<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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西日本初の体育大学として誕生した大体大が、6月23日に開学60周年の「還暦」を迎えた。日本が東京五輪で熱狂した翌1965年(昭40)に大阪府茨木市に大学が開設され、教育活動がスタートを切った。
陸上の3段跳びで32年ロサンゼルス五輪の銅メダリスト、元世界記録保持者で、東京五輪強化対策本部長だった大島鎌吉が初代副学長、体育学部長には日本体育学会創立メンバーの加藤橘夫が就いた。
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前日23日は、1894年に国際五輪委員会(IOC)が創設された日で「オリンピックデー」と定められている。スポーツを通じて世界平和、健康、友情、フェアプレーの精神を再確認する日でもあった。
89年に関空を眼下に望む大阪府泉南郡熊取町にキャンパスが移転した大体大は、その6月23日を開学記念日と位置づけている。学内では学生、教職員が参加した「還暦誕生日パーティー」が開催された。
メモリアルの巨大ケーキが披露され、バースデーソングの大合唱とともに、学生たちがマスコット「ボーシャー」と一緒にダンスをし、「60」の一文字を作って記念撮影に収まるなど盛り上がった。
日本を代表するスポーツの総合大学は、15年に教育学部を開設し、24年に体育学部をスポーツ科学部に改称。スポーツ界をはじめ、教育、公務員、企業など幅広い社会の領域に有為な人材を輩出している。
最近は能登半島地震で被災にあった輪島、七尾市など地元にバスで移動し、最初はがれきなどの撤去はもちろん、生活するだけで精いっぱいだった子供と一緒に運動、高齢者を対象にした健康支援活動を積極的に行っている。
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各競技のトップアスリートの育成、チーム成績向上だけに重点を置いていない。ちゃんとしたまともな指導者を養成することで、社会人として世の中に貢献できる人材の教育を目的としている。
64年東京五輪の役員ジャケット姿で現れた学長の神崎浩は「大阪体育大学は1964年の東京五輪を機に日本でスポーツへの関心が非常に高まる中、浪商学園がつくった大学です。60歳の還暦は再スタートの意味もあり、今日を機に、学生の皆さんと教職員が再度、一丸となって、より素晴らしい大学を創り上げるように頑張っていきたいと思います」とあいさつした。
6月23日は「沖縄慰霊の日」でもあった。戦後80年の日本。世界では戦争、武力抗争の絶えない日々だが、勇気、感動を与えるスポーツが持つ力を信じながら、スポーツをプレーしたり、観戦ができるありがたみを改めて認識するメモリアルデーになった。(敬称略)
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