“バラまき”だと批判を浴びる「2万円給付」 選挙が近づくと何かくれる日本政府…やはり票集めるため?

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2025年06月28日 20:50  All About

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石破茂総理は来たる参議院選挙の公約として国民1人当たり2万円の現金給付を掲げましたが、わざわざこの時期に打ち出したことで「選挙目当てのバラまき」だと批判を浴びています。実際にこうした“選挙目当ての政策や公約”はあるのでしょうか? ※写真:代表撮影/ロイター/アフロ
先頃石破茂総理が参議院選挙の公約として「国民1人当たり2万円の給付」を表明しました。円安や物価高などに苦しむ国民支援が名目ですが、参議院選挙を目前にしたこの時期を選んだことから、選挙目当てだと批判されています。

実際に選挙目当ての政策や公約はあるのでしょうか? それらは一体どんなものか、国民側にもある問題点とともに考えてみたいと思います。

「選挙(集票)目的のバラまき」と批判を浴びる

参議院選挙を間近に控えた今、石破総理が国民1人当たり2万円を現金給付すると表明しました。円安や物価高など経済環境の悪化に苦しむ国民への支援と説明されていますが、わざわざ選挙前のこの時期に打ち出したことで、「選挙(集票)目的のバラまき」だと批判を浴びています。

そう言われても仕方ありません。なぜなら年収の壁178万円への引き上げや消費税減税など、他党が提案した政策に対しては、財源がないことを理由に拒否したにもかかわらず、選挙が近づいた途端、政府自ら財源がある(税収の上振れ分)と言い出したからです。

選挙が近づくと何かくれる日本政府

こうしたケースは今回だけではありません。選挙が近づくと降って湧いたかのように、国民の歓心を買うためと思われる政策が打ち出されることがあります。政府としても、目的がバレバレなのは承知の上で、何かくれると言い出すのです。

そんな餌に飛びつくと思われているとしたら、私たち国民も甘く見られたものですが、残念ながら飛びついているのが実情です。

今回は現金ですが、過去には商品券を配ったこともありました。もちろん選挙目当てのバラまきと言われましたが、「もらえないよりはもらえた方がいい」という人間の素朴な感情には勝てず、筆者含め大半の国民は受け取りました。

それをいわば“成功体験”として、政権与党はたびたび選挙前になると、餌として国民を喜ばせるような政策を打ち出すようになりました。

不発に終わった今回の2万円支給

ちなみに今回の2万円支給を発表した直後に行われた東京都議会議員選挙では、言い出しっぺの自民党は惨敗し、都議会第1党の座を失いました。裏金問題による逆風が少しは和らぐのでは? という声があったものの、少なくとも都民は、2万円くれたくらいでは自民党には入れませんでした。

これはもちろん、「2万円じゃ少ない。もっとくれ」という意味ではなく、その手には乗らないという意思表示ともみられます。

選挙目当てかそうでないかの見分け方

たびたび打ち出される政策ですが、それが選挙目当てかそうでないかはどのように見分ければいいでしょうか。その方法はわりと簡単です。選挙とは無関係に一貫性をもって打ち出されているかどうかで判断すればいいのです。

例えば国民に2万円配るのはあくまで今回だけの一時的なもので、政府の基幹となる政策にはなり得ません。何の一貫性もなく、典型的な選挙目当てであると言えます。

国民が反対する政策は選挙後に「後出しジャンケン」

ただ、選挙目当ての政策を見分けたとしてもそれはそれ。政府は手の内をなかなか明かしません。政府が本当にやろうとしていることが選挙前に明確に提示されることは少ないのが実情です。選挙前は国民にウケのよい政策を掲げ、都合の悪いことは選挙が終わってからそろりと出されるということがこれまでにも何度もありました。

それは「後出しジャンケン」とそっくりです。

例えば防衛費引き上げや巨額の武器輸入など、国民に反対されそうなことは選挙前はできるだけごまかし、選挙が終わって国民が抵抗する手段を失ってから、まさに「後出しジャンケン」のごとく強行されることがしばしばありました。

そのときばかりは国民も裏切られた思いになり、批判の声を上げますが、次の選挙が近づく頃にはすっかり忘れています。政策の「後出しじゃんけん」は、そんな国民の忘れっぽさにつけ込むやり方と言えるでしょう。

公約を守らなくても罪にならない

また、日本では公約を守らなくても罪には問われません。公約していないことを選挙後にやっても罪には問われません。国会議員による自由な活動が憲法で保障されているため、選挙に勝てばあとは好きにやれるというのが実情です。悪く言えば、言ったもん勝ち、やったもん勝ちということになります。

