
文学で旅する韓国、『少年が来る』文学紀行
2024年韓国のハン・ガン作家がノーベル文学賞を受賞したことは記憶に新しい。「歴史的トラウマに向き合い、人間の命の脆さを浮き彫りにする力強く詩的な散文」が称えられての受賞だった。代表作の1つ『少年が来る』(CUON刊)は、まさにその評の通り“歴史的な心の傷”に正面から向き合った作品である。1980年韓国・光州で起こった民主化運動を題材としており、事件で命を奪われた者たちの思い、生き残った者たちの終わらない苦しみを圧倒的な筆力で描いている。本作を読んでいる間中、胸に刃を突き立てられるような痛みを感じるのは、この物語が真実に基づいた、光州の、そして韓国の痛みをつづったものだからだ。
2025年初夏、出版社CUON(クオン)と光州広域市東区が共に企画した『少年が来る』文学紀行(※1)が開催された。参加したのは20〜80代までの男女60人。参加者の1人、向さん(40代・男性)は、「なかなか1人で光州に行く機会がないので参加しました。現地で歴史に向き合いたいと思いました」と参加理由を話してくれた。
参加者の多くが小説で描かれた民主化運動についてもっと知りたいという思いで今回の旅を決めた人たちだ。実際に光州5.18民主化運動当時を知る解説士と日本語通訳士も同行し、2日間かけて小説ゆかりの地を共に巡った。
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ハン・ガン作家が歩いた道、そして日韓交流
初日、まず訪れたのは国立5.18民主墓地だ。ここは5.18民主化運動で犠牲になった烈士をまつる共同墓地である。第一章で登場する少年トンホのモデルで、抗争当時高校1年生だったムン・ジェハク烈士が眠っている。少年トンホは市民軍を手伝い道庁で遺体の管理を手伝っていたが、戒厳軍に射殺された。彼が見た光景はいかに残酷なものであったか、彼の胸の痛みはいかほどだったか、烈士の墓を前に皆それぞれの思いで黙祷を捧げた。
敷地内には、遺体はなく墓碑のみが立つ一角がある。「小説の中で、軍に運びだされた“遺体が積み上げられていた”という描写があるけれど、その方たちのものだということに気付きました。墓石に名前はあるのに遺体がないということに、強い悲しみを感じます」(滝さん・70代女性)。光州事件後も行方不明のままいまだ見つからない人は多い。この事件はまだ終わっていないのである。

5.18民主化運動史跡地の第1号に指定されている全南大学校正門はまさにこの抗争の始まりの場所だった。1980年5月18日正門前で、戒厳軍と学生が衝突したことで、光州全域にデモが拡大していく。後に校庭でも、埋葬された遺体や拷問の跡などが発見されている。
校内にはハン・ガン氏が関連資料を参考にするため訪れた5.18研究所があるほか、抗争で重要な役割を果たした全南大出身の烈士たちの銅像もあり、大学全体がこの事件を記憶する重要な場所と言える。芝生の上でくつろぐ学生の姿や、緑あふれる美しい現在のキャンパスからは想像し難いが、45年前に多くの学生がこの場所で民主主義のために闘い、血を流したのである。
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夕刻には無等山の特設会場で、「日韓読者の夕べ」が開催された。日韓読者の代表が登壇し、45年前の事件に対する思いを語った。参加者の1人で1980年代に韓国に留学していた神谷丹路教授は、ソウルで目の当たりにした民主化デモの記憶をたどりながら、「韓国と日本の民主主義は深い海の底でつながっている」「『少年が来る』は声なき声を蘇らせてくれた」と語った。
登壇者たちの語りはいずれも、国は違えど他者を思いやる、人間の根源的な感情が同じであることを再認識させてくれるものであった。
フィナーレは日韓の参加者が手を取り合い、大きな輪になり共に踊った。つないだ両手から日韓の連帯と絆、そして未来への希望を感じたのは、おそらく筆者だけではなかったことだろう。まさに『少年が来る』がとりもってくれた日韓交流であった。
小説、そして光州の歴史を深掘りする

2日目は主に光州広域市の市内を徒歩で巡った。『少年が来る』を手にして歩く参加者の姿も見られた。まず向かったのは旧光州赤十字病院だ。激しい抗戦の現場となった錦南路から最も近い場所にあった総合病院で、当時多くの犠牲者がこの病院に担ぎ込まれた。病床が足りず、廊下にも負傷者が横たわる状態だった。
また重症患者を助けるため、多くの市民が献血に訪れ、その列は病院の外まで続いていたという。小説内でも描写されているが、 敷地内にある霊安室には遺体が収まりきらないほど死者も多かった。
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5.18民主化運動記録館では、5.18民主化運動45周年記念特別展「少年が来る」を観覧した。登場人物や小説への理解をより深めるための資料が展示されている。太極旗で覆われた棺、それを囲むように立てられたろうそく。小説の一場面を再現した展示が、私たちを今一度小説の世界へ引き戻す。
展示物に添えられた言葉の数々が、見る者に問いを投げ掛ける。「恥ずかしいという気持ちは誰のものでなければならないか?」「この世で最も恐ろしい良心」を私たちは今も忘れてはいないか、と。 展示の最後は、小説の中の好きな文章を写し書きする参加型ブースが用意されている。
本をめくって、印象的だった部分を熱心に書く人、小説を読んだ感想を書く人、参加者はそれぞれの思いを展示の一角に残した(「少年が来る」特別展示は2025年10月19日まで)。

