日本の中小企業300万社を狙う新たな“金融戦争”が始まった。
三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)が5月から提供を始める法人向けデジタル総合金融サービス「Trunk」(トランク)は、従来の融資中心のモデルから決済と預金に軸足を移した新戦略の象徴だ。最短翌日での口座開設、他行宛て振込手数料一律145円という業界最低水準の料金体系、さらにAIを活用した資金調達支援など、「メガバンクらしからぬ」サービスで中小企業のデジタル変革を後押しする。
「Olive」(オリーブ)で個人向けデジタル金融に成功体験を得たSMFGは、今度は法人市場で革命を起こせるのか――。
●「未開拓の300万社」 メガバンクが見いだした新たな開拓地
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SMFGの中島達社長にとって、Trunkは単なるデジタルサービスの拡充ではない。日本に約300万社ある法人の中で、これまでメガバンクが十分にアプローチできていなかった中小企業層という「新大陸」への本格的な進出を意味する。
「日本の再成長を確たるものにするには、中小企業を含む幅広い事業者の活性化が欠かせない」と中島社長は発表会で力を込めた。これまでSMFGの法人ビジネスは、中堅企業では「本邦No.1」、大企業では「3メガの中では規模が小さい」と自己分析する。そして残る「もう一つの領域が中小企業」なのだ。このマーケットに「Trunkで開拓していく」という。
国内法人数300万社の10%にあたる30万口座を3年で獲得する目標は、決して容易ではない。しかし、同グループの個人向けデジタル金融サービス「Olive」が500万を超える利用者を集めた実績が自信の源だ。中小企業でもデジタル技術の利用は急速に広がっており、「高齢の方でもスマホを使いますからね」と大西幸彦・三井住友カード社長は市場の変化を見据える。
とはいえ、なぜ今まで本格参入してこなかったのか。その答えは、SMFGが2018年頃に関西アーバン銀行など地方銀行を売却した背景と共通する。「(国際的に事業を行う金融機関の自己資本を強化し、金融危機を防ぐための規制である)バーゼルIIIの観点から見たら、これは割に合わない」というのが当時の説明だった。要するに、中小企業向け融資ビジネスは資本規制の下では効率が悪いと判断されていたのである。
この方程式を解くカギが、Trunkのビジネスモデルにある。
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●「資本を食わない」金融—決済と預金で稼ぐ新モデル
「基本的には融資サービスも提供しますが、あくまで最低限で、貸出で収益を上げるビジネスモデルではない」
中島社長の発言は、Trunkが従来のメガバンクのビジネスモデルとは一線を画すことを表している。
メガバンクといえば企業への融資が収益の柱——そんな伝統的な図式をTrunkは覆す。新たなモデルの主役は「決済」と「預金」だ。バーゼルIII規制下では融資が多いほど自己資本比率維持のための資本が必要になり、資本効率(ROE)が低下する。一方、決済手数料収入や預金を集める事業は「資本を食わないビジネス」として効率が良い。
預金ビジネスの収益性は、日銀の金融政策修正後の金利上昇局面で大幅に向上している。市場金利が0.1%から0.5%程度まで上昇した現在、預金者に支払う金利と運用金利の差(預貸金利ざや)が拡大。SMFGが目標とする3兆円の預金が集まれば、年間数百億円規模の収益源となる計算だ。中島社長は「預金からの収益が大きなポーションを占める」と強調する。
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決済ビジネスの収益源は多岐にわたる。企業の振込手数料、カード決済による加盟店手数料(2〜5%程度)、各種ファイナンス手数料などだ。特に法人間取引は個人消費よりも取引額が大きいため、カード決済浸透率が現在の約1%から上昇するだけで大きな収益インパクトが見込まれる。
三井住友カードと連携したカード与信も、従来型融資と比べて資本効率が高い。多数の中小企業に小口与信を分散することで、リスクウェイト(資本規制上の負担)を50%程度に抑えられるためだ。
この収益構造の妙は手数料体系にも表れている。SMBC宛ての振込手数料は無料、他行宛ても一律145円と「業界最低水準」に設定しつつも、SMBCグループ内の3000万以上の口座というネットワーク効果を生かす。利用者が増えるほど「SMBCグループ内の取引が増え、全体として振込手数料の負担が軽減される」(大西社長)という好循環を生み出す。
さらに、デジタル完結サービスによる人的コスト抑制も収益性向上に寄与する。従来の対面型ビジネスでは採算が取れなかった小規模企業層に、効率的にアプローチできる点こそがTrunkの経済合理性だ。この「資本を食わない」モデルの成否が、メガバンクの中小企業戦略の転換点となる。
●使うほど経営が楽になる Trunkが標準装備する機能群
Trunkはその名の通り、事業という旅に必要な機能を詰め込んだ旅行カバンであり、企業を支える木の幹になることを目指している。5月の開始予定に向けて、想定される課題解決のシナリオはこうだ。
法人口座開設は、煩雑で時間がかかるという課題がある。それに対しTrunkでは、スマートフォンから20分程度の申し込みで最短翌営業日に口座開設が可能となる。本人確認書類と事業実態を示す書類の2種類だけで手続きが完了する設計だ。
中小企業経営者が多くの時間を費やす請求書処理。Trunkなら受領した請求書をスマホで撮影するだけで自動的にデータ化され、振込予約まで完了する。請求書がファイルで届いた場合も、アップロードするだけで同様の処理が可能になる予定だ。
