
9月開催の東京2025世界陸上の最重要選考競技会である日本選手権が、7月4〜6日に東京・国立競技場で行われている。日本のレベルが近年上昇している種目の1つに女子100mハードルが挙げられる。日本人初の12秒台をマークし、この種目を牽引してきたのがママさんハードラーの寺田明日香(35、ジャパンクリエイト)だ。今季限りで一線を退くことを表明しているが、世界陸上代表への強い気持ちを胸に最後の日本選手権を走る。
【一覧】9月13日開幕『東京2025世界陸上』日程&出場選手
最終日の最終種目は注目度の高い種目大会のフィナーレを飾る最終日(7月6日)の最終種目に、今年は女子100mハードルが実施される。23、24年は男子100m、22年は女子5000mと、社会的にも注目度の大きい種目が大トリに行われる。今の女子100mハードルが注目を集めている裏返しだろう。
東京2025世界陸上参加標準記録(12秒73)突破者は現時点ではいないが、福部真子(29、日本建設工業)が昨年7月に出した12秒69の日本記録は、標準記録を上回っている。またRoad to Tokyo 2025(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)では、田中佑美(26、富士通)が25位につけている。田中は今年のゴールデングランプリ(GGP)で、12秒81(追い風0.7m)の日本歴代2位をマークした。
この種目の世界陸上出場枠は40人で、清山ちさと(33、いちご)、中島ひとみ(29、長谷川体育施設)もRoad to Tokyo 2025の40番目の選手と小差の位置にいる。日本選手権の結果次第で枠内に入るだろう。
|
|
寺田は出場枠内に入るには日本選手権後の好成績が必要だが、6月1日の布勢スプリントでは12秒85で田中を抑えて優勝した。追い風3.0mで参考記録になったが(追い風2.0mまで公認)、12秒86の自己記録を上回り、標準記録突破に手応えを得ている。
寺田が12秒97と、この種目初の13秒突破を果たしたのが19年。21年に寺田が12秒87まで日本記録を縮め、22年4月に青木益未(31、七十七銀行)が12秒86、同年7月のオレゴン世界陸上で福部が12秒82と後輩2人が日本記録を塗り替えた。福部は9月の全日本実業団陸上で12秒73、昨年7月の実業団・学生対抗で12秒69まで記録を高めている。
日本記録の上昇だけでなく、12秒台を出す選手が一気に増え、現在では7人が12秒台で走っている。関係者によれば12秒台が出たレースを一緒に走った選手が、そのリズムを肌で感じられることが大きいという。ハードル間を3歩で走るのは全選手が同じで、リズムを感じ取りやすい。そのリズムで走るための方法は選手個々で異なるが、12秒台のリズムを体感することで、どんな練習をすればいいかをイメージしやすくなる。
標準記録の12秒73は日本歴代2位相当。簡単に出せる記録ではないが、相乗効果で多くの選手が記録を伸ばしている種目。世界陸上代表内定者(標準記録を突破して3位以内)が現れることを期待したい。
その種目を牽引し続けて来た寺田とは、どんな選手なのか。高校は北海道の恵庭北高で、インターハイ100mハードルは3連勝。3年時には100mにも優勝した。指導者の中村宏之氏(今年4月に逝去)は100m日本記録保持者の福島千里ら、多くの日本トップ選手を育てた名伯楽だ。寺田は高校卒業後も北海道ハイテクACで中村氏の指導を受け続け、卒業1年目の08年から日本選手権に3連勝。08年は18歳で、この種目の史上最年少優勝者になった。09年は13秒05で2度走り、当時の日本記録だった13秒00の更新も期待されていた。
|
|
09年はベルリン世界陸上にも出場したが、その後はケガが続いて低迷。12年ロンドン五輪代表を逃し、13年には競技から引退した。陸上競技の世界から離れたかった。しかしトップ選手としての経験や引退後の生活が、寺田の人間としての幅や判断力を広げていく。14年に出産。16年から7人制ラグビーに取り組み、本気で日本代表を目指した。その間に大学院に行き、普通のOLとして仕事も経験している。
