《大奥の世界》年収2000万円のキャリアに性愛スキャンダルも…中心人物は“元祖・港区女子”

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2025年07月27日 18:00  週刊女性PRIME

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小芝風花は将軍・家治の妻・倫子役を演じている(『大奥』公式サイトより)

 今期の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』にも登場する、女の園・大奥。吉原とともに、江戸に咲いた大輪の花ともいえます。そんな、当時も今も注目の的だった「秘密の園」の深層について、小説家の増田晶文さんがナビゲート! 江戸城の「奥」にあったのは、地獄か、極楽か─。

大奥はステイタス、ギャラ共にハイソな憧れの職場

 大奥は将軍の正室(正妻、御台所)や継室(後妻)、側室(正妻ではない側妻)らが暮らす後宮。江戸城の「表」(政務、儀式の場)、「中奥」(将軍の日常生活の場)に連なる、れっきとしたお役所だった。

 大奥は将軍のプライベートライフの充実だけでなく、世継ぎを産み育てるという重要な責務を担う。御三家や御三卿、有力大名らとの交際にも深く関わっている。それだけに大奥の権力は絶大で、政治や将軍後継、幕閣人事にまで口を挟んだ。

 大奥を特徴づけたのが、将軍以外の男子は原則禁制という掟。大奥では「女中」と呼ばれる、総勢2000人もの女性が働いていた。これは吉原の遊女の数に匹敵する

 江戸時代が厳しい封建制だったのは周知のこと。でも、だからといって女性が男性に甘んじていたかというと、それは間違い。

 当時も才気煥発でキャリア志向の女性がたくさんいた。旗本に御家人、豪商や富農の娘にとって大奥はステイタス、ギャラ共にハイソな憧れの職場だった。

 大奥キャリアの頂点に立つのが御年寄。「表」の老中になぞらえ「老女」と呼びならわされ、10万石大名の格式を有する。老女は定員7人、合議で大奥を差配した。老女の基本年収は現代に換算すると約1200万円。

 ほかに衣装、化粧、光熱費などの手当が支給され、時には将軍と正室からの“ボーナス”もあり、年収総額は軽く2000万円をオーバーしていたといわれている。

 これは現在の基準からしても相当なセレブ。上昇志向の娘ばかりか、親も目の色を変え、愛娘に行儀作法や書、歌、茶、華道などを習わせていた。ただし、老女に昇進するまでは十数年を要し、一生奉公、つまり生涯独身を覚悟しなければならない。

 大奥の女性キャリアの雇用形態は2つに大別される。「直の奉公人」は幕府が直接採用し、その数は400人以上。彼女たちは「奥女中」といわれ、将軍や正室に目通りが許される上級女中の「御目見以上」と、それが叶わぬ「御目見以下」に分けられていた。

 奥女中が私的に雇う使用人は「部屋方」「又者」と呼ばれ、老女ともなれば20人ほどの部屋方を抱えていた。このほか、親類縁者の少女を奥女中予備軍として預かる「部屋子」、商家や農家の娘が下働きと行儀見習いを兼ねる「世話子」がいた。

大奥は「元祖・港区女子」

 世話子は水汲みや飯炊き、掃除ばかりか、駕籠かきまでこなしている。だが、彼女たちノンキャリア組もプライドを持っていた。ある世話子は実家にこんな文を送っている。

江戸の娘は役立たず。やっぱり女中は勤勉で丈夫な遠国の娘に限ります

 キャリア官僚の奥女中に定期採用はなかった。部屋方からスタートし、才気が認められると、奥女中の御吟味(採用試験)にチャレンジできる。

 もっとも、採用の可否は身元保証人や推挙する上級女中(世話親)のコネが幅を利かす。大奥での出世は「一引、二運、三器量」が条件といわれている。

 ところが場合によっては器量が最大の武器となる。将軍の目に留まり、夜の相手を務めれば、下級女中であっても一挙に上から4番目の「御中臈」へジャンプアップ! 

