“引きこもり”から“副社長”に就任した20代女性を直撃。「30歳で人生が終わる」から、“前向きに働けるようになった”転機

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2025年06月25日 16:30  日刊SPA!

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なぴさん
 2025年6月1日、大阪府に本社を構える「ヴァンパイア株式会社」の副社長に20代女性・なぴさんが就任した。同社のコンセプトカフェに創設から業務委託として携わり、1年後に店長(氏族長)就任。その後、正社員採用を経て、1年ほどで副社長に抜擢された。ゲーム開発やイラスト制作などのコンテンツ事業に強みを持つ同社を担う若き才媛に話を聞いた。
◆“異例のスピード出世”の背景は

――副社長就任、おめでとうございます。異例のスピード出世だと思いますが、事前にどんな打診があったのでしょうか。

なぴ:ありがとうございます。弊社は昨年末に副社長だった方が退任され、社長の加藤洋平より「現在いるヴァンパイアの従業員から副社長を選ぶと思う」という趣旨の話はされていました。「なぴちゃんも候補である」ということでしたが、私としては、まだ数年先の話だろうと思っていました。

 実際に打診をされたのは5月中旬頃でした。決め手は「どうせやるなら、早いほうがいいんじゃない」という言葉。確かに私はヴァンパイアでの仕事にやり甲斐を感じていましたし、マネージメント業務にも関心を持っていて。やるならば、若いうちにやろうと考えがシフトしていって、数回の面談ののち、お引き受けすることになりました。

――なぴさんはコンカフェのほうでもご活躍だったので、キャストとしてのお務めが終わるのは淋しいという方もいるのではないでしょうか。

なぴ:ありがたいことに、私のことを推してくれている方も多くて、副社長就任を喜んでくれています。6月14日に私の最後の大きな生誕祭があったのですが、キャストとしてやりたいことをやり切った、悔いのないイベントになったかなと思います。

◆‟推す”側から、‟推される”側へ

――現在でこそ人気キャストとして‟推されている”なぴさんですが、その昔は‟推す”側だったとか。

なぴ:そうなんです。実はヴァンパイアを知ったのも、推し活があったからなんです。私は幼い頃から、オタク気質だった兄の影響で、いろんなものを推して生きてきました。その対象は漫画やアニメのキャラだったり、アイドルだったりするのですが。大学時代、ヴィジュアル系バンドが好きで、彼らが行ったVRイベントに携わっていたのがヴァンパイア社だったんです。いろんなものを推してきたこともあって、‟推し仲間”が全国にいます。なにかに熱中できる時間は、それなりに幸せでした。

――それなりに?

なぴ:これまでの人生は、推し活そのものは楽しくありましたが、逆に言えば、‟推し”だけが生き甲斐でした。自分の人生が主軸ではなくて、推しのためにある人生だったんです。そんなに長く生きる気もなくて、「30歳くらいで人生が終わるだろうから好きな推し活をところんやろう」と思っていたフシさえあります。

◆‟原因不明の体調不良”が原因で不登校に

――原因はなにかあるのでしょうか。

なぴ:中学校2年生から3年生にかけて、不登校を経験しました。朝起きると頭痛がひどくて、登校ができないんです。正直、勉強も好きでよくできるほうでしたし、何か課外活動などの際には積極的に手を上げてリーダーを引き受けるタイプで、学校生活にトラブルはなかったんです。でも、どうしても朝行くことができなくなってしまって。もちろん、さまざまな病院で検査を受けたのですが、いまだに病因が特定できていません。

 そうしていくうちに、中学時代は引きこもりになってしまいました。小学生時代から動画編集をしていて、投稿するなどしていたので、不登校時代はもっぱらパソコンをいじっていました。当時の私は、パソコンと推しだけで生きていたようなところがあります。

――ご家族も心配したでしょうね。

なぴ:高校は普通科に進学したのですが、やはり次第に登校できなくなり、2年生以降は通信制に切り替えました。私の家族は心配してくれたものの、幸い、無理に学校へ行かせようとすることはありませんでした。不登校でも、好きな勉強はしっかりやっていたからかもしれません。ただ、当時の私は、「普通のレールから外れてしまった」という意識が拭えなくて、何とか頑張って大学に進学して4年間をやりきった感じです。

◆「30歳くらいで死ぬ」なんて言っていられない

――現在のように生き生きと働けるまでに、転機となったのは何でしょうか。

なぴ:お客さんの存在だと思います。2022年12月からコンセプトcafe&BARヴァンパイアサイドで働くようになって、半年ほどで私の初めての生誕祭がありました。そこで多くのお客さんたちが「なぴちゃんが推しです」と言ってくれたんです。私はこれまでの人生で、誰かを‟推す”ことで自分を繋ぎ止めていたけれど、もう私自身が‟推される”存在になれたんだなと思ったとき、「30歳で人生が終わる」なんて言っていられないなと思いました。もしかすると、私みたいな人間でも、誰かの生き甲斐になっているかもしれないからです。誰かの期待を背負って活動をしている以上は、ポジティブな感情を届けたいと考えたんです。

――不登校で悩む人に対して、なぴさんならどんな言葉をかけますか。

なぴ:ちゃんとしたレールから外れてしまったと焦る気持ちは理解できます。けれども、まずは焦らないことだと思います。そして、今できることをやることが大切なのではないかと私は考えています。できることは、休息かもしれません。心躍る趣味があるなら、それをやるのもいいでしょう。こんな私でさえ、焦ることをやめて好きなことに熱中した先に、思ってもいなかった未来があったのですから。

◆3歳のときの夢を叶えられた

――最後に、なぴさんがヴァンパイアで得たもの、そして今後の展望について聞かせてください。

なぴ:3歳のときの夢は、アイドルになることでした。小学生くらいで「私のビジュアルでは無理だな」と諦めるのですが(笑)。

 その後、漫画家、OL――と夢は変化していくのですが、考えてみると、コンカフェでライブを行っているときの私は「3歳のときの夢をこんな形で叶えたんだ」と少し面白く思ったりします。

 私が副社長になってから描いているのは、他業種にも参入する未来図です。たとえば、長い爪にも対応できるネイルサロンなどは、やってみたい事業のひとつです。くわえて、弊社には衣装が作れたり、イラストが描けたり、動画編集が上手な人材が多くいます。ひとりひとりのスキルや個性を開花させて、夢を叶えられる会社になっていけたらいいなと考えています。

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 なぴさんは不登校、引きこもりを経験したのち、一介のコンカフェ店員から副社長へ登りつめた。シンデレラストーリーと人は言うかもしれないが、おそらくそれは違う。諦めかけていた人生も、心底から絶望せずに楽しむ方法を探し続けたからこそ、輝かしい栄光がある。一人でも多くの人を幸せにするコンテンツを提供するため、なぴさんは過去に向き合いつつ前を向く。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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