限定公開( 2 )
人気アニメ『鬼滅の刃』の最新映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」が、7月18日に公開初日を迎えた。一部の映画館では、1日に40回もの上映が予定されており、ファンの熱狂ぶりがうかがえる。
吾峠呼世晴による原作コミックスは、累計発行部数2億2000万部を突破。2020年に公開された「無限列車編」は、日本映画歴代興行収入1位となる404億円を記録し、社会現象にもなった。今作がその記録にどこまで迫れるかにも注目が集まるが、見どころの一つとなっているのが、敵キャラでありながら絶大な人気を誇る猗窩座(あかざ)の再登場だ。
■猗窩座が持つ武の美学
「無限列車編」での鬼殺隊・炎柱の煉獄杏寿郎との激闘は記憶に新しいところが、なぜ猗窩座は敵でありながらファンから支持されているのか――。
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言うまでもなく、その圧倒的な強さのインパクトは絶大だ。鬼舞辻無惨によって選ばれた「十二鬼月」の中で、「上弦の参」の地位にある猗窩座が繰り出す血鬼術「破壊殺(はかいさつ)」は、名前こそ物騒だが、空中に拳撃を放つだけの単純攻撃である。他の鬼たちに見られるような毒や分裂といった“変化球”的な能力はなく、暴力というよりも求道的な武道の美学を感じさせる。煉獄との正面からのぶつかり合いは、強さの極致を描いた名場面として高く評価されたものだった。
また、「鬼にならないか?」と猗窩座が煉獄を誘う場面は、逆説的に、「もし猗窩座が鬼にならなかったら、煉獄のように誇り高く生きていたのでは」「それでも鬼になることを選ばざるを得なかったほどの悲劇があったのでは」と、読者に深い余韻を残した。
十二鬼月は数字が小さいほど強いとされ、作中では鬼同士の「血戦」による順位の入れ替えもあるという設定も明かされている。原作でその戦い自体の描写はなかったが、猗窩座は過去に2度「血戦」で敗れている可能性があるのだ。
『鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録・弐』によれば、「上弦の壱」である黒死牟(こくしぼう)に挑んで敗北したことが明かされており、「上弦の弐」童磨も黒死牟との会話で猗窩座のことを「我らには勝てまい」と評している。「前よりも少し強くなったかな? 猗窩座殿」といったセリフや、猗窩座の後から鬼になったという童磨が上位にいることからも、入れ替え戦によって順位が変動したと考えられるのだ。勝者が敗者を吸収するルールで、猗窩座がなぜ吸収されずに生き残っていたのかは不明だが、鬼舞辻無惨が「死なせるには惜しい」と評価していたのかもしれない。
さらに、童磨が表向きフェミニストを装いながら女性を次々と食らう冷酷な鬼であるのに対し、猗窩座は強面ながらも女性を食べないという“ギャップ”も、ファンの心をつかむ要素だろう。
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■生前の無念と100年の求道
猗窩座には“軽犯罪者の印”とされる入れ墨が彫られており、コアなファンの間では、鬼になったのは入れ墨罪が制度化された1700年代中盤頃ではないかとの考察もある。また、「113年ぶりに上弦を殺されて、私は不快の絶頂だ」という鬼舞辻無惨のセリフからも、猗窩座が100年以上生き続けていた可能性は高い。その間、2度の敗北を経てもなお、強さを追い求め続けてきたバックボーンを想像すれば、猗窩座彼というキャラクターがさらに奥行きを増していく。
そして原作では、猗窩座が鬼になる前、狛治(はくじ)という名の青年だった頃、大切な人々を自らの無力ゆえに守れなかった悲劇が描かれたが、その第155話のタイトルは「役立たずの狛犬」だった。彼が嫌う「弱き者」とは、自分自身だったのかもしれない。
今作では、その猗窩座に、主人公・竈門炭治郎と、鬼殺隊の中でも人気の高い水柱・冨岡義勇が挑む。ファンにとっては、まさに胸熱な展開だ。
「敵キャラ」ですら強烈な存在感を放つ『鬼滅の刃』。劇場に足を運んだ観客は、改めてこの作品の“深み”に圧倒されることだろう。
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(文=蒼影コウ)
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