東京ヴェルディ・アカデミーの実態
〜プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第3回)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。この連載では、その育成の秘密に迫っていく――。
今季から新たに東京ヴェルディユースの監督に就任した小笠原資暁は、今年でクラブ在籍19年目を迎えた。
小学生向けサッカースクールのコーチとして、小笠原がヴェルディに加わったのは、2007年のこと。気がつけば、アカデミーに携わるコーチングスタッフのなかでは、アカデミーダイレクターの寺谷真弓に次いで最古参になっていた。
そんな育成年代のエキスパートもまた、トップチームが長らくJ2を抜け出せずにいたことの影響を、はっきりと感じていたひとりである。
|
|
「昔は、このあたりの地域でトップの選手が(ヴェルディのアカデミーに)来てくれたけど、ここ何年かはそのブランド力がなくなって、1番手や2番手の選手に声をかけてもなかなか来てくれない。3番手とか、4番手とか、そういう選手たちが来てくれる、という状況でした。なので、入ってきた時点での選手のクオリティとしては、昔とはかなり違う状態にはなっていたと思います」
それは、小笠原がヴェルディにやって来た当初から、すでに兆しが見え始めていたものでもある。
小笠原がサッカースクールの活動の一環として、地元の小学校でサッカーに触れてもらう学校巡回をしていたときのことだ。児童を前に「東京ヴェルディを知っている人?」と問いかけても、ほとんど手が挙がらなかった。
「昔だったら、みんな手を挙げてくれていたと思うんですけど......、そんな状態でしたから」
たとえば、1994年生まれの中島翔哉がヴェルディのジュニアチームに所属していた頃は、まだトップチームがJ1にいた時代だった。だからこそ、中島のような逸材もヴェルディにやって来たのかもしれないが、「山本理仁とか、あの年代が(1番手の選手が来てくれた世代の)最後ぐらいだと思います」とは、小笠原の肌感である。
|
|
「その前後ぐらいから、森田晃樹の代もそうだし、その上の谷口栄斗の代もそうだし、ちょっとずつこう......、薄くなってきたなっていう感じはありました」
と同時に、2014年を最後にユースチームが、高校年代の最高峰リーグに位置づけられる高円宮杯U−18プレミアリーグから降格したことも、見過ごせないハンデとなっていた。
小笠原が語る。
「ジュニアユースからユースに上がるところでのスカウトでも、うちには来てくれなくて、よそへ行っちゃう選手は多かったですね。やっぱりいい選手はプレミアでやりたいって思うだろうし、去年声をかけた選手も、結構来てくれない選手が多かったです」
今季、ヴェルディのトップチームには、10人のアカデミー出身選手が登録されているが、そのうち2人がジュニアユースから、残る8人はジュニアからのヴェルディ育ちである。
|
|
その事実は、子どもたちの年齢が上がれば上がるほど、ヴェルディの人材獲得が難しくなっていることを、図らずも示しているのかもしれない。
とりわけ関東エリアは、多くのJクラブがひしめき合う全国屈指の激戦区だ。なかでもヴェルディが活動拠点を置く東京都西部は、FC東京、FC町田ゼルビアはもちろんのこと、神奈川県に位置する川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、横浜FCなども、アカデミーの選手獲得においては競合相手となる。このエリアは人口も多いが、同時に争奪戦も激しい。
ヘッドオブコーチングの中村忠も、こう語る。
「子どもたちがヴェルディに目を向けて入ってくる要素のひとつとして、当然トップチームがJ1にいることが一番大きな要素になると思うんですけど、ユースに入ってくる選手に関しては、プリンスよりプレミアでやりたいっていう選手が当然多い。ジュニアユースも同じで、関東1部リーグでやっていたほうがいい。やっぱり選手も親も、できるだけ強いところでやりたいですからね。
それに、やっぱりプレミアでやることで、当然プリンスより試合のレベルの平均値が高くなるので、選手の伸び率が上がる、ということがあるのではないかなと思います」
中村は、FC東京のユースチームで監督を務めていた時代に、プレミアリーグとプリンスリーグの両方を経験した。「個人的にはプリンスのときのほうが、いろんな色のあるチームと対戦できて楽しかった」と振り返るが、それゆえ、現実もよく理解している。
「クラブとしては当然、トップリーグ(であるプレミアリーグ)でやっていたほうが、外の人の目を向けさせるという意味では大事なこと。それはしょうがない部分かな、と思います」
(文中敬称略/つづく)東京ヴェルディのアカデミー出身者が他クラブでも活躍できる理由>>