
Text by 南麻理江
Text by 石原大輔
「広告ハンター」の異名を持ち、著書に『ジェンダー目線の広告観察』(現代書館、2023年)がある写真研究者の小林美香。ちまたのさまざまな広告を観察し、分類し、言語化し……そしてその著書や展覧会、SNSでの発信を通して、私たちに無意識のうちに刷り込まれる価値観を浮き彫りにする。
この8月には新著『その〈男らしさ〉はどこからきたの?広告で読み解く「デキる男」の現在地』が朝日新聞出版から出版される。これは昨秋にT3 Photo Festival(東京国際写真祭)の一環として開催され話題となった、小林企画の展覧会『その「男らしさ」はどこからきたの?』が下敷きとなっているという。
溢れる広告が表象する「男性らしさ/女性らしさ」の呪いを解くためにはどうすればいいのか? 小林はまず過去と現状、そして課題を認識することが一歩目として大事だと指摘する。今回は、小林のさまざまな取り組みを通して、広告やメディアの表象について考えていきたい。
—最近、ニュースなどでもネット上のエロ広告をどうやって規制するかということが話題になっていたり、「歯茎!」「脂肪!」といったグロテスクな広告が問題になっていたりします。小林さんは、ちまたのさまざまな広告観察をされていますね。
小林美香(以下、小林):編集者の友人から、「広告ハンター」と名付けられました。そもそも自分自身、そこまで意識して情報発信をしているつもりではなかったんです。2010年代末ごろから広告のことが気になり始めて、ここでこんなのを見て、こういうことが書いてあって、私はこう思う……そういった観察の所見を記録する場所としてSNSを使っていたら、見る人も多くなっていったという感じでした。
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国内外の各種学校/機関、企業で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、ワークショップ、研修講座、展覧会を企画、雑誌やウェブメディアに寄稿するなど執筆や翻訳に取り組む。2007〜2008年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。2010年から19年まで東京国立近代美術館客員研究員を務める。東京造形大学、九州大学非常勤講師。著作に『写真を〈読む〉視点』(単著 青弓社、2005)、『〈妊婦アート〉論 孕む身体を奪取する』(共著 青弓社、2018)がある。2023年9月に『ジェンダー目線の広告観察』(単著 現代書館)刊行。アメリカの漫画家マイア・コベイブ(Maia Kobabe)の自伝作品『ジェンダー・クィア』(サウザンブックス 2024年)の翻訳を手がけた。
—例えば「#脱毛広告観察」「#男らしさの広告観察」というタグ付けをされた小林さんの投稿を見ると「こんなポスターが掲出されているの?」と、ギョッとすることがあります。特に、女性蔑視的な表象のされ方や、男らしさの強調についての視点が面白いです。
小林:公共空間に広告はたくさんありますから普段は、意識として「ノイズキャンセリング」をしているんですよね。視界に入っても二度見はしない対象として広告広報はありますが、あえて立ち止まって見る、いつの間にかそういった意識で観察するようになっていました。
私はもともとギャラリーや美術館の仕事や展示の企画をしてきた経験がありますので、イメージを見るときに、ピンポイントで照準を合わせることもあれば、何点かのイメージを組み合わせて、空間を見る意識が働くこともあるんですね。だから、街を歩いていても「こういうふうに展示しているのか」という意識で見ることがあります。
—メディア業界でも、小林さんの著書『ジェンダー目線の広告観察』は話題になっていて、ありそうでなかった一冊だと受け止めました。あらためて、この本を書かれた経緯や、どういう本なのか、おうかがいしてもいいですか。
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もともと歴史の研究をしていて、第二次世界大戦期のプロパガンダをはじめ、大きな社会の変化のなかで人々を一つに束ねていくメディアの力、広告の力には、以前から関心がありました。それから東京五輪の準備やコロナ禍があり、ものすごい勢いで世界や社会が変わっていくなか、どういうことがメッセージとして表現されるのかを、記録しておいたほうがいいなという、時代の記録として始めた面もあります。
『ジェンダー目線の広告観察』