 将軍参加の宴席や、振り袖姿で庭を散歩し容貌をアピールする「御庭御目見得」は絶好のチャンスだ。そのあたりのテクは、ウブな地方出身者よりも江戸の娘のほうが長けていたに違いない。「元祖・港区女子」といったところか。

 御中臈が将軍の子を産めば「御部屋様」、その子が世継ぎに指名されれば「御内証之方」。将軍の生母になれば姫君の格式を賜り、女中たちに奉仕される側へと境遇が一変する。それだけに、大奥では嫉妬や対立が露骨だった。

 将軍の寵愛を受けた女中を「汚れた方」と蔑視し、お呼びのかからない者を「清い方」と称したのだから底意地が悪い。

 ストレス過剰な職場だけに自殺者も出ている。大奥の西井戸では4人が身投げしており、昼間から網をかぶせ、夜には蓋をして厳重に施錠したという。

 血なまぐさい事件もあった。文政時代(19世紀初め)には、局部丸出しで惨殺された女中が駕籠の中から発見されている。また、御天守台から全身切り傷だらけの遺体となった女中が落ちてきた怪事件も起こった。

 しかし、いずれも真相不明のまま迷宮入りしている。大奥の内情は他言無用、箝口令が敷かれていた。

 外野としてみたら、閉ざされた空間への、お下劣な臆測や妄想が膨らむもの。大奥ネタはお江戸の“文春砲”こと讀賣(瓦版)が黙っちゃいない。湯屋や髪結い、井戸端会議での口コミだってバカにできない。奥女中の乱行は庶民の知るところとなった。

 正徳4(1714)年には、大奥幹部と人気歌舞伎役者の密通が取り沙汰された「絵島・生島事件」が発覚した。

 老女の絵島は、多数の女中を従え、増上寺に代参。その帰途、芝居小屋に立ち寄り大宴会を催す。宴席には歌舞伎役者の生島新五郎が侍った。よほど盛り上がったのだろう、絵島一行は大奥の門限を約2時間オーバーしてしまう。

 絵島ほどの地位なら、門限破りくらい揉み消すことも簡単なはず。だが、そこに6代家宣の側室で7代家継生母の月光院と、家宣の正室だった天英院の確執が絡みつく。絵島は月光院の腹心で、33歳の若さで大奥トップに君臨していた。

多数の女中を“洗脳”して愛人状態に

 しかも美人とあって、怨嗟の的になっていたらしい。綱紀粛正の名目のもと苛烈な処分が下され、絵島は島流し、その兄は死罪。絵島との肉体関係を疑われた生島や芝居関係者は遠島、同行の女中67人が親類に預けられた。

 享和3(1803)年には、好色坊主と奥女中のセックススキャンダル「延命院事件」が世を騒然とさせている。江戸谷中にあった延命院は大奥の信仰を集めていた。それというのも、住職の日道は役者上がり。ハンサムぶりと美声で魅了していたからだ。

 しかし、日道は60人近い女性関係がバレて斬罪、関係を持った奥女中も処罰を受けている。日道の正体は当時の尾上菊五郎という説が流布したものの真偽は不明だ。

 淫欲に金、出世まで絡んだ醜聞が天保12(1841)年の「智泉院・感応寺事件」。下総(現在の千葉県北部と茨城県南西部周辺)にある智泉院住職の日啓は、絶倫将軍こと家斉が寵愛したお美代の方の実父だった。

 日啓は娘が大奥で幅を利かせるのに乗じ、多数の女中を“洗脳”して自身の愛人状態に。さらに感応寺を復興させ住職に収まる。同寺は将軍家や諸大名から多額の喜捨を受けた。それもこれも、娘から家斉への猛アピールあってのこと。

 だが、家斉の死を待つかのように、天保の改革を推進する老中水野忠邦は破戒坊主を処断。感応寺は取り潰され、日啓も獄死している。

 一連の事件にフェイクニュースまで加味され“淫行に耽る大奥”の評判が広まる。さらにハラスメント、賄賂、情実、権謀……大奥には下世話なイメージが定着してしまった。

 今日の映画やドラマ、マンガが描く大奥もその世界観の延長上にある─これを知った江戸のキャリアウーマンたちは、どんな思いを抱くだろうか。

文/増田晶文 ますだ・まさふみ 小説家。1960年、大阪府生まれ、同志社大学法学部卒。人間の「果てなき渇望」をテーマに執筆を続けている。歴史、時代小説で新たな人物像を構成、描写することに定評がある。代表作は『河内熱風録 楠木正成』や蔦屋重三郎を描いた『稀代の本屋』、『たわけ本屋一代記』など。

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