巨人・戸郷はこのまま終わってしまうのか?「上原、内海、菅野」が持っていて「木佐貫、東野、澤村」が持っていなかった“エースの条件”

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2025年07月14日 16:11  日刊SPA!

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「エース」とは何か。単なる勝ち頭のことではない。巨人軍という“特別な球団”において、エースとはチームの精神的支柱であり、勝利を義務づけられた象徴である。そして、その“巨人のエース”に名を刻む者たちは、不思議と共通の運命を辿っている。
それは、一度は調子を落とし、挫折を経験しながらも、そこから再び這い上がり、信頼を勝ち取ってきたということ。一方で、期待されながら道半ばで終わった者たちも少なくない。この分岐を決定づけたものは、何だったのか? 21世紀以降でエースと称された選手の足跡をたどりながら、それぞれの“落ち方”と“戻り方”を見ていこう。

◆上原浩治 ― 完成されたルーキーが知った挫折

1999年、大学からプロ入りした上原浩治は、1年目にして20勝、179奪三振、防御率2.09を記録。沢村賞、新人王、最多勝、最多奪三振を獲得。まさに圧倒的なデビューだった。

だが、2000年、2001年は登板数こそ多かったが、肝心の防御率が悪化。ルーキーイヤーの疲れに加え、打者に研究されたことで、ストレートとスライダー主体の投球が通用しづらくなっていた。試合中に制球を乱す場面も増え、順風満帆なキャリアにはじめて陰りが差した。

この年を境に、上原はフォームの改良に取り組む。その結果、ルーキーイヤーに数々の打者から空振りを取っていた手元で伸びるストレートが蘇り、2002年には17勝、防御率2.60で2度目の沢村賞に輝いた。さらに、この年はチームをリーグ優勝、日本一に導いた。その後も、巨人のエースはもちろん、2007年は抑えとしても活躍を見せた。さらに、国際大会では、松坂大輔と並んで先発陣を牽引。無敗を記録した。

上原がエースとして安定して活躍していた時期に、木佐貫洋という“もう一人のエース候補”も存在した。2003年にルーキーイヤーで10勝を挙げ新人王に輝いたが、翌年以降は肘や肩の故障に苦しみ、一軍定着に苦しむ日々。上原と木佐貫──彼らの差を分けたのは、落ちた後の再起力だったのではないか。

◆内海哲也 ― 選手寿命を延ばした継続性

内海哲也は、2004年に社会人からプロ入り。上原の次世代を担うエースとして期待された。2006年に12勝を挙げて頭角を現すと、2007年には開幕投手を任され、最終的には14勝、180奪三振を記録し、最多奪三振を獲得。名実ともに“エース”としての地位を確立した。

しかし2010年、突如として不振に陥る。打ち込まれる試合が続き、最終的には防御率4点台に終わる。

内海は新たにフォークを取得し、それを武器に安定感が戻っていった。その結果、2011年には18勝、防御率1.70と完全復活を遂げた。さらに、2012年には15勝を挙げ、リーグ優勝、日本一に導いた。

同時期、ローテーションに並んでいた東野峻は、2010年に13勝を挙げ、次期エースとまで言われたが、翌年には成績が急降下。フォームの不安定さやメンタルの浮き沈みを克服できず、第一線から離れていった。

内海の強さは「活躍し続ける創意工夫」を怠らなかったことにある。全盛期が短命で終わりがちな現代野球において、「長くローテにいる」という意味でも、“真のエース”であった。

◆菅野智之 ― 2010年代最強エースの光と影

2013年、巨人にドラフト1位で入団した菅野智之。プロ初登板から勝ち続ける姿に、「10年に1人の完成形」と称された。ルーキーイヤーから活躍を見せていたが、真のエースと呼べた2017年には17勝、防御率1.59で沢村賞を受賞、2018年にも15勝、200奪三振、防御率2.14で2度目の沢村賞に輝いた。

しかし、2019年はコンディション不良や球速低下により、防御率3点台後半、被本塁打の増加など明らかな不調に苦しんだ。特に、以前のような150キロ超のストレートで押す投球は影を潜め、投球テンポの悪さも目立った。

菅野はここでフォームと役割の見直しを図った。球威が戻り、変化球の精度の高さを活かし、駆け引きを中心に据えた技巧派へのシフトチェンジ。特にスライダーとカーブの使い分け、ストレートの見せ球化など、再構築の工夫が随所に見られた。その結果、2020年には開幕13連勝を記録し、“絶対的エース”として君臨した。

その後数年間は、衰えが顕著に現れたが、2023年後半から球威が戻ったことや、フォークをうまく活かすピッチングスタイルになったことにより、内容が安定し、再び高いパフォーマンスを残し、2024年は3度目のMVPに輝く。

一方、2011年にルーキーながらも二桁勝利、200イニングを記録した澤村拓一もまたエース候補として期待されたが、先発としては安定感を欠いた。パワーと気迫に満ちた投手だったが、エースとしての“安定感”と“修正力”では菅野に一歩及ばなかった。

◆戸郷翔征 ― 若き継承者の今後はいかに

2020年代、次なるエースの座を巡る戦いの中で最前線に立つのが戸郷翔征だ。高卒2年目で開幕ローテ入りし、2020年、2021年には9勝を挙げる。

だが、その2021年、夏場以降は中5日、中4日に耐えられず打ち込まれる試合が増加。試合を“支配できないエース”としての課題が浮き彫りになった。防御率も4点台と伸び悩み、周囲の期待とは裏腹に“停滞期”を迎えた。

その状況で戸郷は翌2021年オフ、ピッチングスタイルや力感などを改良し、スライダー・スプリットの精度が向上。リリース時のブレを抑え、無駄な力みを減らすピッチングスタイルに改善。2022年には初の二桁勝利、最多奪三振を記録。2023年、2024年も二桁勝利を記録し、8回・9回まで試合を作る投球が増え、“エースらしい内容”が整ってきた。とくに、2024年5月24日の阪神戦で、ノーヒットノーランを記録した。

しかし、今シーズンは開幕から球威不足で打ち込まれるケースが目立ち、2度の2軍落ちを経験し、苦しんでいる状況だ。しかし、かつての上原、内海、菅野がそうであったように、戸郷も「一度落ちて、戻ってくる」新たなピッチングスタイルを確立することにより、エースへの扉が開かれるはずだ。これは、若き継承者が持つ“復元力”の証明でもある。

◆エースの条件とは──「復調できる者」が継承者になる

上原、内海、菅野に共通するのは、「落ちたあと、自分を再構築できた」という点だ。フォーム、配球、役割、マインドセット……。彼らは自らの弱点に向き合い、変化を恐れず、投球を進化させた。

一方、木佐貫、東野、澤村も十分な実力を兼ね備えていた。だが、怪我や環境の変化、不調からの脱却という“第2のハードル”を越えることができなかった。

巨人のエースとは、継続して活躍することである。そして、一度落ちても戻ってこれる胆力こそが、その座を継承するための必須条件なのだ。

戸郷が復調し、2020年代の巨人を引っ張っていけるのか——。それは彼がどう立ち上がるかにかかっている。

<TEXT/ゴジキ>

【ゴジキ】
野球評論家・著作家。これまでに 『巨人軍解体新書』(光文社新書)・『アンチデータベースボール』(カンゼン)・『戦略で読む高校野球』(集英社新書)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブンなどメディアの取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。日刊SPA!にて寄稿に携わる。Instagram:godziki_55
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