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名遊撃手として東映や阪急で活躍した大橋穣(おおはし・ゆたか)氏が、今月18日に、都内の自宅で死去したことが27日、分かった。79歳だった。すでに葬儀・告別式は執り行われた。
大橋氏は日大三から亜大を経てプロ入り。東都大学リーグでは、通算20本塁打の新記録をマークした長距離打者で知られた(現在は井口忠仁氏の24本塁打が1位)。
1968年(昭43)、ドラフト1位で東映(現日本ハム)に入団。ドラフト同期には、山田久志氏(阪急)、星野仙一氏(中日)、田淵幸一氏(阪神)、山本浩二(広島)らがいた。
東映で3年間プレーした後、71年オフに阪急(現オリックス)に交換トレードで移籍。その年、日本シリーズで川上哲治監督率いる巨人に4勝1敗で敗れた西本幸雄監督からのたっての希望だった。
プロ入り後、長打力は鳴りをひそめたが、深い守備位置を守ったことで有名だった。強肩と正確なスローイングで、堅実なフィールディングが評判のショートストップとして活躍する。
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ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)が創設された72年、パ・リーグの遊撃手部門で初受賞した。78年まで7年連続で受賞(歴代1位は山下大輔氏の8年連続、24年西武源田壮亮が7年連続で並ぶ)。
不動の遊撃手として、上田利治監督が率いた阪急で75年から4年連続リーグ優勝、3年連続日本一に貢献。まさに“昭和の名ショート”だった。引退後は阪急、オリックス、中日、ヤクルト、また台湾、韓国などでもコーチを務めた。
最近は大リーグ、大相撲をテレビ観戦し、スポーツクラブに通う日々だったという。芳子夫人は「長患いすることなく、自分は運命を受け入れるという、主人らしい最期だったと思います。ありがとうございました」と語った。【寺尾博和】
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