そうした経験をした上で29歳だった19年に、もう一度陸上競技で世界を目指そうと決心した。「第1次陸上競技時代」(寺田)は恵庭北高、北海道ハイテクACと、中村氏の指導で結果を出すことができた。だが29歳で陸上競技に復帰したとき、別のやり方で世界に挑みたいと考えた。家族を持つ一人の女性として育児、家事など競技以外のことを優先して行う生活環境で、同じ強化スタイルでトレーニングを行うのは不可能だった。
家庭にいるときはトレーニングはいっさい行わないが、グラウンドに出たときはその分、気持ちを切り換えて集中する。慶大の高野大樹コーチの指導を受けたが、トレーニングについて何時間も話し合った。自分が納得できる方法で進みたかった。復帰後の寺田はコミュニケーション能力を発揮し、ライバル選手たちともハードルの技術論、トレーニング論を積極的に行った。レース後の更衣室は、女子会のようなノリで陸上競技談義が繰り広げられたという。日本記録保持者の福部も低迷期があったが、寺田に相談しながら復調のプロセスを歩んだ。田中も寺田の背中を追って強くなった。
寺田が代表チームに入った頃は、選手同士が腹を割って話し合う雰囲気ではなかったという。それではせっかく代表になっても、学べるものが少なくなってしまう。「世界と比べたら女子短距離、ハードルはまだまだ力が及びません。そこに挑むには1人の力では足りなくて、日本チームとしてみんなで力を上げていかなければいけない。困っている人がいたら後押しをしたりして、みんなが代表チームで頑張る雰囲気を作りたかったんです」12秒台ハードラーが一気に増えた理由の1つに、寺田のこのスタンスがあったと、多くのハードル関係者が指摘している。
ここまで寺田は家族、指導者、陸上関係者、陸上競技以外のスポーツ関係者、ビジネス上のつながりのある人たちと、実に多くの人間と関わりを持ち、色々な側面から自身を見つめて強くなってきた。
|
|
19年以降は高野コーチの指導で復帰へのプロセスを歩み、日本記録を何度も更新した。しかし今シーズン、ハードル間の走りを見直す必要を感じたとき、中村氏の教えがヒントになると思い浮かんだ。「この冬にひたすら考えました。私はピッチ型ではなくストライド型で、中村先生はその特徴を生かした練習方法を考えてくれました。実際にハードル間を走るときにストライドを長くしたら踏み切りがハードルに近くなりすぎてしまうのですが、ストライドを生かすことでゆったりだけど速い走り方ができると思いました。ハードル間を刻むときに、休んでいるけど速くなる感覚です」
寺田は中村氏の見舞いに2度行っている。会話はできなかったが中村氏の顔を見ながら、高校と北海道ハイテクACでやっていた練習を思い出し、中村氏が寺田のために組んだ練習方法の意味を今の課題に当てはめて考えてみた。「高野さんの練習も重要視していますが、中村先生が私にやらせたかった走り、考えていた寺田明日香像を考えてみて、今の練習に取り入れました」
細かい説明は省くが、寺田はハードル間を楽に走ることで、ハードリングタイムの短縮につなげようとしている。ハードリングタイムとは踏み切って、ハードルを越えて接地するまでの所要時間である。代表を目指す最後のシーズンに、一度は袂を分かった恩師の教えを取り入れる。世界を狙う最後のシーズンはまさに、多くの人と関わってきた寺田の集大成にふさわしいシーズンになる。
関わった人がエネルギーとなるということでは、愛娘の果緒ちゃんの存在は欠かせない。陸上競技に復帰してオリンピックに出場する夢は、21年の東京五輪出場で実現させた。だがコロナ禍で無観客での開催になり、果緒ちゃんに自身がオリンピックを走る姿を見せられなかった。「東京世界陸上に出て、国立競技場を走っている姿を果緒に見せる」
母として、アスリートとしての思いが、世界陸上代表を狙う寺田を突き動かす。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
*写真は左から福部真子選手、寺田明日香選手、田中佑美選手