—そういった広告の変化を捉えようと考えたときに、「ジェンダー目線」で切り取ってみようとされたのは、どうしてだったのでしょうか。
小林:この本のなかでは、脱毛広告を取り上げている章があります。2010年代末って電車に乗ると、3〜4社ほど脱毛の広告があって、各社がさまざまなキャンペーンを打ち出していて、なかには、異様なほどの低価格——どうやったらこの換算になるのかわからないような言葉が踊っていました。
そういった広告を見ていると、騙す気満々の人に囲まれているかのような気持ち悪さを感じるようになったこともありながら、なおかつ、そういった脱毛や美容系の広告が、ジェンダー平等というメッセージも同時に掲げていて、なんかおかしいと感じました。
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体毛は体の一部ですが、体毛それ自体にジェンダーはないんですよ。それに付随する身体が、表現に反映されることが面白い。最初は広告の表現を不愉快に感じて見ていたんですけど、分析対象として捉えるようになると、脱毛というサービスに誘導するコミュニケーションのあり方、説得の仕方に関心を持つようになりました。
—先ほどおっしゃっていた、体毛そのものにジェンダーはないはずなのに、男性向けと女性向けで違う表象になるということですが、具体的にはどのような表象をされているんでしょうか。
小林:エステティックTBCの男性向けと女性向けを例にあげてお見せすると、カラーリング、モデルさんの起用の仕方、キャッチコピーなどあらゆる点において、性別はふたつにわけられ、説得のしかたが目に見えるかたちで表現されています。
小林美香さん提供のスライド資料
—たしかに女性のほうはちょっと上目遣いで、さらっと髪の毛がなびいています。一方で、男性のほうはファイティングポーズで、コントラストがぱっきりしていますね。
小林:『その〈男らしさ〉はどこからきたの?広告で読み解く「デキる男」の現在地』のなかで、男性とケアの関係とその表現について取り上げています。この広告では「スキンケアの一つとして脱毛しましょう」って言っているのですが、男性に向けてケアをするということは、鍛えることなんだよ、というメッセージが広告から受け取れます。そこにいろんな問題が含まれている。女性に対しては、そこまで鍛錬せよ、という表現にはならないんですよね。
そして、そこに付随する言葉として「清潔感」が添えられます。それを通して「あなたは女性から評価される」とか「営業などの仕事で人と対面する時に相手からいい印象をもたれる」とされる。他者評価につながり、出世など成功につながる、そんなレールが敷かれるわけです。
—キャッチコピーなど言葉の部分ももちろんですが、例えば照明の当て方など絵作り・演出面でも、女性向けと男性向けで違いはありますか?
小林:顕著なところでいうと、女性向けのほうが、硬さや重さを極力表現せず、ふんわりとさせるんですよね。同じビールの広告でも、パステルカラーやキラキラ、グラデーションを使うとか。照明も柔らかくして、肌が綺麗。それが見慣れている演出の仕方ですね。
相対すると、男性向けのほうが、コントラストがはっきりしている。だから、硬いとか強いとか、そういうものが自動的に男らしい表現であると、視覚的な情報が言語に転換され、ジェンダーの規範性が視覚的な情報を通して理解・共有されていくのです。
ふだんノイズキャンセリングしているものを、もう一度見直して、言語化して、分類して……という手間のかかることをしていると、知らず知らずのうちに刷り込まれている価値観の輪郭が見えてきます。それらによって人の意識や価値観がつくられているということは、指摘したほうがいいなと、思うんですよ。
—冒頭に、ネットメディアの記事間などに挿入される広告のなかで、エロティックなもの、グロテスクなものが問題になっているという話に触れました。業界団体が自主的に規制について動き出したり、法制化も検討されているということで、ある程度のルールをつくったり、対策を講じたりする必要があると思うのですが、小林さんはどう考えられていますか。
小林:外国在住の方が日本に帰ってきたとき、同じ端末を使っていても、日本の情報制空圏(電波圏)に入った瞬間、パッとエロ広告が入ってくるっていう話を聞きますよね。
ひとつの文化や情報圏にいて、あるものが当たり前になると、あまねくほかの国や地域も同じようなものだと思ってしまいがちなんですけど、いやいや、日本が置かれている状況はかなり特殊よ、とも思うんですよね。その特殊性に気づくためにも、それを相対化するために違う地域の状況を知ることも、とても大事だと思います。
