ヒグラシの鳴き声が響き、緑があふれる栃木県の那須御用邸。敷地内にある休憩所「嚶鳴亭」の近くで、天皇陛下と雅子さま、愛子さまが散策されていた。地域の住民らでつくる「那須嚶鳴会」の市村利男さんは、今回の那須へのご来訪についてこう話す。
「今年もお越しになっていただき、大変ありがたい限りです。今回のご静養では、地元の有志住民によるお出迎えはなかったのですが、また8月後半にもいらっしゃるようですし、そのときを心待ちにしています」
日ごろのご多忙から解放され、天皇ご一家が心からリラックスされる那須高原でのご静養。散策される場面を報道陣に公開した際、両陛下は色違いのシャツ、愛子さまはワンピースと、お三方そろって沖縄伝統の「かりゆし」ウエアをお召しになっていた。
「記者からのお声がけに、両陛下は7月の那須の地に咲くユリの花にふれ、シャツの柄もユリの柄だったことを示しつつお話しになった場面がありました。雅子さまが、『犬の由莉が亡くなってしまったので、それもあってというわけではないんですけれど……』ともお話しになっているのですが、愛子さまが寂しげな表情を見せられたようにもお見受けしたのです」(皇室担当記者)
7月18日から23日まで、那須御用邸で静養されていた天皇ご一家。だが毎夏のように過ごされてきた那須でのご静養に、今年は由莉がいない――。
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由莉は6月23日に、両陛下と愛子さまに見守られながら、16歳4カ月で旅立った。愛子さまは幼いころから、那須や御料牧場でのご静養に由莉を伴われていた。小学生の愛子さまが、那須塩原駅で大切そうに子犬の由莉を抱えて歩かれていた光景に、奉迎者が一様にほころんだ表情を見せていたことも……。
■一人だけ交じった男性の“幼なじみ”
宮内庁関係者は、愛子さまの悲しみを拝察する。
「広大な那須御用邸内でのお散歩を楽しまれるなど、愛子さまが那須でお過ごしになるときには必ず由莉が一緒にいましたから、愛子さまの喪失感はいかばかりか……。
15年前、愛子さまが登校に不安を感じられ休みがちになったとき、由莉がそばにいたおかげで安らぎを得られていたと伺っています。また愛子さまが成年された際に公開された写真や映像は、由莉をいたわりながら御所のお庭を歩く場面でした。それは、ともに成長し、日常を過ごしてきた“絆”が伝わるものだったと強く感じたことが思い起こされます。
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愛子さまにとっては“心のパートナー”でした。その由莉がいない悲しみをこらえながらお務めやお仕事に臨まれる日々を、愛子さまは1カ月以上お過ごしになっていたのです」
時に涙し、傷心のまま那須へと向かわれていた愛子さま。そんな那須ご滞在中、天皇ご一家はおしのびで「那須どうぶつ王国」に足を運ばれていた。タカやワシなどの鳥たちがパフォーマンスを行うショーや乗馬体験……動物好きのご一家は、那須で静養される際は必ずと言っていいほど同地を訪問し、丸一日かけて穏やかな時間を過ごされてきた。
訪問されたこの日、バードショーの会場に両陛下と愛子さまが入られた場面を、居合わせた客は次のように振り返る。
「両陛下や愛子さまがお見えになると、『両陛下じゃない!?』『愛子さま〜!』と驚きや喜びの声が観客から上がっていました。
周囲にはどうぶつ王国の職員や宮内庁職員、警備関係者がいましたが、愛子さまと同世代ぐらいの女性数人に交じって、185センチぐらいの長身の青年が、ご一家と並んで客席に座っていたのです。
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鳥たちが頭上ギリギリを飛んだりするパフォーマンスをご覧になりながら、愛子さまは女性たちやその青年と、仲むつまじいご様子でお話しになっていました。時には雅子さまもフランクに会話に交じったりされていたので、仲のよいお友達のグループのようにお見受けしたのですが……。
またご一行はペンギンにエサやり体験ができるエリアでもお見かけしましたが、そこでは愛子さまと彼が楽しそうに見つめ合い、語り合っていました」
由莉と別離された愛子さまの悲しみに寄り添い、少しでも笑顔になれるひと時を演出しようと、ご友人らと奮闘していたこの青年とは……。
「これまでも天皇ご一家が那須で静養される際、愛子さまの学習院幼稚園・初等科の同級生やその家族を招かれることがありましたが、那須どうぶつ王国にいた男性は、その一人であるHさんです。
Hさんらが招かれたのは6年ぶりですが、愛子さまが寂しさを感じられないよう、両陛下のお計らいもあったと伺っています。今回Hさんは、ご友人たちの列の後ろのほうにいることが多かったそうですが、常に愛子さまを見守られるような、優しいまなざしを向けていたと……。
どうぶつ王国の閉園時間になると、陛下だけ先に御用邸にお帰りになりました。ただ愛子さまと雅子さまはHさんらと、さらに3時間ほどとどまっていたそうです」(前出・宮内庁関係者)
■銀行マンとして皇居近くの職場に
久しぶりの再会とあって、愛子さまとHさんは、思い出話に花を咲かせながら、お楽しみになられたのだろう。常に身近にいた由莉と同じくらいに、愛子さまにとってHさんは、お心の支えともなる存在だったと、前出の皇室担当記者は語る。
「ちょうど愛子さまが登校に不安を感じられていたころの2010年8月、那須ご静養時に茶臼岳に登られました。この際、Hさんと家族も同行し、ともに登っています。険しい登山道で愛子さまがよろけそうになると、Hさんがすぐに支えてあげていました。
そして下山後、登山口から駐車場に向かう道で、愛子さまはHさんの手をしっかりと握られていたのです。この後に天皇ご一家と同じお車にHさんは同乗したのですが、一般人が同乗するケースはかなり異例で、信頼の強さがうかがえます。愛子さまはこの夏休みの後登校されるようになりましたが、Hさんと過ごした時間がその一助となったのでしょう。
困難を克服するにあたっておそばにいたHさんは、愛子さまの“初恋の相手”に限りなく近い存在だったと思います」
悲しみに沈まれる愛子さまのもとに駆け付け、“騎士”のようにHさんは寄り添い続けた。そんな彼の父は、国内最大手の造船会社の重役、複数の系列会社の社長も務めている。いわば“プリンス”にあたるHさんの近況について、学習院関係者はこう明かす。
「Hさんは幼いころは眼鏡をかけた“のび太くん似”の少年でしたが、学生時代はマリンスポーツに打ち込み、たくましい体つきに成長しました。
Hさんは高校から学習院とは別の名門私立大学の系列校に入学、そのまま大学の文系学部へと進みました。ですが愛子さまとの仲のよさは変わらずで、頻繁に連絡を取り合われているそうです。
大学卒業後にはメガバンクの系列会社に就職し、現在は銀行マンとして汗を流しています」
那須でのつかの間の“逢瀬”から東京に戻ったHさん。彼の職場は皇居から近いオフィスビルにある。ピンチに必ず駆け付ける“初恋の騎士”。これからも愛子さまを近くで見守り、心の傷を癒し、そして励ましていくのだろう。
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