『ルックバック』国際アワード受賞 アニメの更なる成長を確信できる理由

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2025年06月25日 12:21  ITmedia ビジネスオンライン

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 日本独自の情緒や価値観に根差した作品が、世界中のアニメファンに支持された――。2025年5月、藤本タツキ原作のアニメ映画『ルックバック』が、世界最大級のアニメ賞「クランチロール・アニメアワード」で年間最優秀映画に輝いた。


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 クランチロール・アニメアワードは、世界中のアニメファンによる投票で選ばれる国際的なアニメ賞であり、2025年の第9回は過去最多となる5100万票を集めた。


 本稿では、なぜ『ルックバック』の受賞が注目されるのか、その背景と意義を読み解いていく。


●アニメの海外での普及に寄与


 クランチロール(Crunchyroll)は、アニメ専門の動画配信サービスで、2006年に米国のサンフランシスコで設立された。日本のアニメや東アジア圏の映像コンテンツを提供しており、欧州や北米、中南米、東南アジアで展開しているストリーミングサービスである。


 2021年にソニーグループの一員となり、ストリーミングサービスを提供するだけでなく、関連グッズの販売や劇場上映、イベントの主催など、多岐にわたる事業を展開している。ユーザー数は年々増加し、2024年時点で会員数は約1500万人を超えている。


 クランチロールは、アニメの世界的な人気に貢献する重要な役割を果たしており、特に海外での普及に寄与してきた。日本での放送とほぼ同タイミングで配信する「シムルキャスト」や、地域ごとに最適化されたコンテンツ配信など、各国・地域のユーザーニーズに対応する試みを行っている。アニメを愛する国外のファンにとって、クランチロールは重要なチャネルの一つである。


●クランチロール・アニメアワードとは?


 クランチロール・アニメアワードは、アニメ作品やその制作に携わった人々を表彰する世界的な賞とされ、2017年の初開催以降、毎年開催されている。最大の特徴はファン投票であり、世界中のアニメファンがインターネットを通じて投票を行い、その結果をもとに各部門の受賞者が決まる。


 クランチロールのサービス自体は日本でほぼ利用できないため日本における認知度はそれほど高くなかったが、2023年から本アワードを日本で開催していること、ノミネート作品のSNSアカウントなどを通じて投票の告知を行ったことで、日本のアニメファンの認知度も高まりつつある。


 日本発のアニメが国外で注目を集め始めた1990年代以降、特にバトル要素の強いアニメが海外で高く評価されてきた。『ドラゴンボール』や『NARUTO -ナルト-』などは、その代表例であり、特にアクションシーンの迫力や成長物語が世界中で人気を博した。


 これらの作品は、戦闘を通じて主人公が成長し最後には大きな勝利を手にするという、シンプルでありながら普遍的なテーマを描いている。そのため、コンテキストの深い理解がなくとも、そのエンターテインメント性の高さから、言葉や文化を越えて広く受け入れられる傾向がある。


●複雑な心情を描いた作品の受容


 一方で、日本文化に根ざした作品が海外で受け入れられるかどうかについては、長い間疑問視されていた。自信が持てなかったとも言えるだろう。日本独特の社会情緒や価値観が色濃く反映された作品は、文化的に近しいアジア圏はともかく、大きく異なる文化圏の一般大衆には理解されにくいというのが半ば定説であった。


 しかし、近年ではそのような価値観を描く作品が海外で受け入れられる傾向が強まっている。特に、アニメが世界中で浸透する中で、日本の文化や社会情緒に対する理解が進み、異文化の視聴者も日本的な物語に共感し、感情移入できるようになった。こうした傾向は、アニメを通じて日本文化を学んだ海外のファン層が増加していることとも関係がある。


●『ルックバック』の受賞にみる一つの潮流


 本年度の受賞作品もバトル要素を持つ作品が多く並んでいるが、その中で著しく毛色が異なる作品がある。それが『ルックバック』だ。(同作品については、その特徴的なメディア展開手法について昨年も取り上げた。