もちろん、公約を本気で実行しようとしても反対が多くてできないケースや、公約を実行したくても政権を取れなければ実行できないなど、さまざまな場合がありますが、中には特定の集団へアピールすることだけが目的の公約や、最初から実行する気がない政策を選挙前だけシレっと並べる者もいます。

政治家の言葉を真面目に受け取ろうとしている人にとってはひどい話です。そんなことが繰り返されれば政策や公約への信頼性は失われるばかりです。

選挙に表れ始めた危険な兆候

社会というものはさまざまな問題を抱えています。政策とは本来、そんな社会を平和かつ安定的に永続させるのが目的です。今さえよければいいというわけにはいきません。むしろ今は多少我慢してでも、将来のために備えなくてはならないケースもあります。政策とはそうした社会づくりのためにバランスよく構成されるのが理想です。

政府が国民に対して、そんな真摯(しんし)な姿勢で政策を提示してくれればいいのですが、聞こえのよい政策は選挙の前、都合の悪い政策は選挙の後というやり方を重ね、政策や公約への信頼性が低下したせいか、ここ数年、ある兆候が表れてきています。

それは、政策や公約には全く重きを置かず、候補者への“共感”だけで投票する人が増えてきたことです。

“共感”ベースで投票することの危険性

共感というのは日常の人間関係では大切な感覚ですから、友達なら共感ベースで選んでもかまわないでしょうが、政治家を共感ベースで選ぶとなると大変危険です。

政治家というのは法律や制度を作る権限を持ち、社会の在り方を左右する権力を持ちます。選挙でその人に投票するのは、そうした権力を与えることと同じ意味。どんな政治をする人か、どんな社会づくりをする人かを表す政策(公約)を承知した上で選ばなければ間違いが起きる可能性があります。

「どんな政治をするか知らないけど何となく共感できるから」といって投票した相手が、当選後に戦争を始めるかもしれないのです。何をやるのか分からない人に投票するのは、当選後にフリーハンドを与え、何をしても受け入れますと言うのと同じです。

アメリカではトランプ氏を大統領に選んだ結果、彼に投票した人でさえ望まないようなことが行われています。アメリカを再び偉大にという、漠然として何ら定義されていない主張への“共感”で選んだことが、社会に惨禍をもたらしているのです。

「妥協点」探しが民主主義のポイント

民主主義(民主制)のことを多数決で決めることと思っている人もいるかもしれません。それは間違いというわけではありませんが、多数決というのはあくまで物事の決め方の1つに過ぎず、民主主義の意味を言い表すものではありません。

私たちの暮らす社会では、100人いれば100人がそれぞれの事情を抱え、それぞれの考え方で生きています。同じ意見の人もいれば異なる意見の人もいますが、そうした人たち全体で社会は構成されています。

もし鉄道会社が特定の思想の管理下に置かれ、異なる思想の人は乗車お断りとしたり、水道局が特定の宗教の管理下に置かれ、違う宗教の人の水道を止めたりしたら、社会は成り立たなくなります。

そんなことにならないよう、さまざまな事情の人たちが折り合って共同で社会を運営していけるよう、長年かけて人類がつくり上げてきた政治形態の1つが民主主義(民主制)です。

民主主義のポイントは、立場や考えの異なる人との間にいかに「妥協点」を見つけるかです。100対0ではなく、できるだけ50対50に近づけるよう、いかに互いに譲歩し合うかが民主主義の理念の根幹です。

それを拒否する人たちが引き起こすのが分断です。自分と共感できる人たちだけで固まり、共感できない人を排除するのが分断で、その行き着く先にあるのが戦争です。

戦争も共感ベースで起こされる

アメリカは今、激しい分断で内戦状態のようになっています。政治理念で共感できないという理由で政治家含めて何人も殺害されています。

日本でそこまでの惨事は起きていませんが、明日は我が身です。共感できる人だけを尊重し、共感できない人を排除することを繰り返していった先には、今のアメリカのように、社会の崩壊と殺伐とした生活しか待っていません。

そうならないためにも、政治家や政党に求められるのは、選挙目当てではない政策です。できるだけ分断を避け、異なる立場の人たちが折り合いをつけられるような政策を、選挙のあるなしにかかわらず、粘り強く打ち出していくことが、彼らには求められます。

松井 政就プロフィール

作家。国会議員のスピーチライター。政治、文化芸術、スポーツ、エンタテインメント分野の記者、事業プランナーとしても活躍。
(文:松井 政就(社会ニュースガイド))

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