グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はアドックインターナショナルのエンジニア、amal hannouda(アマル・ハノウダ)さんに登場いただく。数学教師の父と語学教師の母の教えの下、PCでフランス語を勉強したアマルさんは、フランス語で授業を行う大学で、数学や統計学を学ぶようになる。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
●風の町、エッサウィラ
阿部川“Go”久広(以下、阿部川) ご出身はモロッコですね。モロッコのどちらのお生まれですか?
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amal hannouda(アマル・ハノウダ 以下、アマルさん) モロッコのエッサウィラ(ESAOUA)という街で生まれました。モロッコの西に位置する、大西洋に面した小さい観光都市です。三方を海に囲まれているため、まるで島のように感じられるところです。
阿部川 海や砂浜がきれいなんですね。その景色が観光の魅力ですか?
アマルさん はい。「風の町」として世界的に知られており、毎年多くのサーファーやビーチスポーツ愛好者が世界中から訪れます。
阿部川 では、食べ物もおいしいんじゃないですか?
アマルさん はい。1番有名な食べものはタジンです。モロッコではアルガンオイルで作ります。アルガンという木から採れるオイルでとてもおいしいんです。アルガンオイルは、どんな料理にも使えますし、美容のために顔に塗ったりもします。私はモロッコから持ってきたり、送ってもらったりしています。
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阿部川 小さい頃は、どんなお子さんだったんですか?
アマルさん 明るくて外で遊ぶのが大好きな子どもでした。祖父母の家が近く、いとことよく遊びました。2歳上の兄と1歳下の弟がいて、年が近かったので、毎日楽しく遊んでいました。
阿部川 どんな遊びをしたのですか?
アマルさん 海で泳いだり、外で飛んだり、ゲームしたり。日本語でいう「ケンケンパ」もしましたよ。
阿部川 それは楽しかっただろうなあ。ご両親のお仕事は?
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アマルさん 父は数学の先生、母はアラビア語の先生です。
阿部川 ご両親とも先生、しかも数学と言葉。もうばっちりじゃないですか! 勉強は好きでしたか?
アマルさん :はい。好きです。一番好きなのは数学です。
阿部川 お父さんが数学の先生ですしね。お母さんが教えていたアラビア語の方はどうでしたか?
アマルさん アラビア語も好き、両方とも好きでした。
●私、4カ国語話せます
阿部川 PCは何歳ぐらいから触っていたか覚えていますか?
アマルさん 最初に触ったのは、家にあった「Windows XP」をインストールしたデスクトップPCです。私が12歳の頃でした。
阿部川 PCを使って何をしたか覚えてますか?
アマルさん ゲームと、encyclopedia(エンサイクロペディア:百科事典)でフランス語を勉強しました。
阿部川 フランス語! いま何カ国語話せるんですか?
アマルさん アラビア語とフランス語と日本語と英語です(編集部注:本インタビューも日本語で行いました)。
阿部川 4カ国語も話せるんだ、素晴らしいですね。でも、どうしてフランス語を勉強していたんですか?
アマルさん モロッコはアラビアの国です。でも小学校からフランス語を勉強しますし、大学の授業は全てフランス語です。アラビア語は家で話します。
阿部川 モロッコは1956年までフランス領だったけれど、今は違うんですよね。でも大学は全教科フランス語で勉強するから、12歳の頃からPCで勉強したんですね。
●猿のいるレストラン
阿部川 高校生までエッサウィラにいて、進学で他の町に行ったんですよね。
アマルさん :はい。マラケシュにある工学系大学の準備クラスに3年間、その後、ラバットのINSEA校に進学しました。マラケシュはエッサウィラからバスで30分ぐらい、ラバットは電車やバスで8時間ぐらい離れています。
阿部川 マラケシュは、どんな町ですか? 世界中の人が行きたいと思っている有名な町じゃないですか。そこに何と3年間も住んでいたなんて。お勧めの場所はありますか?
アマルさん 一番有名なのは、ジェマ・エル・フナ広場です(jamaa funa)。広い広場で、屋外のレストランで伝統的な食事を食べられます。いろいろな人がいますし、猿もいます。猿はパフォーマンスを見せてくれるし、一緒に写真も撮れます。広場では、伝統的なハンドメイドのバッグやアクセサリーなどのお土産も買えます。
阿部川 すてきなところですね。でも、親元を離れるのは寂しくなかったですか?
アマルさん 大丈夫。エッサウィラの友達と同じクラスを専攻して、一緒に住んでいました。だから寂しくはなかったです。
阿部川 マラケシュで通ったのは工学系大学の準備クラスとのことですが、モロッコでは高校卒業後、すぐに大学には行かないのですか?
アマルさん モロッコの教育システムは日本と違います。中学校を卒業した後、科学、文学、芸術、技術の中から進路を選び、1年間勉強してから専門分野を決めます。私は数学を専攻しました。準備クラスでは、主に数学と物理学を学びました。
阿部川 なるほど。進路が決まってるんですね。その中で数学を選んだと。
●数学の先生をしていました
阿部川 マラケシュで数学と物理学を学び、その後、ラバットのINSEA校に進学します。ここで統計学と応用経済学を学んだのですね。
アマルさん INSEA校は、モロッコでトップクラスの大学で、保険、金融、経済学、労働法学、数学を学ぶのに最適です。
阿部川 素晴らしい大学ですね。大学ではいろいろな研究をしたかったのでしょうか、それとも純粋に学ぶのが楽しかった? 将来何になりたいか決まっていましたか?
アマルさん 大学では、経済と統計、両方の分析とファイナンスのエンジニアリングを勉強し、統計学や数学的分析、論理的思考がどう使われるのかを学ぶのが楽しかったです。将来は、ファイナンスのエンジニアになりたいと思っていました。
阿部川 大学を卒業してから日本に来るまでに何年かありますが、卒業後は何をしていたのですか?
アマルさん 大学を卒業してから、いろいろな仕事をしました。1番長いのは数学の先生、その次はプロジェクト管理の仕事です。
阿部川 プロジェクト管理は建設会社でしていたのですね。具体的にはどんなことをしていたのですか?
アマルさん クライアントと連絡してインボイスの準備したり、プロジェクトのプロセスやデッドラインをチェックしたりするなど、プロジェクトの進行管理をしていました。
数学の先生は、ニュートンインターナショナル(NEWTON International)スクールで、中高生に数学を教えていました。1クラス15人ぐらいで、Aレベルのターミナルクラスと数学1と2と3を教えました。
風の町で生まれスークの町で学んだアマルさんは、統計学や数学に魅了され、大学卒業後に数学教師になる。後編では、彼女がなぜエンジニアになったのか、そして日本に興味を持った理由などをお話しいただく。
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