラケット」という世界への扉を開くカギを手渡されたのは、彼が5歳の時だった。A君は、現在3歳。錦織が世界各地から持ち帰るお土産のなかから、運命的な出会いを果たすのは、まだしばらく先だろうか。
周囲から聞こえる話によると、とても利発で好奇心旺盛な子だという。いずれは父親がコート上で戦う「カッコいい姿」を目に焼きつけ、父がさまざまな土地から持ち帰るお土産やプレゼントを受け取り、やがてそのなかから、大好きな何かをしっかり握りしめるだろう。