写真/産経新聞社今回の参議院選挙では、自民党と公明党が大敗を喫し、石破茂首相率いる与党は議席を大幅に減らした(自民114→101、公明27→21)。SNSを活用する新興勢力が台頭し、その結果、従来の2大政党制がさらに後退、多党化が進む状況が確認されている。
◆自公大敗、ポピュリズム勢力が台頭した参院選
特に注目すべきは、政権批判票が従来の野党第1党である立憲民主党に集中せず、国民民主党や参政党といった新興勢力に分散したことだ。「日本人ファースト」を掲げる参政党は急速に支持を伸ばし、既成政党への批判を背景に勢いを増した形に。しかし、外国人政策に関連する排外主義的な主張や、根拠に乏しい発言も懸念されている。
参院選中盤、石破首相は保守層の支持を取り戻すべく、外国人の土地取得規制などに言及し、7月8日の安倍元首相の命日には献花したことが話題になったが、今回の参院選を受け「日本でも右派ポピュリズム勢力が本格的に台頭し始めた」と語るのは、ノンフィクションライターの石戸論氏。
ポピュリズムの台頭は、この選挙で特に顕著となった。反エリート主義を掲げる動きや、簡易な解決策を訴える減税ポピュリズムが国民の支持を集める一方で、これらの主張が分断や対立を深めるリスクも指摘されている。また、外国人制限を訴える参政党の姿勢に見られる右派ポピュリズムの広がりは、今後の政治や社会に影響を与え得る課題となっている。
かつて安倍政権がポピュリズムを抑え込んでいたとすれば、石破政権の迷走後、ポピュリストたちの問いかけにどう向き合うべきなのか?(以下、石戸氏の寄稿)
◆右派ポピュリズムの台頭を許した石破政権の功罪
参院選を経て、日本でもいよいよ右派ポピュリズム勢力が本格的に台頭しつつある。昭和100年、戦後80年という節目の年に「ついにここまで……」と実感する現場に立ち会うことになろうとは。
ポピュリズムは単なる大衆迎合主義ではない。既得権益にまみれた「腐敗したエリート」と「汚れなき人民」の二項対立を重視する「中心の薄弱なイデオロギー」であるところに最大に特徴がある。
今回議席を伸ばしたポピュリズム政党も含めて、彼らに体系的かつ論理的な考えは必要ない。融通無碍で柔軟とも言えるが、悪く捉えれば言葉は空虚であり、主張には矛盾がつきまとう。人民のためにカネを使えと叫び、左派的な色合いが強くなれば大企業や官僚、右派色が強くなれば排外主義的に外国人など「敵」を設定するのも特徴だ。
右派ポピュリズムがしばしば重視するのが日本の歴史だ。だが、残念ながらその言葉はどんどん軽くなっている。日本人として誇りの持てる歴史観が共通項だが、学問としての歴史とはまったく相容れない、適当な物語も歴史として受容されてきた。彼らの歴史観は空虚な愛国を調達するための“道具”以上の意味合いはまったく持たないものだ。
まだ、出版市場のなかで右派本として流通しているぶんにはよかったのかもしれない。現実の政治勢力としては成長していなかったのだから。
◆ポピュリストへの養分を与えただけだった
リベラル派には受け入れ難い現実だが、極端に振り切った右派ポピュリズムの政治的な台頭を抑え込んでいたのは故安倍晋三長期政権の存在だったのではないか。安倍氏は国家観も含めて筋金入りの保守派だが、同時に経済、外交、安全保障の必要性を熟知したリアリストでもあった。そんな安倍氏だからこそ、保守勢力をまとめ上げられたと思えるのだ。
しかし、戦後80年を目前に控えた石破茂政権にそうした力量はなかった。中道寄りの政治姿勢は明確だったが、保守層は離れ、政策は迷走した。経済重視で国民負担を減らす手立てを取る、あるいは外交巧者でトランプ政権と丁々発止で渡り合いながら他国との交渉をまとめ上げる、といった成果が出ているのならばまだよかった。だが、内政では中途半端な給付金政策にこだわり、不安定な国際情勢のなかで希薄な存在感は、むしろポピュリストへの養分を与えただけになった。
ポピュリストは問いを投げかけはするが、正しい解を持たない──。これもまた現実だ。彼らはなぜ支持されるのか。その意味を分析し、課題と解を提示することが政権に求められるのだが、果たして担い手は誰になるのか……。
【石戸 諭】
ノンフィクションライター。’84年生まれ。大学卒業後、毎日新聞社に入社。その後、BuzzFeed Japanに移籍し、’18年にフリーに。’20年に編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞、’21年にPEPジャーナリズム大賞を受賞。近著に『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』(新潮新書)