世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第19回】カルレス・プジョル(スペイン)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第19回はバルセロナの最強時代を統率した偉大なリーダー、DFカルレス・プジョルを取り上げる。バルセロナの下部組織で育て上げられ、一度も他クラブに移籍することなくフランチャイズプレーヤーとしてユニフォームを脱いだ。その芯の通った男気に、バルササポーターだけでなく世界中のサッカーファンが尊敬の念を抱いている。
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ヨハン・クライフ監督に率いられたFCバルセロナは、1990-91シーズンからラ・リーガを4連覇している。ミカエル・ラウドルップ、フリスト・ストイチコフ、ジョゼップ・グアルディオラなどが織りなすテクニカルなアタッキング・フットボールは革新的で、誰しもが憧れた。
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その後、レアル・マドリードにタイトルを奪われる時期が続くも、2000年代後期から再び黄金期が訪れる。2008年、現役当時にクライフの薫陶を受けたジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。シャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタを軸とするポゼッション・フットボールにより、ラ・リーガ3連覇という強さを誇った。
このフットボール史に残るチームをまとめていたのが、カルレス・プジョルだ。
長髪のカーリーヘアは、遠くから見るとアンドレ・ザ・ジャイアントにちょっと似ている。リングを降りたアンドレは親分肌でレスラー仲間から「ボス」と慕われていたが、プジョルも間違いなくボス的なリーダーだった。
【大型FW相手に空中戦で圧倒】
クラブ史上最強と言われた当時のバルサは、狡猾なプレーで相手の神経を逆なでするケースも少なくなかった。いわゆるマリーシアだ。だが、プジョルだけは基本的に真っ向勝負を挑んでいた。対戦相手を必要以上に挑発する同僚を、厳しくいさめたこともある。
多少、後れを取ってもファウルでは止めない。最後まであきらめずに相手FWをマークし、ボールを奪う。戦うことで自らを表現する姿は感動的ですらあり、偉大なるカピタン(スペイン語でキャプテン)はライバルからも高く評価されていた。
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2008-09シーズンと2010-11シーズンにチャンピオンズリーグ決勝で敗れたマンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソン監督は、「シャビやイニエスタのテクニックもさることながら、プジョルの統率力と対人プレーには恐れ入った」と語っている。
なお、サー・アレックスは早くからプジョルに注目し、2003年夏には獲得に乗り出していた経緯がある。当時のバルサは深刻な財政難。一部では交渉成立寸前との噂も流れていた。
しかし、プジョルはユナイテッドの高額オファーに首を縦に振らなかった。「バルサLOVE」に勝(まさ)るものはない、ということだ。
バルサで同じ釜の飯を食ったシャビ、イニエスタ、そしてリオネル・メッシは天才肌だが、プジョルは間違いなく努力の人だ。誰よりも鍛錬を重ね、誰よりもフットボールを研究して、超一流の座を勝ち取っている。
「ハートのすべてを注ぎ込めば、勝利するかどうかは問題ではない」
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NBAで「神」と称えられたマイケル・ジョーダンの名言である。プジョルも全身全霊を傾け、バルサの、いやフットボール全体の鑑(かがみ)になった。
一分の隙もない状況判断を駆使しながら、相手の動きを先読みして最善のポジションをとる。強靭な体幹から繰り出されるヘディングは、190cmを超える大型ストライカーとの勝負で引けを取らなかった(プジョルの身長は178cm)。むしろ圧倒した。目まぐるしい変化を仕掛けてくる攻撃にも、努力により培った敏捷性で難なく対応した。
【プジョルは戻ってこなかった】
プジョルは、チーム全体を操るコーチングも的確だった。ルイ・ファン・ハール、ラドミル・アンティッチ、フランク・ライカールトといったバルサの歴代監督も、次のように語っている。
「プジョルがいなければ、アタッキング・フットボールは成立しない」
さらに、コンディション調整にも余念がなかったという。休養・体力の維持、フィジカルの向上、適度な栄養摂取、睡眠などの研究も怠らず、鋼の肉体を創り上げたそうだ。スポーツブランドとミーティングを重ね、機能性を追及したオリジナルのスパイクシューズを発注するなど、ストイックな姿勢を貫いた。
身長178cmでもワールドクラスのセンターバックと絶賛されたのは、こうした努力の積み重ねである。
メッシ、ジェラール・ピケ、セルヒオ・ブスケツなど、ラ・マシア(バルサの下部組織)育ちの選手たちは口を揃えた。
「プジョルこそが真のプロフェッショナルだ」
スペインサッカーが誇る人格者のキャリアには、数多の栄光が刻まれている。ラ・リーガは5回、チャンピオンズリーグも3回の優勝だ。FIFAのチーム・オブ・ザ・イヤーには3回、UEFAの同賞には6回も選ばれている。スペイン代表では2008年のヨーロッパ選手権、2010年のワールドカップ制覇に貢献した。
現役引退後は当然、バルサやスペイン代表の監督、コーチングスタッフのオファーも舞い込んだのではないだろうか。プジョルの人柄と輝かしいキャリアは、チームに団結力を注入する。
ただ、2014年5月31日、スポーツディレクターを務めていたアンドニ・スビサレッタのサポート役としてバルサのフロントには入ったが、なぜか現場にはほとんど関与していない。
志半ばで退陣したものの、2021年にバルサの監督に就任したシャビも、プジョルの入閣を検討していたという。
それでも、彼は戻ってこなかった。2019年5月、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長(当時)がスポーツディレクター就任を要請した際も、「個人的なプロジェクトを優先する」と、古巣のオファーを断っていた。1年後にも「将来、私が参加できるプロジェクトがあれば」と語るに留まった。
【バルサ史に残る偉大なるカピタン】
ハンジ・フリック監督のもと、ラミン・ヤマル、ラフィーニャ、ペドリなどが強烈至極のアタッキング・フットボールを展開する現在のバルサは、2025-26シーズンもラ・リーガ、チャンピオンズリーグともに優勝候補だ。プジョルが入り込む余地はないのかもしれない。
バルサLOVEの心情をふまえると、うまくいっているフリックの邪魔をせず、かといって他クラブの監督、コーチは考えられない。いずれ戻ってくるにしても、しばらくは古巣と距離を置くのではないだろうか。偉大なるカピタンがブラウグラナ(バルサの通称/スペイン語で青とエンジ)に再び関与するまで、もう少し時間が必要だ。
「バルサとフットボールのために、すべてを出しきった。クラブのために全力を尽くした男として、みなさんの記憶に留めていただけるのなら最高に幸せだ」(2014年5月に行なわれた自身の引退式でスピーチ)
なんという素敵な発言だろうか。愛情と怒りを混同し、事あるごとに批判を繰り返すどこかのクラブのOBは、プジョルの爪の垢(あか)を煎じて飲んだほうがいい。
ネガティブな感情は胸に秘め、常に古巣を思うプジョルは、バルサ史上に燦然と輝くレジェンドのひとりだ。後にも先にも、彼のようなリーダーは現れていない。