現代医学において「脳ペースメーカー」とも呼ばれる脳深部刺激療法(DBS)という医療技術がある。これは、脳の特定部位に電極を埋め込み、電気刺激を与えることで神経症状を改善する治療法だ。現代ではこの技術がパーキンソン病やジストニア、強迫性障害、治療抵抗性うつ病などの治療に広く用いられ、多くの患者に希望をもたらしている。
しかし、この治療法の起源をたどると、1950年代にさかのぼり、暗い歴史が浮かび上がる。その中心にいたのが、米テュレーン大学の精神科医ロバート・G・ヒース(1915-1999)だ。彼は脳に電極を埋め込む技術を先駆的に開発した人物だが、同時に倫理の境界線を踏み越えた人体実験を繰り返し、医学史上最も物議を醸した研究者の一人として記憶されている。
ヒースは1949年にテュレーン大学の神経学・精神医学部門の初代学部長に就任し、統合失調症の生物学的基盤を探求する研究を開始した。1954年に出版した著書「Studies in Schizophrenia」では、25人の患者に対する電気的脳刺激実験の詳細を記録している。
初期の手術は極めて原始的で、頭蓋骨を開き、脳室を露出させて電極を挿入するという方法で、その結果は悲惨なものだった。最初の20人の患者のうち、2人が脳膿瘍で死亡し、5人が発作を起こし、ある患者は刺激後に大きな恐怖を表し、4〜5人がかりで押さえつける必要があったという。
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だが、ヒースの最も問題となった実験は1972年に行われた、患者B-19と呼ばれた24歳の同性愛者男性に対する治療だ。当時、同性愛は精神疾患として分類されており、ヒースはこれを電気刺激で矯正できると考えた。
患者の脳の中隔領域と海馬、扁桃体、視床下部など複数の部位に電極を埋め込み、快感を引き起こす快楽中枢への刺激を行った。実験では、患者に異性愛的なポルノ映像を見せながら電気刺激を与え、さらに21歳の女性セックスワーカーを雇って性行為をさせた。その間も患者の脳波は別室でモニターされていた。
この実験は即座に激しい批判を呼んだ。1973年、テッド・ケネディ上院議員が率いる委員会でヒースの倫理的行為が問われた際、彼は患者と家族から十分なインフォームドコンセントを得ていたと主張。しかし、発作や昏睡のリスクについて適切な説明がなされていなかったという指摘が相次いだ。
1980年に学部長を退任した後もヒースは研究を続けた。その後、1996年に81歳で最後の出版を完了し、1999年にヒースは84歳でこの世を去った。
皮肉なことに、ヒースの同性愛者の実験から1年後の1973年は、アメリカ精神医学会が同性愛を精神疾患リストから除外した年でもあった。時代はまさに転換点を迎えていたのだ。ヒースの非倫理的な実験は医学史の暗部として記憶されているが、彼が開拓した脳深部刺激という技術そのものは、厳格な倫理基準と科学的検証を経て、現代医学の治療法として確立されている。
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今日のDBSは、ヒースの時代とは全く異なる。精密な画像診断技術により正確な電極配置が可能となり、刺激パラメータは個々の患者に合わせて慎重に調整される。何より重要なのは、治療は厳格な倫理審査を経て、患者の“完全な同意”のもとで行われていることだ。
※Source and Image Credits: O’Neal, C. M., Baker, C. M., Glenn, C. A., Conner, A. K., & Sughrue, M. E.(2017). Dr. Robert G. Heath: a controversial figure in the history of deep brain stimulation. Neurosurgical Focus FOC, 43(3), E12. https://doi.org/10.3171/2017.6.FOCUS17252
※この記事は2025年2月19日に掲載し、一時取り下げた記事について改めたものになります
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