 『ルックバック』は、藤本タツキ氏の同名漫画を原作としたアニメ映画であり、漫画を描く2人の女性クリエイターの内面や心情に焦点を当てた作品だ。


 物語は日本における学校生活を背景に、若手クリエイターの友情、成長、葛藤、喪失と再生など細かな心情が丁寧に描かれている。当然、日本が舞台であることもあり、作中に登場する風景や習慣はもちろん、メインテーマとして描かれているクリエイターの心情なども、日本の文化や価値観に基づいたものといえる。このようなコンテキストの理解を前提とした作品は、前述したバトルものと比較して異なる文化や価値観を持つ市場では、広く受け入れられにくい傾向があった。


 それにもかかわらず『ルックバック』は海外アニメファンにも高く評価され、他のバトル要素を含む作品に勝り「フィルム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのである。これは、本作が文化的な違いを超えて共感を呼び起こしたことを示している。日本を舞台とし、日本特有の漫画のクリエイターが持つ複雑な心情が前面に出ているにもかかわらず、それが異文化の視聴者にも伝わったという事実は、日本のアニメビジネスにとって大きなトピックだといえる。


●アニメを通じた新世代による価値観の理解


 1990年代以降日本のアニメは世界中に広がり、成長の過程で触れるエンターテインメントの選択肢の一つとして位置付けられるようになった。特に現在30歳未満の世代は、日本のアニメ文化に自然と親しみを持ち、作品で描かれている文化や価値観の受容度も高いと想定できる。日本在住経験のない海外のアニメファンであっても、日本のアニメの中で描かれるテーマや価値観に対して違和感を抱くことなく、むしろそれを魅力の一つとして受け入れているのである。


 「文化の受容」と言葉で述べるのは簡単だが、その重みは計り知れない。なぜならB2Cにおけるマーケティングは突き詰めれば個々人の価値観に帰着するからである。


 そして、価値観は論理だけに基づくものではないため、言語化が難しく、再現性も得にくい。ましてや集団の価値観を変えることには膨大な時間と労力、金銭を要するのが通例である。日本だけ異様に高いiPhone所有率、欧州由来のハイブランドが集める羨望(せんぼう)、そして米国発のテーマパークの巨人東京ディズニーリゾート、全ては価値観に基づく現象である。


 そうした文化や価値観という“壁”を、日本のアニメは乗り越えつつある。今後20年、30年と浸透し続ければ、文化的コンテキストの理解が求められるような作品もより自然と受容されるようになる。より広く、世界中のファンに受け入れられる可能性がますます高まる。『ルックバック』の受賞は、その兆しとして注目に値するのではないか。


●「狙わない」からこそ伝わる強さ


 日本のアニメや漫画は、現在世界中で高い評価を受けており、今後もその影響力は強まるだろう。アニメは単なるエンターテインメントの枠を超え、文化的な理解を深める手段として、世界中の視聴者に受け入れられ続けている。


 特筆すべきは、人気を博した作品は、いずれも海外向けに制作されたもの“ではない”という点だ。日本が誇るクリエイターたちが、純粋にエンターテインメントを追求した作品が、結果として受け入れられたという事実が、なにより重要なのである。


 さまざまな業界において、「海外ウケを狙った」ことで従来持っていた強みを失い、失速した例は少なくない。アニメを通じて日本の文化や価値観が理解・受容されることは、日本のコンテンツ産業にとってビジネス面の大きな後押しとなるだろう。


 こうした試みは、ビジネスの文脈で意図的に狙うべきものではないだろう。繰り返しとなるが、クリエイターたちが純粋にエンターテインメントを追求した作品が、結果として受け入れられる状態が重要なのであって、そのように少しずつ価値観が受け入れられた結果が、今日の成功につながっているのだ。


●著者プロフィール:滑 健作(なめら けんさく) 


 株式会社野村総合研究所にて情報通信産業・サービス産業・コンテンツ産業を対象とした事業戦略・マーケティング戦略立案および実行支援に従事。


 またプロスポーツ・漫画・アニメ・ゲーム・映画など各種エンタテイメント産業に関する講演実績を持つ。



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