【Jリーグ】ファジアーノ岡山のFWルカオは異色の経歴「自分のプレー映像をYouTubeにアップした」

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2025年07月04日 10:10  webスポルティーバ

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Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

ファジアーノ岡山 ルカオ インタビュー 前編

 Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか?

 今回はファジアーノ岡山のFWルカオをインタビュー。ブラジルから北マケドニア、ギリシャを経てJリーグという異色の経歴を語ってもらった。

【9月に30歳を迎えるブラジル人】

 謎に包まれたキャリアを持つブラジル人ストライカーが、ファジアーノ岡山で奮闘している。191センチの長身に際立つスピードとパワーを備え、相手を薙ぎ倒していくようなスタイルから、"重戦車"の異名を取るルカオだ。

 今季からJ1に初挑戦しているクラブの背番号99について調べると、21歳以前の所属先がない。インターネットの百科事典によると、彼は2016年に母国のミナスジェライス州ベロオリゾンチ郊外のアーセナルMGでプロとなり、以降は北マケドニアの2クラブ、ギリシャの3部チームを渡り歩き、2019年に鹿児島ユナイテッドに加入。そこからツエーゲン金沢、松本山雅FCを経て、2023年春に岡山に移っている。

 ブラジルのマイナークラブ、欧州の辺境、日本のJ3、J2を経験して、今季から岡山と同様に、初めてJ1を戦っているのだ。

 もうかつてのように、J1で一線級の外国籍選手を見る機会はほぼなくなった。だがそれにしても、これほどまでに控えめな経歴のブラジル人選手も珍しい。しかもキャリアの浅い若手ではなく、9月に30歳の誕生日を迎えるフットボーラーである。

 興味をそそられるルカオとのインタビューの日取りが決まり、その直前の週末に横浜F・マリノスとのアウェー戦を取材すると、彼は5試合ぶりに先発し、見事にこの試合唯一のゴールを決めた。これが今季3得点目ながら、3月にはマリノスとのホームゲームでも同様の結果を残しており、低迷する名門クラブとの相性のよさを印象づけた。

 翌週、小雨の舞う6月下旬の岡山にルカオを訪ねると、はにかんだ笑顔で肩を叩いて歓迎してくれた。試合後のミックスゾーンで、こちらから拙いポルトガル語で挨拶していたのが、よかったのかもしれない。

【ユースチームを経ず21歳でプロに】

「フットボールを始めたきっかけは、父の影響です」とルカオは最初の質問に応じた。嘘のなさそうな優しい眼差しをこちらに向けて、彼は続ける。

「お父さんはフットボールが大好きで、いつも兄と僕にプロを目指して頑張れと言ってくれました」

 ルカオの生まれ故郷はドーレス・ド・トゥルボという人口5000人ほどの村で、そこにいる人々は謙虚で優しく、ほぼ誰もが顔見知りだという。ただし産業と呼べるようなものはなく、娯楽と言えばフットボールくらいしかない。

「僕の両親は勉強が得意ではなかったし、ドーレスは本当に田舎なので、生きるために農業をするしかなかった。だから子どもたちには、プロのフットボーラーになれば、人生を変えられるはずだと、いつも励ましてくれた。よい未来のために、頑張って挑戦したほうがいいと。でも兄は、残念ながらプロになれなかったので、自分は彼のぶんまで頑張ろうと胸に誓っていました」

 ロナウドやアドリアーノに憧れた少年は、当初から上背こそあったものの、パワーには欠けていたという。友だちとの鬼ごっこで敏捷性を養い、砂埃の舞う空き地や赤土がこびりつくストリートで、毎日、陽が暮れるまでボールを追っていた。

 それ以外の時間は、トマト農園で働いていたため、クラブの下部組織で育成された経験はない。ただしプロになる夢はずっと抱き続け、何度かトライアルを受け、アーセナルで合格にこぎつけた。ルカオが21歳の時だった。

「ユースアカデミーを知らない自分が、なんとかプロになれたんです。年齢的には、フットボールの世界では遅いほうかもしれませんが、夢が叶った。ふるさとを離れて、家族と別々に生活するのは辛かったけど、お父さんがいつも頑張れと言ってサポートしてくれました。その言葉に勇気をもらい、続けることができた」

【北マケドニア、ギリシャのクラブを経て日本に】

 しかしルカオがプロの道を歩み出した最初のクラブ、アーセナルMGはJリーグのクラブのように、きちんとしたプロフェッショナルではなかった。

「そこはちゃんとしたクラブではなくて、1年間もサラリーを払ってくれなかったんです。だから自分で自分のプレー映像を作って、YouTubeにアップしました。すると、ギリシャ、北マケドニア、ブルガリア、アルバニアのクラブからオファーが来たんです」

 本人としては、ブラジルのクラブから声がかかることを望んでいたが、なぜかオファーをくれたのはヨーロッパのバルカン半島のクラブばかりだった。

「それでも僕はプロのキャリアを続けたかったので、そのなかから一番よさそうに思えた北マケドニアのマケドニアGPに移籍しました。でもやっぱり、最初は本当に大変でした。なにより言葉がものすごく難しくて、学んでもなかなか習得できなかった」

 1年前に初めて親元を離れたルカオは、北マケドニアという聞いたこともなかった東欧の国で、初めて国外での生活を始めた。言葉、慣習、文化、景色、気候、通貨など、すべてが違う異国で、ボールだけを頼りに挑戦を続けた。だが半シーズン在籍したマケドニアGPでは、出場した試合で1度も勝利を収められず、無得点に終わった。

 翌シーズンは同じリーグのレノヴァに移り、3ゴールを記録。次の2018−19シーズンはギリシャの3部リーグでプレーし、リーグ戦とカップ戦を合わせて11得点をマークした。

「ギリシャはフットボールの強い国ではありませんが、すごく美しいところでした。ただ下部リーグだったので、とにかくここでいいプレーをして、ステップアップしたいと考えていたんです」

 その時も祖国ブラジルのクラブからオファーを受けて帰国することを目指していたが、彼に興味を示したのは、日本のクラブだった。アジアにコネクションを持つ代理人を通じて連絡してきたのは、当時J2を戦っていた鹿児島ユナイテッドだ。

「エージェントは正直な人で、僕を欲しがっている鹿児島はおそらく、次のシーズンに3部に降格するだろうと言っていた。それでも自分のパワーとスピードは、絶対に日本で通用すると太鼓判を押してくれたし、自信もあったので、入団を決めました」

 そのようにして、2019年8月に初めて日本に降り立った。ただその時は、ここが彼にとって第二の故郷となるとは思ってもみなかった――。

>>中編「ルカオが語る来日からのJリーグでのプレー」へつづく

ルカオ 
Lucas Marcos Meireles/1995年9月22日生まれ。ブラジル・ミナスジェライス州ドーレス・ド・トゥルボ出身。21歳の時にアーセナルMGでプロになり、その後北マケドニアのマケドニアGP、レノヴァ、ギリシャのアポロン・ラリッサでプレー。2019年に鹿児島ユナイテッドに移籍。以降、ツエーゲン金沢、松本山雅FCと渡り、2023年からファジアーノ岡山でプレーしている。

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