《宮内庁が異例の強調》雅子さま 広島ご訪問で奉迎児童にお声がけできず…背景にあった「市民団体の抗議」

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2025年06月24日 06:00  web女性自身

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灼熱の日差しが降り注ぐ、広島市の平和記念公園。米軍が投下した原爆がさく裂した爆心地に近い同公園には、犠牲になった34万4306人の死没者の名簿をおさめた「原爆死没者慰霊碑」が立つ。



6月19日、この地を訪問された天皇陛下と雅子さまは、慰霊碑に供花し、深々と拝礼されていた。翌20日と合わせた広島県ご訪問は、天皇陛下と雅子さまも入念に準備されて臨まれたものだった。皇室担当記者はこう話す。



「被爆者たちの苦難に思いを寄せ、ご懇談相手についてのかなり詳細な情報を収集されたうえで臨まれたと伺っています。



広島ご訪問は、4月の硫黄島、先日の沖縄と同じく、単に“戦後80年の節目だから訪問するのではない”ということを、日程の内容や真摯なご姿勢で意識的に示されてきたように感じています。



昭和、平成の御代で行われてきた“慰霊の旅”の継承という側面に加え、次世代へ戦争の記録と記憶や平和の尊さを伝えていくものとして、両陛下は今年の“旅”を定義づけるお考えもあるようにお見受けしています」



原爆慰霊碑へのご拝礼後、3年前に開館した被爆遺構展示館、広島平和記念資料館を視察し、予定時間を超えて展示をご覧になった両陛下。そして資料館内では、90代の被爆者や、凄絶な体験を高齢となった当事者に代わって語り継ぐ若い「伝承者」と懇談された。



ご懇談に参加した才木幹夫さん(93)は、旧制広島第一中学校2年生だった8月6日、爆心地から2.2キロにあった自宅で被爆している。才木さんは、両陛下との懇談をこう振り返った。



「両陛下は資料館を、予定の時間をオーバーしてまで、丁寧にご覧になっていたと……私たちとのご懇談の際も、一人ひとり丁寧に接してくださりました。



とても印象に残っているのは、両陛下のお優しさでした。私たちの話を“どんなに時間がかかっても、話をとことん聞きたい”というお気持ちと、そして人を思いやるお心が感じられたのです。



今回の両陛下のご訪問で“核はだめ、戦争はだめ”ということを、あらためて広く伝えるきっかけを作っていただきました。ご懇談翌日も資料館で、午前と午後の2回、他県から訪れた小学生に話をしました。両陛下がいらしたこともあって、いつも以上に質問が多かったと思います」



初日の日程を終えた両陛下は側近を通じて、



「これまでのつらい体験や平和の尊さを自ら語り継いでおられることに、深い敬意を抱きました」



とのご感想を公表された。雅子さまにとっては2000年11月以来、25年ぶりの広島県ご訪問。平和記念公園の原爆慰霊碑の前では、地元の小学校2校に通う児童たちも出迎えていた。未来の平和を守っていく子供たちとの交流を雅子さまも心待ちにされていたという。





■事前に断言された“お声がけなし”



しかし、奉迎した児童たちに対し、通常行われることの多い両陛下の“お声がけ”はなかったのだ。



「両陛下のご訪問前に、広島市が小学校2校に、校外学習の一環として児童の『お出迎え』を求め、さらに児童の名簿提出も要求していたことを、一部の市民団体が批判していました。“児童や保護者の思想・良心の自由を考慮していない”などと、対応の変更を強く求めた騒動が起きていたのです。



政治的な対立を含んでいたこともあり、宮内庁内では“せっかくのご訪問に波風を立てられない”という結論になりました。その後宮内記者会に対し、“児童らへのお声がけはない”とアナウンスしたのですが、いつも自然に行われている両陛下のお声がけを、宮内庁が事前に“ない”と断言したことに、首をかしげる記者もいたそうです」(宮内庁関係者)



両陛下の慰霊に対しても複雑な思いを抱く人々がいたという事実に直面され、雅子さまは子供たちとのひと時を苦渋の思いで断念されていたのだ。



しかし広島市民の多くは、両陛下の今回のご訪問を喜び、勇気づけられていた。かつて平和学習講師を務めていた瀬木寛親さん(60)もその一人だ。2016年に愛子さまが学習院女子中等科の修学旅行で平和記念公園を訪問されたとき、瀬木さんはほかのクラスの同級生に平和に関する話をしている。



「慰霊碑に供花されている両陛下のお姿を拝見していて、涙が出てきました。宿泊されたホテルの隣にある公園には、約5千人が集まって、提灯を持って奉迎しました。終戦から80年という節目にお越しになっていただいて、本当によかったと思います。



昭和天皇は終戦から2年後の1947年に広島を訪問し、市民を励ましてくださいました。平和を願うお心は、上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下、そして愛子さまに受け継がれていると感じています」



沖縄ご訪問と異なり、今回は広島へ同行されなかった愛子さま。しかし、皇室番組を長年手がける放送作家のつげのり子さんは、愛子さまの存在を感じた場面があったと語る。



「資料館では、“被爆からわずか3日後に広島市で女子学生によって路面電車が運行された”という説明をお聞きになった天皇陛下が、『愛子と3人で映像を見ました』とおっしゃったのです。



愛子さまが中学2年生の夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集められた中に、この路面電車についての記事があったことを、美智子さまが2015年のお誕生日に際しての文書回答で明かされています。両陛下と愛子さまは、路面電車の記事を読まれた後、ご一緒に映像をご覧になったのでしょう。



このように、愛子さまが幼いころから、お三方で戦争とその歴史、平和の大切さについて、お話を繰り返し続けてこられたのだと思います。それが、このたびの陛下のおことばから伝わってきました」



前出の瀬木さんは、愛子さまの広島ご訪問の実現を切望しているという。



「9年前、学習院女子中等科の皆さんを案内したとき、一人ひとりが真摯に話を聞いてくれたことが強く印象に残っています。報道で拝見する限りですが、いまも愛子さまが平和について真剣にお考えになっていることは、とてもありがたく思っています」



■再び人類に対して…高まる核使用の危機



世界に目を向けると、ウクライナに侵攻するロシアのプーチン大統領は、核兵器の使用をたびたび示唆してきた。さらに中東では、核開発の進展を理由にイスラエルがイランを攻撃し、さらに日本時間22日にはアメリカがイラン国内の核施設を爆撃するなど、周辺諸国の情勢は緊迫の度合いを日々増している。



「いま世界で、核が再び人類に対して使用される危機が高まっているからこそ、両陛下の広島ご訪問には大きな意義があるのです。



平和記念公園で子供たちとのご交流がなかったのは残念でした。両陛下と接することが実現していれば、若い人たちが平和について意識を持ち、より知識を深める契機となったと思います。



今後は、愛子さまも広島を訪れ、平和への願いを受け継ぐ若い伝承者たちと交流されるのではないでしょうか」(前出・つげさん)



愛子さまが、中学校の卒業文集に寄せられた作文「世界の平和を願って」には、こう綴られている。



《「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい》



雅子さまが断念せざるをえなかった児童たちとの“抱擁”は、愛子さまに託された。そして母娘は、平和を希求する不断の祈りを、これからも捧げられる。

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