資金繰りに悩む企業には、「フレキシブル・ファイナンス」機能が支援の手を差し伸べる。支払いを簡単にカード払いに変更でき、支払時期を調整できる仕組みを導入。さらに、加盟店の決済実績をもとにした「stera finance」や自社発行の請求書を元にした「デジタルファクタリング」、カード払いの引き落とし時期を調整できる「スキップ払い」など、多様な資金調達手段が選択できるようになる。
新設法人にとっては、通常は難しいとされる法人カードの取得も容易になる見込みだ。2026年度には、VISA社と共同開発したAI与信エンジンを搭載した「新ビジネスカード」が登場予定で、「外部データも含めた審査で、新設法人にも発行可能で、最大10億円の与信枠」(大西社長)を用意するという。
専門知識がなくても最適な経営判断をサポートするため、AIファイナンスエージェントも開発中だ。資金需要が発生しそうなタイミングで最適な調達方法を自動的に提案するなど、「いわば信頼できる経理部長を雇ったかのようなサービス」(大西社長)を目指している。
5月のサービス開始時点では新法人ネット口座と既存の法人向けカードの組み合わせから始まり、本年度中に請求書支払い機能、フレキシブル・ファイナンスなどが順次追加される予定だ。
●メガバンクの強みを生かした差別化 既存勢力との競争戦略
Trunkの登場は、すでに激化している中小企業向けデジタル金融サービスの競争に新たな局面をもたらす。ネット銀行では首位の楽天銀行が法人口座開拓に力を入れ、GMOあおぞらネット銀行はスタートアップ向け銀行として機能拡充を図っている。住信SBIネット銀行も法人顧客に幅を広げ始めた。さらに銀行免許を持たないフィンテック企業も、資金移動業ライセンスを活用してデジタル金融の提供を始めている。
ネット銀行、フィンテック企業などさまざまなプレイヤーが存在するこの市場で、SMBCグループは3つの柱で差別化を図る。
第一の柱は、メガバンクの信頼性とネット銀行の利便性の融合だ。「メガバンクでありながらネット銀行を凌ぐ」(大西社長)というコンセプトのもと、低コストと使いやすさに加え、給与振込や総合振込などメガバンク独自の機能も提供する。
第二の柱は、ユーザー視点を重視したサービス設計だ。この点で中心的役割を果たすのが、2024年に資本業務提携したインフキュリオン社の丸山弘毅社長だ。「金融機関は自社サービスを提供していてユーザーがそれを使い分ける構造だが、経営者は自分が使えるお金を一元的に把握・利用したい」と丸山社長。従来の縦割り構造でなく、経営者目線でお金の流れを一元管理できる設計思想がTrunkに取り入れられた。
第三の柱は、銀行口座とカード情報を連携させたAI活用だ。口座情報とカード利用状況を統合分析することで、資金需要を予測し最適な調達方法を自動提案するなど、これまで実現できなかった高度なサービスが可能になる。「人手不足やDX推進、キャッシュマネジメントなどで悩む中小企業が多い中、Trunkは成長をサポートするツールになる」と中島社長は期待を寄せる。
●銀行デジタル変革の試金石—Trunkが描く未来と課題
TrunkはSMFGにとって単なる新サービスではなく、銀行業のデジタル変革を象徴する戦略的プロジェクトだ。成功すれば「中小企業向け金融は収益性が低い」という従来の常識を覆し、メガバンクの新たな収益源となる可能性を秘める。
しかし課題も少なくない。3年で30万口座という野心的な目標を達成するためには、既存の金融サービスからの乗り換えを促す必要がある。SMFGによれば、当初は新規口座の開設を中心に進めるが、「既存口座からの変更ニーズにも徐々に対応していく」という。2年間で500万口座を実現した個人向け金融サービス「Olive」で培った経験とテクノロジーの基盤もあり、「順調に進んできたフィンテックの中で、今回の取り組みは、まだ着手できていない大きなチャレンジへの挑戦」(丸山社長)という位置づけだ。
デジタル完結型の法人口座サービスでは、セキュリティ対策が最重要課題となる。この点について中島社長は「入り口でのチェックは今まで以上にしっかりやる。AIを使った期中管理も強化する」と説明する。具体的には、口座開設時の審査基準自体は従来と同等だが、申し込み導線や入力項目の削減、法務局APIによる謄本情報取得など、デジタル技術の活用で手続きを効率化する。一方で、口座開設後の不正利用監視は従来より強化し、「不正と疑われる口座の動きがあると、口座を停止する」条項を約款に盛り込む。
「これまでの法人口座は、口座停止はものすごく難しかった」(中島社長)が、Trunkでは申し込み時に明示的な同意を得ることで、AIモニタリングによる犯罪行為の早期検知と迅速な口座停止を可能にする。また三井住友カードの大西社長は「口座とカードをミックスしてモニタリングする」ことで、銀行口座情報とカード利用状況を統合分析し、より高度なセキュリティを実現すると強調する。
与信管理についても、従来の人的審査からAI技術と「大数の法則」を活用したリスク管理へと転換。VISA社と共同開発するAI与信エンジンは決算書だけでなく外部データも含めた審査をし、口座やカードの利用状況に応じて与信枠が変動する仕組みとなる。
他のメガバンクや地銀、ネット銀行の対抗策も予想される中、Trunkの差別化ポイントは「メガバンクの信頼性」と「フィンテックの利便性」の融合にある。SMBCグループが持つ3000万以上の口座ネットワークは、他の追随を許さない競争優位性だ。
法人向けキャッシュレス市場は「世界中がこれから」(大西社長)という未開拓領域。日本の法人間決済1000兆円市場のうち、カード決済は1%程度に過ぎない。Trunkがこの市場をどこまで開拓できるかは、日本の金融デジタル化と中小企業の生産性向上の両面で重要な意味を持つ。中小企業と金融機関の新たな関係構築は始まったばかりだ。
(斎藤健二)
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