今年から「ダ1400m」に変更 第42回を迎える東海Sの歴史振り返る

1

2025年07月23日 08:00  netkeiba

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

netkeiba

昨年の東海Sを制したウィリアムバローズ(c)netkeiba
 多くの重賞競走でレース名、開催時期などが変更になった2025年、東海ステークスも例外ではない。昨年まではフェブラリーSの前哨戦として、1月に中京ダ1800mで行われるGIIだったが(20年、24年は京都で代替開催)、今年からダ1400mに短縮され、7月半ばのGIII戦となった。開催日割りの関係により、「東海S」の響きはそのまま、プロキオンSの内容をおおよそ引き継ぐ。そんな、今年で第42回を迎える一戦について、豆知識を交えつつ、歴史を振り返ってみたい。

 同競走はウインターステークスという名称のGIII戦として、1984年に始まった。当時は交流重賞もなく、砂は路線整備がされておらず、JRAで行われる古馬ダート重賞は札幌記念、フェブラリーHと合わせて3つしかなかった。97年のダートグレード制開始と同時にGII格上げとなり、レース名も東海ウインターステークスに変更。さらに00年から5月開催になったこともあり、東海ステークスに名前を変えた。

 距離は創設当初、ダ2200mだったが、90年からダ2300mに延長された。99年には小倉ダ2400mで代替開催となり、これはJRAダート重賞では史上最長距離となる(芝重賞のダート変更を除く)。10年から12年は中京競馬場の改修工事により、京都ダ1900mで実施。13年からは中京ダ1800mとなったが、開催日割りの関係から、20年、24年は京都ダ1800mで施行された。

 そして、今年からダ1400mと、目まぐるしく距離も変わってきた。つまり、東海Sとしては、「中京ダ2200m」「中京ダ2300m」「小倉ダ2400m」「京都ダ1900m」「京都ダ1800m」「中京ダ1800m」「中京ダ1400m」で行われることになる。

 今年は大井からイグザルトが出走予定だが、過去に地方馬は2勝している。97年には、のちにGI級4勝を挙げる船橋・アブクマポーロが優勝。03年には愛知・ゴールドプルーフが2位入線を果たし、ディーエスサンダーの降着によって白星を手にした。地方馬が複数回勝利を飾ったJRA重賞は計5競走あるが、うち古馬戦はオールカマーと東海Sのみだ。

 距離や開催時期、レース名の変更など、さまざまな出来事を重ねてきたのも、今年で第42回と長い歴史があるからこそ。今後しばらくは、JBCスプリントに向けた夏のダート短距離重賞として、中京をよりアツく盛り上げてくれることだろう。
【東海Sの歴史】
1984年 「ウインターS」として創設。中京ダ2200mのGIII。
1990年 中京ダ2300mに変更。
1997年 「東海ウインターS」に変更。GIIに昇格。
1999年 小倉ダ2400mで施行。
2000年 「東海S」に変更。
2010年 中京競馬場の改修により、12年まで京都ダ1900mで施行。
2013年 中京ダ1800mに変更。
2020年 京都ダ1800mで施行。
2024年 京都ダ1800mで施行。
2025年 GIIIに降格。中京ダ1400mで施行。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定