3000万円を失っても諦めなかった「全てにおいて因果応報なのかなと反省」クラブ「蓮」プロデューサー・藤咲めいの逆転劇【モデルプレスインタビュー】

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2025年06月26日 18:04  モデルプレス

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モデルプレスのインタビューに応じた藤咲めい(C)モデルプレス
【モデルプレス=2025/06/26】詐欺・ジム閉店・コロナ禍…。怒涛の1年で3000万円を失っても諦めなかった藤咲めい。クラブ「蓮」のプロデューサーが語る「自分の未来を自分で取り戻す」物語。キャストからプロデューサーへ、仕事と向き合う覚悟に迫る。【インタビュー全2回の1回目】

【写真】ミニ丈キャミドレス姿披露 クラブ「蓮」プロデューサー・藤咲めいインタビュー

◆10代から夜の世界へ

― まずはキャバ嬢として働き始めるまでの経緯を教えていただけますか?

藤咲:元々、愛知の服飾系の大学に通っていて、自分のアパレルブランドを作るのが夢だったんです。そのための資金を貯めるためキャバクラを始めたのが最初です。

大学2年生の頃からキャバクラでバイトしていたんですが、周りが就活している時も私は就職する気はさらさらなくて。名古屋の大学を卒業すると同時に歌舞伎町のキャバクラで働き始めました。

― キャバクラで働くことに対し、迷いはありませんでしたか?

藤咲:大学に入ってすぐテレアポのバイトをしていたんです。契約に繋がった時に1件4000円のバックがあったんですけど、土日フルで出勤したら月収40万くらいあったんですよ。それで金銭感覚バグっちゃいましたね。それ以上に稼げるのは夜の仕事しかないなって。

― 不安はありませんでしたか?

藤咲:20歳になるまではお酒が飲めるかどうかも分からなかったので、その不安はありました。お酒が強いのか弱いのかもわからなかったので。

あとは業界に対して少なからず偏見はあって、でも働いてみると仕事に対して本気な人も多いし、働き続ける価値はあるなと思いました。キャバクラで働いたおかげで、固定概念だったり変なプライドは取れていったような気がします。

◆歌舞伎で感じたキャバ嬢の本気

― 東京に出てきたのは何か理由が?

藤咲:親の影響が大きいですね。キャバクラで働いているのを母親が知って大変ショックを受けてしまって。「お母さんが思っているほどやばい仕事じゃない」って説得はしたんですけどダメで。だから卒業して名古屋じゃキャバクラは続けられないと思い東京に出てきました。

― お母様にはキャバクラで働くことを隠して?

藤咲:東京に就職するって嘘ついて出てきました。ちょうどテレアポの会社の支店が東京にもあったので、そこに就職すると言いました。ただ、今思えばバレていたんじゃないかなって思います。

そこから「蓮」に入る時にちゃんと説明しました。お店をプロデュースするまで本気ならってことで、やっと今の仕事を認めてもらえました。

― これまでに一番成長したタイミングは?

藤咲:やっぱり東京に来たタイミングですね。東京に来てから水商売の「み」の字も分かっていなかったと感じます。本当にただいただけだったなって感じ。

このままでは結果もお金も残らないなって思い、やり方は変えないとなと思いました。そこから売れているキャストさんを観察し始めたんです。まずは真似してみようと。

― 名古屋のキャバクラとは違ったんですね。

藤咲:「セリュックス」というお店で働いていたことがあるんですが、一条響さんが辞められた直後くらいで、すごい人気があったんです。人気店というのもあり待機するのはありえないみたいな状況で。みんな廊下で必死に電話して営業しているのを見て衝撃を受けました。「待っているだけじゃダメなんだ。自分から動かないと売れない」って感化されました。

そういった周りの環境も良かったのかもしれないです。いい意味で緊張感があり、殺伐とした雰囲気でした。

◆コロナ&詐欺で3000万円を失う

― これまでの人生でターニングポイントになった経験はありますか?

藤咲:コロナが流行り出した2020年はやっぱり影響が大きかったですね。コロナの影響もあったんですけど、それとは別に詐欺にあって1500万円を失ったんです。

― 1500万円!

藤咲:不動産の投資をするために1500万円の建物を購入したつもりでいたんですけど、2年後に謄本を取りに行ったら私の名前じゃなかったんです。本当にNetflixの「地面師」みたいな詐欺で、契約書も偽物だったんです。家賃収入はあったので、気付くのが遅くなっちゃって。さらにポンジ・スキーム(※1)の詐欺にもあって200万円失いました。

(※1)利益の還元などを目的に資金を集めるが、実際には運用などはせず資金を騙し取る詐欺。

― そんなことが本当にあるんですね。

藤咲:気づいた時は震え上がりましたね。さらにもう一つあるんですが、表参道にパーソナルジムを居抜きで購入したんです。それが500万円くらいだったかな。トレーナーさんも雇ってこれからやっていこうと思っていた矢先にコロナになってしまい…。営業できない状況が続きランニングコストばかりかかるので、結局閉めることにしました。居抜き物件だったので、元の状態に戻す必要などもあり、総額で約3000万円の損失となりました。

― 壮絶な1年でしたね…。

藤咲:そうですね。もちろん詐欺は騙そうとする人が悪いですが、全てにおいて因果応報なのかなと反省しました。お金に対する意識の低さだったり、騙されてしまうような隙を見せてしまっていたり。美味しいだけの話はないんだと身をもって学びました。

― そこから考え方なども変わりましたか?

