<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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日本ハムが新庄剛志に白羽の矢を立て、監督に起用したとき「あいつに監督なんて無理」「客寄せパンダ?」「勝てるわけがない」と侮蔑するかのような評判が出回ったのは事実だった。
しかも就任から2年連続最下位だったから、今度は「案の定」「ほら見たことか」「予想通り」といった声が渦巻いた。今、そんな陰口をたたく人はいないだろう。
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リーグ優勝を遂げた09年以来、16年ぶりの単独首位ターン。貯金21。期待した主力投手には出て行かれ、何十億円もつぎ込むチーム作りもしてこなかった。大地に根ざし、若い芽に水をやり続けた。
前半戦のチーム54勝(33敗2分け)で、先発ピッチャーが44勝している。そのうち完投勝利数が19試合ある。「分業制」がしみついた日本球界にあって、その常識に一石を投じる現象になるかもしれない。
人気球団の阪神で厳しいバッシングにさらされ、メジャー移籍の際は「日本の恥」「ただのアホやろ」と酷評された。それでも落ち込むことはあっても、言い返すこともなく耐え続けた。
スターになって、監督として育てながら勝つ理想的なチームを作り上げたサクセスには、逆境を乗り越えてきたプロセスがある。彼の根っこにある我慢強さが生きざまを支えてきたのだろう。
オールスターゲームでも新庄が出場した球宴は良くも悪くも主役だった。シーズンの打撃成績が低かったので、ファン投票で選ばれたのに、球宴で応援をボイコットされた。そんな選手は前例がない。
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新庄は「あなたたちから選んでもらったのに…」と肩を落とした。外野では松井秀喜、金本知憲らと一緒に選出。一流選手が集まったオールスターで恥をかいたが耐え忍んだ。
今でも忘れられないのは、04年の長野オリンピックスタジアムで、球宴史上初の単独ホームスチールを決めたシーンだ。ヘッドスライディングで泥だらけになった。
その年のプロ野球はオリックス、近鉄の球団合併に端を発し、球界再編が起きた。オーナーたちは「1リーグ制」を進めて、選手会は反発した。政財界を巻き込んで騒然としたシーズンだった。
当日も球団合併反対の署名運動をしていた近鉄応援団が球場によって締め出された。パ・リーグとして最後のオールスターになるかもしれない一戦は不穏なムードに包まれたものだ。
パ・リーグ消滅の危機に迫られた舞台で、新庄はなんとホームスチールを成功させる。そして「パ・リーグを盛り上げたかった」と叫ぶのだった。球界再編を語るとき、この瞬間は欠かせない。
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新庄という男を書き出すと止まらないので、このあたりでやめておきます。でもちょっと前に日本ハム戦の現場で、監督とコーチが会話を交わす場面に居合わせたときのことだ。
あるコーチが選手起用についてお伺いを立てにきた。すると新庄監督は「ぼくは〇〇(選手)を使いたい。だからちゃんと〇〇に用意させといて」とピシャリと言い放つではないか。
当たり前のやりとりだろうが、新庄に監督としての風格さえも出てきたようにも感じてしまった。「ねぇ、チャンスをモノにするときって、自分の力を超えた不思議な力が働くもんですよね。そう思いませんか?」。
インドネシア・バリ島で、金がなくてエアブラシアートに夢中になって、モトクロスをし、愛犬と地平線を見ながら過ごした日々から、今の自分の姿は本人が一番想像だにしなかったことだろう。
オールスター明けからは激しい優勝争いで日本ハムの戦いぶりが話題をさらうのは間違いない。悔いのない野球人生をと強く願ってやまない。(敬称略)【寺尾博和】
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