1960年(昭35)9月20日に東京・銀座に開館した映画館「丸の内TOEI」が27日に閉館し、65年の歴史に幕を下ろす。本社ビル・東映会館は再開発により商業施設になり、本社は、52年から東映会館完成まで本社を置いた東京・京橋に移る。特集企画「丸の内TOEI閉館 過去、現在…東映の未来」2回目は、元支配人と現役社員が忘れられない思い出の名場面を振り返った。【村上幸将】
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−一番、思い出に残る出来事は
A氏(07〜15年、支配人を務めたOB) 05年「フライ,ダディ,フライ」(成島出監督)公開時は、堤真一さんと岡田准一さんがバスで来て劇場の目の前につけた。パニックだよね。
現役社員B氏 「あぶない刑事」の時は2階建てバスをつけましたね。
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A氏 「あぶない刑事」は舞台あいさつで一番、嫌だった(苦笑い)。舘ひろしさんと柴田恭兵さんのファンが、すごいの。同じファンから2、3週間前から問い合わせが続き…勘弁してよと。それと舘さん、表に出るのが好きだもんね。外堀通りから道路、渡ってきちゃうんで、寒気がした(苦笑い)。
現役社員C氏 時々、交番から警察官が来て、怒られたり(苦笑い)。
A氏 昔は座席指定システムがなかったので、観客が映画館の脇に泊まって周りを1周、回っちゃうの。朝6時には劇場に行って整理しないといけなかった。
C氏 宣伝の立場としては、始発で行って(観客が並んだ)とぐろを見ることで、当たるかな、とか感じることができました。
A氏 昔は立ち見も当たり前でしたからね。
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C氏 先輩に聞いて驚いたのは、座席がなく立ち見の人が座るように、古新聞を売ったとか。
A氏 印象に残っているのは壇蜜さん。映画の舞台あいさつの後、女性の追っかけが何十人も出待ちしていて「入れてあげてください」と言うんで、2階席に入れてあげたんです。
現役社員D氏 「私の奴隷になりなさい」(亀井亨監督)の時ですね。
A氏 何かあったら困るので、勘弁して欲しいなと思ったんですが「ファンに感謝の意を表したい」と。次の舞台あいさつまでインターバルがあったからできた。ファンを大切にする方だと思いました。
B氏 昔は舞台上でのマスコミ向け画作り(写真撮影)と、劇場の前に俳優が並ぶ、お客さま向けの画作りも、上から言われやっていたんです。
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C氏 丸の内TOEIの前で、道路を行き交う人に「前売り券、買って下さい!」とメガホンで言っていたんです。97年「北京原人 Who are you?」(佐藤純彌監督)公開前には(米に機械で圧力をかけて作る)ポン菓子を作って配りました。ドン! ドン! と爆音がすごかったんですが、特殊メークをした子ども北京原人に配ってもらった。それが、今や人気声優になった小野賢章さんです。
D氏 仮面ライダーを演じた俳優は、ほとんどの人が、ここで初めての舞台あいさつを体験し、羽ばたいていきました。佐藤健さん、松坂桃李さん、菅田将暉さん…皆さん、ここで舞台あいさつやりましたからね。
−27日で65年の歴史に幕を下ろします
A氏 正直、よく持ったと思います。昔はもう1階、上に3階席もあってフルで700席。97年「失楽園」(森田芳光監督)公開時は、ここだけで興行収入2億円稼いだと聞きました。
B氏 初日は男の人が多いと思ったら、女の人も多かったんです。
C氏 朝から、ずっと平日は満席。仕事をサボって見に来たサラリーマンから、主婦まで…。
A氏 支配人としては、ヒヤヒヤした思い出しかないな(苦笑い)。
−15年7月11日の「アリのままでいたい」(鴨下潔監督)初日舞台あいさつ中に、哀川翔さんが羽化させたカブトムシ2匹が逃げた“事件”も…。当日に見つからなかった1匹が同14日に発見されたのも大きなニュースになりました。(つづく)
◆丸の内TOEI 60年、東映本社・東映会館の落成とともに、丸の内東映と洋画封切館・丸の内東映パラスとして開館。04年10月には現行の丸の内TOEIに名称統一し2スクリーンに。24年5月、老朽化のため、今夏をめどに再開発を発表した。今年1月16日に同所で開催した東映ラインナップ発表会で、正式な閉館日(最終営業日)を7月27日とし、最後の直営館として約65年の歴史に幕を下ろすことを発表。5月9日から「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクト上映がスタート。
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