「ここまでバズるとは!」漫画家・楠桂さん 夫からの不倫告白に愛人との凄絶会談…壮絶熟年離婚を描いた理由

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2025年06月22日 11:10  web女性自身

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国分太一主演でドラマ化もされた『八神くんの家庭の事情』など、数々のヒット作を生み出してきた楠桂さん(59)。5歳年下の夫と結婚し、不育症と闘いながらも、2人の子供に恵まれた彼女を突然襲ったのは、20年以上連れ添った夫の“不倫発覚”だった。



「私の人生は、まるで罰ゲーム。こんなエンタメみたいにいろいろある人生でいいのか」と自嘲する、楠さんが明かした自らの“家庭の事情”とは――。



カリカリカリ……。墨汁を含んだGペンが線を描き、キャラクターに命が吹き込まれていく。



「私が漫画を描く作業の半分は、いまだにアナログ。ペンの音が心地よくて好きなんですね。紙に墨が落ちて、ホワイトで修正したりしていますけど(笑)。ペン入れをした原稿はスキャナーで取り込んで、色つけなどはパソコンで作業することが多いです」



漫画家の楠桂さんは、愛知県にあるアトリエで日々、創作を続けている。



楠さんといえば、テレビドラマ化された『八神くんの家庭の事情』や、舞台化・アニメ化された『鬼切丸』(ともに小学館)などの代表作があるが、現在、大きな反響を呼んでいるのがウェブで配信されている『サレ妻漫画家の旦捨離戦記』(大洋図書)だ。



夫からの突然の不倫告白、その愛人や姑まで同席しての凄絶な四者会談、といった実体験を赤裸々に描いているのだ。



「まさかここまでバズるとは! 予想以上の反響に驚いています。SNSのフォロワー数は3倍くらいに増え、Amazonの週間コミックランキングで1位に。レビューも1300件を超えました。もちろんコメントの全部が好意的な意見とは限りません。“同情されたいの?”“弁解できない相手を一方的に攻撃している”といった厳しいご意見もあります」



だからこそ、感情ばかりが先走らないよう、双子の姉で同じ漫画家の大橋薫さん(59)に、誰よりも先にネーム(漫画の下描き)をチェックしてもらい、客観的な視点を取り入れているという。



「昔から姉には最初にネームを見てもらっているんです。今回も『このセリフ、主語がない』『恨み節になっているけど、これで読者は楽しいかな?』など、意見してくれています。漫画には描けないので、(夫の)愛人とやり取りした録音データを聴き返すこともあります。当時の悔しさがよみがえってきて、執筆中に号泣したりするので、どうしても漫画に感情が入り込んでしまうんです」



身を削るようにして生み出した作品だからこそ、読者は引き込まれるのだろう。



「私の人生は、まるで罰ゲーム。こんなエンタメみたいにいろいろある人生でいいのかと思うこともあります(笑)。浮気“サレ”てよかったとは言いませんが、ふつうなら埋もれてしまうような、片田舎の熟年夫婦の不倫・離婚話で読者が楽しんでくれるなら、まだ救いがあるというものです」



振り返ると、物心ついたときから、ずっと漫画を描き続けてきた半生だった。





■「正直、お金を使う暇もなかったんです。もう漫画しか描いていない生活でした」



楠桂さんが生まれたのは、’66年3月24日。愛知県に住むサラリーマンの父と専業主婦の母、双子の姉との4人暮らしだった。



「私たちが生まれる前に兄がいたのですが、3歳のときに車のひき逃げにあって亡くなって……。両親にはそのときの恐怖があって、私たちは“閉じ込め育児”を受けました」



放課後に友達から遊びに誘われても、親からは外出禁止。



「だから家での遊びはお絵描きばかり。スケッチブックにクレヨンでムーミンの絵を描いたりしていました」



自宅に少女漫画家になるための本もあり、そのレクチャーどおりに夢中になって絵を描き続けた。



「小学校時代はノートに鉛筆で漫画を描いていましたが、中学からはペンと墨汁を使い始めました」



成績が下がると漫画が禁止されるため、テスト期間は猛勉強。



「学校の成績は悪くはありませんでしたが、双子の姉は学年のトップクラス。姉に劣等感を抱くことも多かったのですが、漫画では私のほうが早くに賞をもらったり、デビューできたりしました。それが救いでもあったんです」



漫画が自己肯定感を高めてくれたのだ。ペンネームは、木偏が好き、漢字2文字にしたい、男性か女性かわかりにくい名前にしたいといった理由で“楠桂”に。



その名で、中学を卒業した春休みに『りぼん』に投稿した作品で佳作に選ばれて担当編集者がつき、高校1年の夏休みに投稿したホラーコメディ『何かが彼女にとりついた?』で受賞を果たした。



「最年少の15歳で、将来性を見越まれての受賞のようでした。担当編集者は厳しくて『あなたが20歳だったら受賞していなかった』と言われたり(笑)。ストーリーの評価は高かったのですが、自信があった絵の評価は低くて。でも、描き続ければ、いくらでもうまくなるとのことでした」



高校時代は年2本ほどのペースで読み切り作品を描き、雑誌に掲載された。



「当時はファクスもなかったので、東京の出版社とのやりとりは郵送。ネームを描いて編集者に送ると、赤字で訂正箇所が指摘されて戻ってくるんです」



高校を卒業してまもなく、戦国時代を舞台にした忍者の物語『妖魔』の連載が決まった。愛知県での執筆は手間がかかったが、「絶対に東京に行かせない」という両親の意向もあったという。



絵柄が少年漫画向きだったことから、20歳のときに『少年サンデー増刊号』(小学館)からの仕事が舞い込み、描き始めたのが、マザコンの男子高校生が主人公の『八神くんの家庭の事情』だ。



「最初は読み切りのつもりだったのですが、すぐに続編を描くことになって、気づいたら連載に」



同作品はドラマ化もされた。さらに神剣を操る少年と鬼との戦いを描いた『鬼切丸』の連載も始まって仕事は順調だったが、原稿料の管理は親がしていたので、いくら自分が稼いだのかわからなかった。



「ブランド品にはあまり興味がなかったし、当時は徹夜続きで肌荒れもひどくて人前に出るのが怖く、正直、お金を使う暇もなかったんです。もう漫画しか描いていない生活でした」



母親は楠さん名義で家を建てた。7年ローンで月々の返済は50万円もあったが、繰り上げ返済して5年で完済。高収入すぎたせいなのか、税務署による調査が……。



「父は『経費をきちんと使わないと税金が高くなる』ことを学んだようです。自宅から車で2〜3分の場所に仕事部屋として借りていたマンションに最新型のコピー機を導入することにしました。そのとき営業マンとしてわが家に現れたのが、元夫だったのです」



5歳年下の彼は営業マンらしく人当たりのいい、爽やかな眼鏡男子だった。



「アシスタントといっしょに食事会をしたりするうちに、なんとなく引かれ合って、交際しましょうかということに。



あるとき“このままいっしょにいられたら、結婚しようか”と、2年後のヒルトンホテルの式場を予約しました。もし別れたらキャンセルすればいいと……」



少女漫画のような恋愛ストーリーを成就させて’98年に結婚。’00年には長女に恵まれた。



(取材・文:小野建史)



【後編】「漫画として描いたら気持ちがスッキリしてきた」熟年離婚の顛末を配信中の楠桂さん “サレ妻”をテーマにした執筆依頼も急増中へ続く

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