続いて訪れたのは全日ビルディング245だ。抗争当時マスコミ各社が入社していたこともあり、射撃の標的となった。戒厳軍はビル内の市民軍に向けてヘリコプターから射撃した。その時の銃弾跡がビルの内・外壁から270カ所も発見されており、 壁や床に間隔狭く撃ち込まれた銃弾跡を見ると、その攻撃がいかに激しいものだったかを確認できる。
『少年が来る』はあまりにも強烈な読書体験だったと話す青野さん(50代女性)は、以前一度見学に来たことがあるというが、「非常に衝撃を受けたのでもう一度ちゃんと見ておきたかった」と再訪の理由を教えてくれた。銃弾跡という紛れもない事実の痕跡を前に、事件の残虐性を思い知らされる。

屋上からは旧道庁と噴水台が望める。道庁はトンホが、そしてトンホのモデルとなったムン・ジェハク烈士が銃弾に倒れた場所でもある。最後の抗争で道庁に残っていた市民軍は約200人、対する戒厳軍の鎮圧作戦には2万人以上が動員されている。1980年5月27日、多くの死傷者を出して抗争は幕を下ろしたが、生き残った者も連行され拷問を受けるなど、事件の後遺症に苦しむ人が多かった。
以降も1987年に民主化を遂げるまで独裁政権は続く。そのときの社会の様子は第3章でも描かれている通り、出版物は検閲を受け、検閲課の壁には全斗煥(チョン・ドゥファン)の写真が掛かっているという有り様であった。
同じく第3章で登場人物の1人が「まだ事件から日が浅いのに、祭りでもないのに、噴水台から水を出してはいけないと思う」と役所に抗議する場面がある。参加者の1人、遠藤さん(20代女性)は、道庁前にたたずむ噴水台を見つめながら語ってくれた。
「実際に噴水台を前にして事件のことを考えてみると、事件の直後にこうして水が出ているのを見ることはつらいことだと感じました。実際に物語に出てくる場所に立ってみると、想像だけでは補えない部分を感じられます。光州は今、平和な雰囲気が漂っているけれど、それは皆が民主主義を守ってきたからなのだと思います。光州の方たちはいつもそのことを感じているのではないかと思います」
夜はトンホのモデル、ムン・ジェハク烈士の母キム・キルジャさんをはじめとする5.18犠牲者遺族「5月の母たち」、実際に抗争を体験した方々が出席しての晩餐会が開かれた。遺族の話に耳を傾け、旅を共にした仲間同士語り合うひとときを過ごし、2日間の日程を終えた。
ハン・ガン氏が読者に投げ掛けた問いの答え

今回の旅では、上記の場所以外にも多くの場所を訪れている。芸術文化の中心地としての役割を果たす国立アジア文化殿堂、民芸品を展示したビウム(Bium)博物館、創業90年の歴史を誇る光州劇場、民主化運動関連書籍をそろえた書店「少年の書」など、『少年が来る』の物語だけでなく、光州という都市に対する理解を深めた旅でもあった。
ハン・ガン氏はノーベル文学賞受賞式で、「過去が現在を助けることはできるのか? 死者が生者を救うことができるのか?」という問いを読者にも投げ掛けてくれたが、光州の地でその答えを確信した参加者は多かったのではないだろうか。
そして同時に1冊の本が、未来の私たちを救うこともあるのだと筆者は感じた。『少年が来る』をまだ読んでいない方には、手に取ってじっくり読むことをおすすめしたい。そしてすでに読んだ方には、今回の旅で巡ったように、いつか光州の地を訪れてほしいと思う。
※1:出版社CUONが開催する文学をテーマとした文学ツアー。今回の文学紀行は7回目。過去には韓国大河小説『土地』(著・朴景利)や『庭の深い家』(著・金源一)などの作品の舞台を巡っている。
※2:一部インタビュイーは仮名
松田 カノンプロフィール
在韓18年目、現地のリアルな情報をもとに韓国文化や観光に関する取材・執筆、コンテンツ監修など幅広くこなす。著書に『ソウルまるごとお土産ガイド(産業編集センター)』などがある。All About 韓国ガイド。(文:松田 カノン(カルチャーライター・コラムニスト))