
『学園ドラマは日本の教育をどう変えたか:“熱血先生”から“官僚先生”へ』(西岡壱誠著)では、ドラマや漫画の教育監修をするベストセラー著者が、『金八先生』から『御上先生』まで、歴代の「学園ドラマ」で描かれるテーマとメッセージから、日本の教育と教師像についてお伝えしています。
今回は本書から一部抜粋し、阿部寛さん主演のドラマ『ドラゴン桜』がそれまでの学園ドラマと違うポイントについて紹介します。
桜木先生が「学校の先生」じゃない理由
『ドラゴン桜』には今までの学園ドラマと明確に違うポイントが1つある。それは、先生が「学校の先生」ではないということだ。桜木先生は、今までのドラマでよくあった展開の1つである「元ヤンキーの先生」である。元暴走族であり、ドラマ版ではバイクを乗り回すシーンもある。だが、実は桜木先生は「学校の先生」ではない。学校の先生ではなく、塾の先生でもなく、「弁護士先生」である。学校再建のために招聘(しょうへい)された弁護士という設定だ。
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「言葉というのは、それを誰が言うかによって、説得力が大きく変わる。そこは注意が必要です。『ドラゴン桜』の桜木建二は、教師ではなくて弁護士です。この設定が、彼の言葉の説得力を強くしているのは明らかですね。
弁護士という肩書きは、彼が日本最高峰の難度を誇る試験を突破した人物であり、日頃から丁々発止の言葉のやりとりを飯のタネにしていることを保証します。だからこそ、一介の教師よりも彼の発言のほうに、『さすが』という貫禄が出るのです。
漫画の中で『言葉を立たせる』ためには、その発言をするキャラクターが強烈かつ分かりやすい必要もあるということです」
弁護士という設定の方が、教師よりもセリフに重みが出るということであるが、これは逆に言えば「普通の教師として設定すると、キャラ立ちしない」ということである。
2000年以降、学園ドラマでスーパーマンのような先生や実際にはあり得ないような設定の先生が登場したということを述べたが、それでも「教員」として描かれていた。
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実際、桜木先生は金八先生と同じようなフォーマットで問題を解決していく。例えば家が貧乏で働かなければいけないので勉強ができない生徒のためにお金を工面できるよう取り計らったり、弁護士として違法な取り立てをやめさせたりと、いろんな手段で生徒の問題を解決していく。
熱血というわけではないが、ちゃんと生徒のためを考えて行動していく。しかし、そこには学校の先生では解決できないような問題も含まれている。弁護士という立場だからこそ解決できるものが多く、先生という存在の無力さを浮き彫りにしているとも言える。
教員でないからこそ言えること
もう1つ、三田先生が別のインタビューで語っているのは「教員でない方が、言いたいことが言える」ということだ。教員という存在は、やはりコンプライアンスに囚われ、言いたいことを言えない。努力の大切さや夢を持つことの大切さを語ることはできても、格差社会の本質や貧困のスパイラルについての授業や、お金や性に関わる講義をすることはできない。
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つまり、本職の先生ではできないことを教員ではない存在がやる、ということが『ドラゴン桜』で描かれたわけである。
この後の学園ドラマでも、塾の先生だったり、元商社マンだったり、元官僚だったり、「学校の先生以外の存在が先生となる展開」が多い。学校の先生というものに対するリスペクトが減り、学校の先生にだけ教育を任せることはできない、という論調の作品が増えていった。
この『ドラゴン桜』は、そういう意味で今までの学園ドラマからの脱却・教員から非教員への流れを作ったのだと言えると感じる。
西岡壱誠(にしおか いっせい)プロフィール
東大生、株式会社カルペ・ディエム代表、日曜劇場『ドラゴン桜』監修。1996年生まれ。偏差値35から東大を目指し、3年目に合格を果たす。在学中の2020年に株式会社カルペ・ディエムを設立、代表に就任。全国の高校で「リアルドラゴン桜プロジェクト」を実施し、高校生に思考法・勉強法を教えているほか、教師には指導法のコンサルティングを行っている。テレビ番組『100%!アピールちゃん』(TBS系)では、タレントの小倉優子氏の早稲田大学受験をサポート。また、YouTubeチャンネル「スマホ学園」を運営し、約1万人の登録者に勉強の楽しさを伝えている。
(文:西岡 壱誠)