ラグビー日本代表「歴代最高の2番」薫田真広 社長になっても最前線で体を張ってチームを牽引する

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2025年07月23日 07:10  webスポルティーバ

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語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第20回】薫田真広
(岐阜工高→筑波大→東芝府中)

 ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。

 連載20回目は、昨年引退した堀江翔太に抜かれるまでHO最多の44キャップを誇っていた薫田真広(くんだ・まさひろ)だ。ワールドカップに3度出場し、東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)で選手、ヘッドコーチ、GMと役職を変えながら何度も日本一に輝いた「レジェンド2番」だ。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

   ※   ※   ※   ※   ※

 日本ラグビー歴代最高の「背番号2番(フッカー)」は誰か。

 明治大の黄金期にキャプテンを務めた藤田剛、サントリーを強豪チームに押し上げた坂田正彰、ワールドカップに4度出場した堀江翔太、現役ではAZ-COM丸和MOMOTARO'Sの木津武士......。さまざまな時代の選手が思い浮かぶなか、幅広い世代から必ず名前が挙がるのが「薫田真広」であろう。

 スクラムの最前線で体を張り、セットプレーを引っ張るのが「フッカー」の役目。薫田は強烈なボールキャリーを武器に、筑波大時代から日本代表に選ばれていた逸材だ。多くの社会人チームからオファーのあるなか、薫田が選んだのは東芝府中だった。

 1987年の日本選手権で、東芝府中が早稲田大に敗れたことが「入部するひとつのきっかけとなった」という。高校・大学ともに優勝経験のない薫田は「日本一になりたかった。東芝府中はこれからチームが強くなっていく時期だと思った」と当時を振り返る。

 1989年に東芝府中に入部した時、日本ラグビーの頂点に立っていたのは神戸製鋼(現・コベルコ神戸スティーラーズ)だった。のちにV7を成し遂げる黄金期序盤の時期で、東芝府中は1991年度と1994年度に全国社会人大会の決勝まで進むものの、神戸製鋼の高い壁を乗り越えることはできなかった。

【名将の勧めでHO転向を決意】

 東芝府中が頂点に立つのは1996年。代名詞となった「PからGO(※)」の攻撃的ラグビーで三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)を下し、9年ぶりに社会人大会を制した。

※PからGO=相手の反則でペナルティを得たあと、キックを選択せず、リスタートの笛が吹かれると相手の守備態勢が整わないうちに素早く攻撃を仕掛けてトライを狙う奇襲作戦。

 そして国立競技場で迎えた日本選手権の決勝。東芝府中は明治大を69-8で下し、初の日本一に輝く。30歳のベテランになっていた薫田は圧倒的なフィジカルを発揮し、決勝の舞台でハットトリックを達成。学生時代からの悲願をついに成就させた。

 そのフィジカルの強さは、学生時代から抜きん出ていた。岐阜県各務原市で生まれた薫田は、中学校まで野球に興じていたが、高校からボールを楕円球に変えた。そのきっかけは、中学時代の先生の言葉だ。「高校でラグビーをやれば?」と勧められ、岐阜工高から競技を始めた。

 先生がラグビーを勧めたのも、薫田のフィジカルの強さを知っていたからだろう。高校1年ながらFLのポジションで頭角を現し、いきなり「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場。高校3年時も主将として花園に出場し、その名を全国に知られるようになった。

 薫田のFWの能力は関係者の間で高く評価された。高校日本代表にはNo.8として選出され、ウェールズ遠征にも参加する。その後、同志社や日本代表を率いた経歴を持つ名将・岡仁詩監督にHOへの転向を勧められ、薫田は筑波大進学後から「背番号2番」を歩むことになった。

 HOとなった薫田は大学でも早々に存在感を示し、格上の慶應義塾大や明治大から金星を獲得するなど、筑波大の飛躍に大きく貢献する。そして大学生ながら日本代表にも呼ばれるようになり、トップ選手への階段を一歩ずつ登っていった。

 薫田は1990年ワールドカップ予選の西サモア戦で初キャップを獲得すると、翌年のワールドカップメンバーにも選ばれ、ジンバブエ戦のワールドカップ初勝利にも寄与する。1993年からは日本代表のキャプテンを務め、1995年と1999年のワールドカップにも出場を果たした。

 そして2000年に現役引退を決意すると、薫田はすぐに指導者の道を歩む。日本代表ではコーチ、U23監督、強化委員長などを歴任し、東芝では2004年からトップリーグ3連覇を成し遂げるなど、指導者としても手腕を発揮した。

【リーダーに一番必要な資質は...】

 薫田のリーダーシップは、キャプテンを長く務めた選手時代に培われたものだ。リーダーとしての資質について、薫田はかつてこう語っている。

「ラグビーはコミュニケーションのスポーツです。キャプテンにとって最も大事なのは、周りからのコンセンサスを得る──合意形成にあります。自分の考えを押しつけるのではなく、通すことができるか。これが、キャプテンやリーダーにとって一番必要な資質です」

 2020年度から東芝のGMに就任すると、2023年度〜2024年度でリーグワン2連覇を達成。そして今年7月、東芝ブレイブルーパス東京の社長に就任することが発表された。

「ラグビーは、人を成長させる人生の宝」

 そう語る薫田は、社長になってもHOのごとく体を張って、日本ラグビーの発展に邁進していく。

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