大船渡OB柴田貴広さん、佐々木朗希に代わり託されたマウンドで得た経験語り全国の球児へエール

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2025年07月17日 05:01  日刊スポーツ

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大船渡OBの柴田貴広さんは職場で全国の球児へエールを送った

大船渡が岩手大会2回戦で専大北上に0−1と惜敗した。同校OBの柴田貴広さん(24=オープンハウス)は、3年夏の岩手大会決勝で、佐々木朗希(ドジャース)に代わって先発マウンドを任されるも、6回9失点で甲子園を逃した。敗北を知り、喪失を知り、悔しさとともに歩んできた柴田さんが、後輩たちへ、全国の球児へエールを送った。


◇  ◇  ◇


19年夏、岩手大会決勝。柴田さんは花巻東を相手に先発マウンドを託された。注目を集めた佐々木朗希投手はベンチに控え、代わってマウンドに上がった右サイドスローは、先頭打者に三塁打を浴びた。「最初の入りで流れが変わってしまった」。その後の四球、守備の乱れも重なり、6回9失点。「毎イニングごとに交代してくれと思っていた」と、苦しみとともに甲子園への道は閉ざされた。


試合後、佐々木から「気にするな」と声をかけられたが、自分を責める気持ちは消えなかった。「あの試合は自分の責任。申し訳ない気持ちしかなかった」と振り返った。


柴田さんの人生には、もうひとつ忘れられない「あの日」がある。11年2月、9歳の時に父憲広さんが肝臓がんで他界した。漁師だった父の背中は、今でも鮮明に覚えている。1カ月後の3月11日、東日本大震災が東北を襲った。海から徒歩1分の場所にあった自宅は津波で流され、母、姉とともに体育館に避難した。「野球道具も全部流されてしまったけど、辞めようとは思わなかった」。


高校卒業後は大東文化大で野球を続け、新卒でオープンハウスに就職した。2年目の今年は営業成績を順調に伸ばし、役職も昇進した。「幼い頃からお金に困らない大人になりたいと思っていた」。ひとり親家庭での苦労や、奨学金を背負って大学に通った経験が、働く原動力となっている。


営業で「結果にこだわる」姿勢は、あの決勝での敗戦から学んだ。「高校の時、『佐々木だけのチーム』って言われるのが本当に悔しかった。決勝に行っただけじゃ意味がないと思った。勝たなきゃだめだと。その気持ちが今の仕事にも生きてます」と言い切った。


現在、母祐子さん(48)は地元、三陸綾里で1人暮らし。介護職を続けている。柴田さんは将来、「母に家を建ててあげたい」と言う。姉と協力し、仕送りも継続する予定だ。「母には働かなくてもいいよと言えるようにしたい」。


佐々木朗希選手とは今も連絡を取り合う仲だ。IL入りしたが、「僕たち同級生は心配していない。高校時代からマイペースで、しっかり自己管理できていた。数年後にはチームを引っ張る存在になると信じている」とエールを送った。


そんな柴田さんから、全国の高校球児へメッセージがある。「甲子園に行けるかどうかはもちろん大きい。でも目の前のチームメートと今、野球ができること自体がすごく幸せなことなんです。やり切ったと思えるまで、燃え尽きてください。高校野球の経験は、絶対に社会に出てからも生きる。僕がそうでしたから」。


9歳で父を亡くし、津波で家を失い、高校最後の夏に夢がついえた。それでも野球を続け、社会人として結果を出し、母に家を贈ろうと働いている。柴田さんの人生は、「勝ち続けた」物語ではない。だが、「負けから逃げなかった」という確かな足跡が、今を支えている。【鳥谷越直子】

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