
高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第14回
オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第14回のテーマは「福良淳一(現・オリックスゼネラルマネージャー)」。2018年に監督・コーチの関係で仕えた福良氏の温かみのある人柄や、GMとしての編成手腕について語ってもらった。
【山本由伸のセットアッパー起用】
── 高山さんは2016年から中日で2年間コーチを務め、2018年にオリックスに3年ぶりに復帰しています。どのような経緯だったのでしょうか。
高山 オリックス側から打診があり、球団間で話していただいているという経緯を聞き、私も悩みました。最後は、森繁和監督(当時)が背中を押してくださり、オリックスにお世話になる決断をさせていただきました。当時、フェニックス・リーグが始まって、宮崎に滞在していた時期でした。
── 当時は福良淳一監督(現・GM)の体制でした。コーチに就任するにあたって、どんな課題があったのでしょうか。
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高山 平野佳寿のメジャー移籍もあり、セットアッパー、クローザーの確立が喫緊の課題だったと思います。幸い、クローザーとしての実績がある増井浩俊の(日本ハムからの)FA移籍がありましたが、セットアッパーの不在が福良監督の悩みの種だったと思います。もちろん、そう簡単に務まるポジションではないので、当然だと思います。そこで提案されたのが、山本由伸(現・ドジャース)のセットアッパー起用と、その可能性でした。
── 当時は高卒2年目の若手でした。
高山 じつはこの案件、開幕直前に急遽ということではなく、前年の秋季キャンプから福良監督のなかで熟考され続けていたことだと思います。結論は、条件付きではあるものの、由伸をセットアッパーにすることでペナントレースに入りました。チームのウィークポイントをストロングポイントに変えることと、由伸本人のスキルアップを目的としていました。
── 「条件」とは何ですか?
高山 今シーズン限定のリリーフ。原則8回の1イニングを2連投まで。そして、球数が30球を超えた翌日のゲームは、本人、トレーナーの意見を尊重する形をとりました。
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── 今やメジャーリーガーとして活躍している山本投手ですが、プロ2年目の2018年は54登板で4勝2敗32ホールド、防御率2.89を記録しています。今にして思えば、この年に実戦経験を積めたことが後年に生きたようにも映ります。
高山 それは本人に聞いてみないと何とも言えませんが(笑)。ただ、試合終盤のしびれる場面を数多く乗り越え、チームに勝利を呼び込んだ自信は、揺らぐことはないと思います。そして、あらためてリリーフの大変さや重要性を体感したことによって、先発投手としての責任感がより強く増したと思います。それが大エースに成長してほしいと願う、福良監督の狙いだったと思います。
── 8回の起用にこだわったようですが、8回は起用しやすいのでしょうか?
高山 比較的、継投の決断がしやすいイニングです。ゲームが動きやすい5、6、7回を担当するリリーフは、気持ちと肩のつくり方が非常に難しい、タフな仕事になります。由伸は基本的に、同点か僅差の勝ちゲームでの仕事になりましたが、ブルペンにGOサインを出したら、多少追加点が入っても一発でマウンドに上げました。何度もつくらせることは避け、無駄な消耗をさせないことを心がけていました。
【変わらぬ人柄と強い意志】
── 今後も「8回」は有望投手の起用プランのひとつになるかもしれませんね。ところで、福良監督とはそれまでに接点はあったのですか?
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高山 福良さんが日本ハムでコーチをしていた時に、試合前のグラウンドレベルでご挨拶させてもらう程度でした。
── 実際に接してみて、どんな監督でしたか?
高山 2014、2015年にはヘッドコーチ、監督代行として仕事をご一緒させていただいていました。監督になられても当時と何も変わらず、偉ぶるわけでもなく、そのままの福良さんでした(笑)。コーチ、選手、スタッフの意見には、真剣に耳を傾けてくださり、監督としての強い意志もある。仕事のしやすい環境をつくっていただきました。
── 福良さんを慕う関係者は多いですね。
高山 福良さんの人間性がすべてじゃないですか。言葉数は決して多い方ではないですが、些細な相談でも練習でも、親身になって付き合ってくれる方です。私は2015年、森脇浩司監督がシーズン途中で退任された時、森脇監督から誘ってもらった身としては球団に残る選択肢はありませんでした。しかし、監督代行になった福良さんから「待て、早まるな」と声をかけていただいて。すごくうれしかった記憶があります。
── 2018年は4位に終わり、福良監督が退任。2019年、2020年も最下位と、苦しい状況が続きました。
高山 正直、福良監督の退任はショックでしたし、まだまだ現場で一緒に戦いたいという思いが強かったです。
── そんななか、山岡泰輔投手が中心投手として活躍し、2019年には13勝と獅子奮迅の働きを見せています。
高山 その年は、最高勝率のタイトルを獲りましたし、シーズンフルで頑張ってくれました。プロ野球選手としては、決して恵まれた体とはいえないですが、並進運動する際の左足の使い方が独特で、推進力とねじりを生み出しながら、小さなエンジンでも質の高いボールを投げ分けます。キレている時のスライダーは、打者からすると「接点がない」と感じるはずです。
── また、福良監督は退任後、GMとしてチーム編成に尽力しています。福良GMになって、チームに変化は感じましたか?
高山 ドラフト会議の指名選手を見ても、以前までよく指名していた社会人の選手の比率が下がったように感じました。即戦力を獲得することはもちろん大事ですが、素材型の選手を数年かけて育てることも大事。福良さんがGMになってから、チームとして目指すべき方向性が明確になったように感じます。
── 素材を育てる重要性はわかっていても、実際には育てられる球団と育てきれない球団に分かれるように感じます。両者の違いはどこにあるのでしょうか。
高山 想像は何となくできますが、その違いはよくわかりません。オリックス球団は福良GMが先頭に立ち、フロントと現場が一枚岩となって「勝利と育成」の両立に向け、突き進んでいることは確かだと思います。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した