藤咲:そうですね。疑り深くなったというか、ちゃんと考えて行動するようになりました。お金が絡む話は特に。

― そこで心が折れなかったのはすごいです。

藤咲:来月の家賃も払えないくらいギリギリだったので、涙も出なかったし、悲しんでいる暇もなかったです。そのタイミングでラファエルさんからDMいただいて、17 LIVEに誘っていただきました。とにかくライブ配信を頑張りました。

コロナになり「今後どうしていこうか」と考える時間も増えたおかげで、今の仕事であるプロデューサーという道が見えてきたんです。

◆キャストからプロデューサーへ転身

― そもそもどういった経緯でプロデューサーに?

藤咲:当時お客様から蓮にはまだインフルエンサーのようなキャストがいないらしいと聞き、だったら営業してみようと思ったんです。直接「プロデューサーとして年間契約で雇ってもらえませんか」と営業したんですが、案の定「そのような取り組みはうちではしたことがないので会社で話してみないと分からない」と言われてしまいました。

これは断られるだろうと思っていたんですが、1週間後に電話がかかってきて「会長たちと話し合い、まずは半年からお願いします」と契約してくださったんです。

― すごいですね!「蓮」としては過去になかった取り組みですよね。

藤咲:そうですね。「蓮」の社長は革新的な方で新しいことにどんどん挑戦しているイメージですね。その社長を会長は信頼しているんだと思います。

― 人生で一番辛かったのはその時期ですか?

藤咲:そうです、24歳くらいの頃に3000万失って、私どうなっちゃうんだろって。でも、今ではその経験をして良かったと思えます。その経験がなければ、今ほどお金に対してシビアに考えられていなかったと思うし、今ほど稼げていなかったんじゃないかなって思います。

3000万円を失ってなかったら、普通にダラダラとキャバ嬢を続けていたんじゃないかなって。ずっと貯金もしてなかったけど、今ではちゃんと先のことを考えられるようになりました。

― 今ではプロデュース業が中心に?

藤咲:最初の1年半くらいはキャストもやっていたんですけど、プロデュースしている女の子と同じ席についてしまうのは、お互いの関係上あまり良くないと感じています。ライバル関係になってしまうと、私のアドバイスも半信半疑になってしまうと思うんです。

― プロデュースする上で大切にしていることはありますか?

藤咲:毎日スタッフさんから日報が送られてくるんですけど、仕事に対するモチベーションは何となく把握するようにしています。例えば急に成績が下がった時は、何かしら原因があるので、マネージャーさんに「(キャスト名)ちゃんと話したいから調整して」と伝えて面談を調整するようにしています。夜のお仕事は出入りが激しいので、長く続けてもらえるように直接悩みを聞くようにしています。

― 具体的に今後の展開はどのように考えていますか?

藤咲:「蓮」としては全国展開を目標にしています。私個人としては今年の夏に上野に「クラッシュ」がオープンするので、そちらの立ち上げに入らせていただいて、その全国展開っていうのは数年後の話だと思うので、まずは目の前のことを集中していって、「クラッシュ」を安定させることが課題だと思っています。

◆藤咲めいの夢を叶える秘訣

― それでは最後に夢を追いかけているモデルプレス読者へ、藤咲さんの「夢を叶える秘訣」を教えてください。

藤咲:目標や夢があるなら口に出すことだと思います。ちょっと古い考えかもしれないんですけど、紙に書くのもいいと思います。例えばキャバクラであれば、目標の数字を明確に立てて、周りに伝えたり紙に書くことで、常に目標を意識することができるようになると思います。

― 大きな夢を叶えるために小さな目標を立てるような?

藤咲:そうですね。「蓮」の場合は月の前半と後半のように、半月ごとに目標を設定しています。半月でこれだけ売り上げを出すなら、お客様何組くらい必要になるか逆算しています。そうすることで明確な数字がわかるから、行動に移しやすくなると思います。

あとは自分の限界を決めないこと。頑張った日は設定していた目標を大幅に超えることもあります。早く月の目標を達成することもあると思いますが、そこが限界だと思ってしまうと手を抜いてしまうと思うんです。目標を設けつつも、それを限界だと決めつけないことが大切だと感じます。

名古屋でのスタートから、東京での試練、そして3000万円を失った経験まで。すべてを糧にプロデューサーという道を切り拓いた藤咲めい。どんなことがあっても、“諦めない”ことの大切さを、彼女は自らの経験で証明していた。(modelpress編集部)

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