【高校野球】中学時代に日本一となった日大鶴ヶ丘のエース・住日翔夢が逆境を強みに変えて進化 亡き恩師に誓う甲子園とプロ入り

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2025年07月17日 07:10  webスポルティーバ

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 小・中学生の時に結果を残していた選手が、高校入学以降に伸び悩むケースは少なくない。これは野球に限った話ではなく、成長のタイミングの違いやケガなど、さまざまな理由がある。一方で、そうした早期の経験を生かし、強い意志を持って着実に成長を遂げる選手もいる。

 日大鶴ヶ丘の左腕・住日翔夢(すみ・ひとむ)は、まさにその代表的な存在だ。

【日大鶴ヶ丘を選んだ理由】

 東京都江戸川区出身で、中学時代は屈指の強豪校・上一色中でエースとして活躍。毎年夏に横浜スタジアムで行なわれる全日本少年軟式野球大会で優勝を果たした。初戦では大阪桐蔭のドラフト候補右腕の森陽樹(当時・聖心ウルスラ学園聡明中)にも投げ勝っている。だが、当時から力強いストレートを投じていた森とは対照的に、住は投球術に長けた軟投派だった。

 日大鶴ヶ丘の萩生田博美監督も「カーブのコントロールや投球のリズムがいいなと思いました」と長所を感じた一方で、こんな思いも抱いていたという。
 
「(入学当初は)身長も170センチくらいしかなかったし、こじんまりとした投手になりかねないな......とも思いました。なにせ出力がなかったので3年間鍛えないといけないなって」

 数ある選択肢のなかから、夏の甲子園出場3回を誇る杉並区の日大鶴ヶ丘を選んだのには、明確な理由があった。

 現在は克服しつつあるものの、乳製品へのアレルギーを持っていたため、寮生活ではなく自宅から通え、さらに「投手育成に定評がある」高校を探した。

 その結果、NPBでプレーする勝又温史(DeNA/入団時は投手で現在は外野手)や赤星優志(巨人)、侍ジャパン社会人代表の秋山翔(三菱自動車岡崎)ら好投手を輩出してきた実績のある同校を選んだ。

 日大鶴ヶ丘の平日の全体練習時間は3時間ほどしかなく、さらに通学にも時間を要するため、公私とも野球に打ち込める寮生活に比べれば、決して充実した環境とは言えない。それでも住はこれを強みに変えた。練習後は初動負荷のジムに通い、自宅では入念なストレッチで柔軟性を養った。

 また、自身の体質ゆえに食事や栄養素へのアンテナは一般の高校生より張っていたため、乳製品の入っているプロテインではなくチキンバーや豆乳でタンパク質などを積極的に摂取。トレーニングとともにフィジカル強化の支えにした。

【卒業後の進路はプロ一本】

 さらに身長も10センチ近く伸び、現在は179センチに。もともと備えていた技術力の土台にパワーが加わったことで、ボールのキレや角度も飛躍的に向上した。

「もともとコントロールのいい子は、自信を持って投げられるから、フィジカルの向上とともにグンと伸びてくる。いい循環が始まるんでしょうね」と、萩生田監督も住の成長に目を細める。

 ストレートの最速は夏を前に143キロまでアップ。変化球も多彩で、縦と横2種類のスライダーを軸に、カーブ、チェンジアップ、カットボールを自在に操る。「投手育成に定評がある」と聞いていたとおり、日大鶴ヶ丘での指導によって住の技術力はさらに磨かれていった。

 近年では、前述の選手たちに加え、小針大輝(DeNA外野手)も昨年の育成ドラフトで指名されプロ入りを果たすなど、日大鶴ヶ丘からプロへ進む選手が増えている。萩生田監督は「先輩たちの姿を間近で見られることは大きい」と精神面の成長に触れつつ、自身の指導スタイルも変化してきたことを明かす。

「かつては組織力に重点を置いていましたが、プロ野球のキャンプを見に行くようになってからは、『個人技がないと上の世界じゃ通用しないな』と思うようになりました。たとえば、秋の大会が終わったら、コーチも増えたので全体は彼らに任せて、軸になる選手をつきっきりで指導するようにしました。それがチームのためにもなると思って」

 その恩恵を、住も存分に受けた。

「体づくりの段階から見てもらって、フォームがどんどんよくなってきました。技術がここまで向上したのも、監督さんのおかげです」

 萩生田監督は「ゆっくりではありますが、大きなケガもなく、右肩上がりの成長を続けてくれています」と語り、その将来性に太鼓判を押す。

「まだまだ伸びしろがあります。筋肉もインナー、アウターともにまだまだですし、みっちりトレーニングに積んでいければ、もっとよくなるでしょう」

 進路についても、住は「幼い頃からプロ野球選手になるという夢を追いかけてきたので、ここまでレベルを上げることができた今、もっと高いレベルで自分がどこまで通用するのか試してみたいと思いました」と話すようにプロ一本に絞った。

 萩生田監督も「保険をつくるくらいなら、最初から大学に行けという方針です。自信や覚悟がないと通用する世界ではありませんから」ときっぱり。そうした指導方針のもと、いわゆる"プロ待ち"の進路はせず、たとえ育成指名でもNPBに進むという強い覚悟を固めた。

【亡き恩師に誓う2つの夢】

 そしてこの夏、住には活躍することで恩返ししたい人がある。公立の上一色中を全国屈指の強豪に育て上げた名指導者であり、住の恩師である西尾弘幸さんだ。

 西尾さんは4月末、膵臓がんにより67歳で他界。住も大きなショックを受けたが、「試合での投球術やテンポの大切さを教えてもらいましたし、人間的な部分でも"徳を積む"ことの大切さを学び、それが試合に出るということを教えてもらいました」と、恩師の教えを今も心に刻んでいる。

 そして今、「甲子園出場」と「プロ入り」という2つの夢を、天国の西尾先生に届けたいと思っている。

 中学時代の実績におごることなく、持病や環境といった"ハンデ"も言い訳にせず、むしろ強みに変えてきた住日翔夢。地道に積み重ねてきた努力を胸に、最後の夏で真価を発揮し、チームと自身の未来を切り拓いていく。

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