
西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第57回 ウスマン・デンベレ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今回は今連載2度目の登場、パリ・サンジェルマンのウスマン・デンベレを取り上げます。まさに覚醒と言うべき進化で、半年前とは別人のように変貌したプレーぶり。その進化した攻守の中身を紹介します。
【得点をもたらす守備】
これほど変貌した選手も珍しいのではないか。ウスマン・デンベレは半年前とは別人のようになっている。
緩急の効いたドリブル、両足を同じように使い、シンプルな切り返しだけで通用してしまう。しなやかなフォームから繰り出すシュートは強烈、パスのうまさも格別。このあたりはずっと同じなのだが、変化したのは守備である。
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見違えるように献身的に守備をするようになった。チャンピオンズリーグ(CL)決勝では二度追い、三度追いでインテルのビルドアップを機能不全に追い込み、パリ・サンジェルマンの初優勝をもたらすキーマンだった。クラブワールドカップ準決勝のレアル・マドリード戦でも、最初の2点はデンベレのプレッシングによるもの。
6分、右サイドのデジレ・ドゥエの低いクロスボールをレアル・マドリードのセンターバック、ラウル・アセンシオがカットした。そこへすかさずデンベレが寄せ、慌てたラウル・アセンシオのキックをブロック。奪ったデンベレがGKティボ・クルトワをかわし、ファビアン・ルイスが至近距離から押し込んで先制している。
続いて9分、デンベレに詰められたアントニオ・リュディガーがまさかのキックミス。空振りに近いミスキックを拾ったデンベレが独走して2点目。
このふたつのゴールはデンベレの守備がなければ何も起きなかった。ラウル・アセンシオともリュディガーのもミスは起こりえなかった。CL決勝のインテルもそうだったが、デンベレにプレスされると相手は必ずパニックに陥っている。
予想外に速いのだと思う。速いのはわかっているが、体感すると予想外に速い。これはセルティックで大活躍だった前田大然と同じで、デンベレや前田が視界に入ってから何かしようとしても手遅れになるくらい速く、「まずい」と感じた時はもう遅い。スプリント能力の高いFWが本気でプレスすると、どのくらい効果があるのかがよくわかる。
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【ストライカーの守備免除の慣習を打ち壊す】
しかし、レアル・マドリードのキリアン・エムバペとヴィニシウスはデンベレのような守備をしていなかった。このふたりのスピードも別格なのだが、それを守備面で生かすことが全くと言っていいほどできていない。
武器にできる能力があるのに使っていない。ただ、これは珍しいことではなく、むしろ能力の高いFWほど守備をしないもので、デンベレや前田のほうが珍しいのだ。リオネル・メッシはある時期から全くと言っていいくらい守らなくなっている。守備に使うエネルギーを温存することで攻撃の爆発力を残し、90分間フィールドにいることを優先している。メッシほど極端でなくても、ストライカーの守備免除は多くのチームで暗黙の了解になっていた。
だが、デンベレはその慣習を打ち壊そうとしている。前記のインテル戦、レアル・マドリード戦で、その効果は明らかだ。今や、デンベレと言えばプレスの人というイメージになっているが、わずか半年ほど前はそうではなく、むしろデンベレは怠惰な選手の代表格でさえあった。ルイス・エンリケ監督が意識を変えたのは間違いない。けれども、意識の違いだけではないと思う。
デンベレがプレスしても味方がそれに呼応してくれなければ徒労に終わる。無駄なことを繰り返して消耗したい選手はいない。PSGはデンベレ以外の選手たちも素早く相手をマークしていて、デンベレのプレスが無駄になることはない。チーム全体で前向きに守備をする戦術が徹底されているからデンベレのプレスに効果があり、成功体験があるからデンベレもプレスを続けるという好循環が生まれているのだ。
逆に、PSGは相手のハイプレスを無効化するのもうまく、エムバペやヴィニシウスの周囲でわざとパスを回して追わせていた。徒労感を植えつけ、守備をしても無駄だと思わせている。
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24分には、レアル・マドリードが珍しくハイプレスしようとしたところを外してカウンターを仕掛け、ファビアン・ルイスが決めて3−0。早々に試合を決めてしまった。
【自由人かつ規律の人】
デンベレの変化は攻撃面でも顕著だ。2024年までの定位置は右ウイングだったが、2025年からはセンターフォワードに変わっている。そして偽9番として新境地を拓いた。
味方がビルドアップを開始した時のデンベレは、たいていオフサイドポジションにいる。そこから下りてきてクサビのパスを受けてフィニッシュへの流れを作るプレーが得意だが、そのまま相手DFの背後に居続けることも多い。
DFの背後にいるデンベレが狙っているのは、DFの手前のスペースだ。
PSGがボールを運んで仕掛けていく状況になると、相手DFはそれに合わせて後退する。そのタイミングでデンベレは下がるDFと入れ替わるようにDFの手前に移動する。動きの方向が違うので、タイミングよくパスが来ればDFと距離をとることができる。デンベレの技術からすればワンタッチで前を向くのは難しくない。
ゴール前30〜40メートルで前を向けば、デンベレは何でもできる。ドリブルで仕掛けてシュートへ持っていけるし、味方にラストパスを送るのもうまい。
サイドへ流れた時も、デンベレがいるのはオフサイドぎりぎりの場所だ。中央にいる時のように明らかなオフサイドポジションではないが、DFラインと並ぶところに立っている。ここから裏を狙う、あるいは引いて右サイドバックのアクラフ・ハキミと連係する。
右ウイングだった時のデンベレも、ずっと右に開いてはおらず、中へ入っていくことがほとんどだった。右サイドの幅をとるのはハキミの役割で、PSGは押し込んだ場合には前線に6人を配していた。3トップと2人のインサイドハーフ+ハキミの6人なので、5レーンの原則からするとひとりが余剰になる。そのひとりがデンベレで、自由に浮遊しながらチャンスを創出していた。すでにこの頃から偽9番的なプレースタイルだったわけだ。
いわば偽7番だったデンベレが偽9番に定着したのは、フビチャ・クバラツヘリアの加入とドゥエの台頭が大きい。前線に人が揃ったことでハキミが常時右へ進出する必要がなくなり、デンベレはひとつ手間を省略して最初から中央で自由人として振る舞うようになった。
偽9番のデンベレはより自由になり、同時に献身的な守備でプレスのスイッチを入れる規律の人にもなった。以前よりデンベレらしさが発揮され、同時にかつてのデンベレとは思えない攻守のリーダーに変貌している。もともとスーパーな能力を持っていた選手が、さらに大きく変貌。ここまで覚醒した例もないのではないか。
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