【Jリーグ】ファジアーノ岡山のルカオが語る日本でのプレー「昇格を決めた瞬間のことは、一生忘れません」

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2025年07月04日 10:10  webスポルティーバ

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Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

ファジアーノ岡山 ルカオ インタビュー 中編

 ファジアーノ岡山のFWルカオをインタビュー。2019年に来日してからのJリーグでのプレーについて語ってもらった。

>>前編「ルカオが語るJリーグでプレーするまでの経緯」

【日本は予想以上にすばらしい国だった】

 2019年夏、ギリシャのアポロン・ラリッサとの契約を終えたルカオは、鹿児島ユナイテッドに加入した。

 それまで日本を訪れたことはなく、彼が極東の島国に抱いていた印象は漠然としたものだった。Jリーグについては、過去にレアンドロ・ダミアンやフッキら、憧れていた同胞のストライカーがプレーしていたから、なんとなく知っていたという。

「住みやすい国だろうと想像していましたが、実際に生活を始めると、予想以上にすばらしい国だということがわかりました」

 ルカオはにこやかにそう語る。早口でメロディアスなポルトガル語は、歌を歌っているようにも聞こえる。

「すばらしい文化があり、人々は他者を敬い、どこも清潔に保たれている。僕には妻とふたりの息子がいるので、治安がいいことも助かっています」

 周囲のサポートもあり、スムーズに生活を始められるようになったが、ピッチ上では最初は戸惑いがあったという。

「ブラジルと日本では、ストライカーに求められるものが違います。ブラジルでは基本的にゴールを決めることに集中していましたが、ここでは攻撃的な選手にも守備のタスクがありますよね。攻撃と守備のトランジションも、徹底する必要がある。率直に言って、慣れるまでに3、4カ月くらいかかりました」

 鹿児島では半シーズンで16試合3得点を記録したが、チームがJ3に降格したため、自身はツエーゲン金沢へ移籍。ハムストリングの負傷で延べ3カ月ほど戦列を離れながら、24試合に出場し、10得点と二桁に乗せている。

 翌2021年は松本山雅FCへ移ったものの、ヒザの問題で出遅れ、彼にとってシーズン2試合目となった8月のブラウブリッツ秋田戦で膝蓋骨を骨折する重傷に見舞われた。当時のことをルカオはこう振り返る。

「この時は自分のキャリアで一番辛い時期でした。手術の後にリハビリがあって、落ち込むことが多かった。でも、妻がいつもサポートしてくれて、僕の大好きなフェジョアーダなど、おいしいブラジル料理を作ってくれて支えてくれた。それから子どもと一緒にいると、ふさぎこんでいた気分もすっかり晴れる。家族の支えがあったからこそ、あの苦しい期間を乗り越えられました」

 自身は4試合の出場にとどまり、無得点で終わり、チームはJ3に降格。次の2022年シーズンは初のJ3で、21試合4ゴールを記録した。

【自分はブラジル選手らしいテクニックを持っていない】

 その後、松本との契約が満了し、一旦ブラジルに帰国したが、母国ではクラブが見つからなかった。そんな時に、前線に負傷者が出て、新戦力を要していたファジアーノ岡山がルカオに手を差し伸べた。2023年シーズンが開幕した後の3月のことだった。

 当時の印象については、岡山の木山隆之監督が6月21日の横浜F・マリノス戦後の記者会見で、こう説明した。

「正直に言って、加入当初は感覚が鈍っていて、身体のコンディションもよくなかったんです。徐々に状態は上がっていったのですが、今度はプレーの判断が拙く、味方との連係も思うように取れなくて。独力で進んでいこうとするけど、自身のよさをうまく発揮できていなかった。

 でも彼は本当に努力家なんです。自分のよさを理解し始め、できないことはできないと割りきって、自分にできることを必死にやり、チームに力を与えてくれます。監督としては、感謝しかないですよ。今のプレーは、彼が努力して身につけてきたものです。もっともっとやれる選手だと思っているので、期待しています」

 ルカオ本人も、指揮官の見立てに同意する。

「自分は、いわゆるブラジル人選手らしいテクニックを持っていないので、ほかのところを伸ばそうと努力しています。僕の家族はずっと肉体労働をしているのですが、明るく前向きに、そして懸命に仕事をしています。自分もそれを見ていたし、手伝っていたので、仕事に真剣に取り組むのは自然なことだと捉えています。

 それに木山監督は僕の能力を信じてくれて、岡山に迎えてくれました。自分の調子がよくない時や、メンタルが落ちている時は、必ず声をかけてくれるので、すごく助かっています。それから、チームメイトにも支えられています。だから、僕はその恩返しをしなければならない」

【J1昇格に感動】

 岡山で2年目の昨シーズン、ルカオはクラブの歴史にその名を刻んだ――クラブ史上初のJ1昇格に貢献したのだ。5位でシーズンを終えてプレーオフに回ると、ベガルタ仙台との決勝で途中出場し、勝負を決める2点目をアシストした。

「J1昇格を決めた瞬間のことは、一生忘れません」

 当時を振り返るルカオの両目は少し潤んでいた。

「本当に感動しました。ファジアーノ岡山の歴史の一部になれて、ものすごく幸せです。試合後のインタビューでも言いましたが、僕は岡山というクラブと街、人々が大好きです。今では、自分の第二の故郷と感じている。ここでの生活は、とても充実しています」

 今季から初めて挑戦しているJ1の舞台は、彼が想像していたとおり、これまでのキャリアのいかなるリーグと比べても、別次元のレベルだという。それでも持ち前のパワーとスピードを磨き、逞しい身体で前線のターゲットマンとして存在感を放っている。

 得点こそ、ここまで3つと多くないが、その3点目となった6月21日の横浜FM戦のゴールは、チームの決勝点となっただけでなく、ブラジル人ストライカーの彼にとって、実に意義のあるものとなった。

>>後編「ルカオが語る自身のプレースタイルと今後キャリア」へつづく(7月5日掲載)

ルカオ 
Lucas Marcos Meireles/1995年9月22日生まれ。ブラジル・ミナスジェライス州ドーレス・ド・トゥルボ出身。21歳の時にアーセナルMGでプロになり、その後北マケドニアのマケドニアGP、レノヴァ、ギリシャのアポロン・ラリッサでプレー。2019年に鹿児島ユナイテッドに移籍。以降、ツエーゲン金沢、松本山雅FCと渡り、2023年からファジアーノ岡山でプレーしている。

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