
中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(6)
(対談5:中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最後のホームランに「ありがとう、シノ」>>)
芸術的なバットコントロールと守備で活躍した篠塚和典氏と、"絶好調男"などの愛称で親しまれた中畑清氏。選手としてだけでなく、コーチとしても巨人で活躍したレジェンドOBふたりに、入団当初から驚かされたという松井秀喜氏の印象を聞いた。
【松井秀喜は1年目から規格外だった】
――おふたりは巨人で長年コーチを務められ、多くのバッターを見てこられましたが、一番すごさを感じたバッターは?
中畑清(以下:中畑) ゴジ(松井秀喜氏の愛称"ゴジラ"の略)じゃないかな。シノはどう?
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篠塚和典(以下:篠塚) ゴジはあまり関わっていないんです。僕は(阿部)慎之助ですね。(高橋)由伸もすごかったですが、慎之助は変わり方が想像以上でした。ずっと見ていましたが、あそこまで進化するイメージはなかったので。センスもあるでしょうし、本人の努力が大きいと思います。ましてやキャッチャーでリードの勉強もたくさんしなければいけないなか、あれほどのバッティングをしていたのはすごいですよ。
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中畑 引退したシーズンの最後に打ったホームランも、狙って打っていたからね。かっこいいよね。
篠塚 ゴジが1年目の時の、春季キャンプでのフリーバッティングはすごかったですよね。
中畑 場外に消えていった打球が何本かあったよな。特に宮崎市営球場(現ひなたひむかスタジアム)のライト後方の高さ約15メートルの防風ネットを越える、150メートル弾はすごかった。あれを越えるバッターってほとんどいないんだよ。あと、振り遅れて流し打った打球がレフトスタンドに入っちゃったりね。
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篠塚 素振りなんかを見ていると、重くて鈍いスイングに見えるんですけどね(笑)。ただ、バッターボックスに入ると、また違うスイングになりますよね。
中畑 ボールがくると変わるんだよな。
篠塚 ネクストサークルでのスイングはマネできないですよね。
中畑 あれは教えられない。スイングの音が鈍いし、動きがギクシャクしているんだよな。それが、ボールがくると力感のないスムーズなスイングになって、ボールがピンポン玉のように飛んでいく。彼の世界のバッティングなんだろうね。"ゴジラ打法"と名づけてもいいかもしれない。
篠塚 ゴジはガツンと打つタイプですよね。
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中畑 あまり見たことないタイプだよな。
【すり足打法の指導で中畑も四苦八苦】
――松井さんは日本、メジャーでも長く活躍しましたが、若手時代からそんなイメージはありましたか?
中畑 いや、あれほど順調に伸びた選手もいないんじゃないですか。スランプらしいスランプがなく、毎年数字を伸ばしていきましたから。
篠塚 入団間もない頃のゴジとは接する機会がなかったので、技術面など詳しくはわかりませんが、確かに数字は順調に伸ばしていきましたよね。
中畑 当初のゴジは"一本足打法"だったんだけど、"すり足打法"に変えさせたいと考えたミスター(長嶋茂雄氏)が張本勲さんを呼んだ時があったんだ。確か、ゴジが2年目のシーズンを迎える前のキャンプだったと思う。でも、ゴジは1年目にホームランを11本打っていて、ある程度の手ごたえをつかんでいたんだよ。
スランプで悩んでいる時はそういうアドバイスに聞く耳を持つことがあっても、「プロでやれる」と前向きになっている時だったし、張本さんもそのことがわかるから悩んでいたわけ(笑)。ミスターは、ゴジにすり足打法をやらせたら成功する、という信念を持っていたから張本さんを呼んだわけだけど、タイミングが最悪だった。ミスターが急に呼ぶもんだから(笑)。
篠塚 当時コーチだった中畑さんは、ゴジと張本さんの狭間で大変だったんじゃないですか?
中畑 俺の立場っていうのもあるじゃない。ゴジには「やめてくださいよ」って言われるしさ。ただ、ゴジにはすり足打法が合うと自分も思っていたし、伝えることは伝えたんだ。「すり足で打つタイミングを、自分の引き出しに加えてみてはどうか。自分が苦しい時に役立つはずだし、決してマイナスにはならないと思う」と言ったりしてね。
それで張本さんが直々に、ゴジにすり足打法を教えたんだけど、やっぱり教え方がいいんだよね。それを聞いて頭の片隅に残ったんじゃないかな。翌年はまだ一本足打法に近かったけど、翌々年くらいには完全にすり足打法になっていたから。でも、あのすり足がなかったら、ゴジの成長はなかったよな。
篠塚 今考えてみると、一本足はあまり似合わないかもですよね。
中畑 ギクシャクしていて流れがないんだよ。すり足にしてからはゆったりと間を作ることができて、バットがスっと出てくる。ボールを呼び込む時の形、トップの形、打ち出す形と、すべてがスムーズになったんだよね。日本で最後のシーズンにホームラン50本打ったけど、あの時の逆方向への打ち方なんか最高だったよね(※)。
※2002年10月10日、東京ドームで行なわれたシーズン最終戦(ヤクルト戦)。8回裏に迎えた日本での最終打席で、五十嵐亮太からレフトスタンドに第50号のホームランを放った。
篠塚 力感がなくてスタンド中段まで運んでしまいますからね。50本打つバッターはやっぱり違うなと。それと、とにかく野球が好きでしたし、練習が好きでしたよね。
――早い段階ですり足打法に変えたことが、その後のメジャーでも生かされていたように思います。
中畑 イチローのケースもそうじゃないですか。足を上げる振り子打法でしたが、メジャーの速くて動く球に対応するために、すり足に近いようなタイミングのとり方になっていきました。大谷翔平もそうですよね。一様に、その形が理想形なんだということに気づくわけです。でも、日本人は体が小さくて非力だから、どうしても「足を上げて強く振ることでカバーしたい」という気持ちになりがちです。
ただ、すり足って難しいんです。確実にものにできたら多くの選手が生き残っていますよ。シノはどう思う?
篠塚 僕の場合は体が小さいので、体全体を使いながらボールにフィットしていかないと強い打球が打てません。自分がすり足をやっていたら、上半身だけで振ってしまいそうですし、打てなかったと思います。僕は動きながら打っていくタイプですし、個々の選手に体に合わせた打ち方というのが必ずあるはずです。
(対談7;野球人生を変えた日米野球のホームラン 現役時代はお互い「ライバルとしても見ていた」>>)
【プロフィール】
■中畑清(なかはた・きよし)
1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年〜2003年、2006年〜2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。