—特殊性に気づくことも大事ですよね。どうやってほかの地域のことを知ることができるんでしょうか。
小林:例えば、選挙ポスターについて。選挙のときに繰り広げられるキャンペーンって、基本的には自分の帰属している地域のことしか知らないと思います。ニュースで取り上げられるのは国際的に政治・経済に影響を与える米大統領選ぐらいでしょうか。
「国名 / election / poster」というワードでいろいろ画像検索すると、それぞれの街の景色も見えてきます。それだけでも、政治家の表情やポスターのつくり方、大きさなどが全然違う。たしかに実際にほかの地域を現地で見るのは難しいかもしれないけど、ちょっと調べて多面的に公共空間のコミュニケーションのあり方を考えてみることは、教育のなかでも必要ではないかと思います。
あと、こういう発信をしていると、在外の方が現地の事例を教えてくれるんですよね。SNSを使って、例えばあるテーマで広告を撮り合ってシェアするといったことも可能ではありますよね。
—選挙ポスターには、かなり思うところがありますよね。
小林:去年の東京都知事選では、すごいこと(※)が起きましたよね。その後、規制やルールづくりもされたと聞いていますが、でもこの国の公共空間と表現のあり方について考えさせられる機会になりました。
—小林さんは著書のなかでも、男らしさ / 女らしさというバイアスを助長するような広告について規制やルールメイキングがされないのは、結局のところ誰かが金儲けをする方向にルールが寄っていってしまって、公共性といった概念が薄いからではないか、ということを話されていましたよね。どうすればいいんでしょうね。やっぱり、教育が重要になるのでしょうか。
小林:もちろん教育もそう。さらにはやっぱり、いろんな利権が絡むところですよね。米国の大統領選でも企業の影響力が強くて、それで力の配分、勢力図を変えてしまうくらいの資本の力が働いてしまう。でもそのことが、私たちの生存や政治という部分にものすごく影響しているということを、まず学ぶ機会がほしいな、と思います。
—小林さんの新著『その〈男らしさ〉はどこからきたの?広告で読み解く「デキる男」の現在地』が、8月に発売されますね。この本の前提になっているのが、小林さんが企画され、昨秋開かれた展覧会『その「男らしさ」はどこからきたの?』かと思います。その展示は、どんなものだったのでしょうか。
小林:作品展示と資料展示に空間をわけた二部構成で、作品は現代美術家の高田冬彦さんの『Cut Suits』という作品、もう一つは写真家の甲斐啓二郎さんの作品『綺羅の晴れ着』を展示しました。高田さんの作品は、6人の男性がスーツ姿で画面のなかに現れて、お互いのスーツを切り合う過程を捉えた映像です。甲斐さんの作品は、日本全国各地で開かれている裸踊りを撮影した写真と映像で構成されています。どちらも男性の装いに注目したもので、手法は違うのですが、この二人の作品を一つの空間で連続して見せたら面白いんじゃないかと思ったんです。
展覧会『その「男らしさ」はどこからきたの?』より甲斐啓二郎『綺羅の晴れ着』
展覧会『その「男らしさ」はどこからきたの?』より高田冬彦『Cut Suits』
—なるほど。広告のほうはどのようなものを選ばれて展示されたんですか?
小林:特にこの高田さんの『Cut Suits』にすごく感銘を受けて、そこから資料展示『「男らしさ」の広告観察』のインスピレーションをもらったんです。男性がお互いの着ている記号としてのスーツを切り合い、剥がしていくことが持つ意味を考えたんですね。『「男らしさ」の広告観察』はある意味、その高田さんの作品からインスパイアされ、読み解く視点を考えながら、ちまたの広告を拾っていきました。
—そうなると、最初はスーツを着た男性の表象などから注目し始めたんですか。
小林:スーツ姿の男性、その総体としてだけじゃなく、どういうポーズをしてるのか、 どういう演出をしているのか、そういうポイントを細かく分析して見ていくと、パターンがあり、かつ女性の表象では見たことがない傾向に気づくんです。
例えば、金融やIT系の広告って、やっぱり男性が登場することが多いのですが、なにかグラフを手にしている。抽象的なブロックみたいなものが、手のひらに載っていたり、グラフが伸びていたりする。
—グラフ持ちがち(笑)。
小林:お約束の演出があるんですよね。あと、「男らしさの広告観察」のパネルで来場者から反応が大きかったのは「背景高層ビルおじさん」。なんか知らないけど、おじさんの背景に都心の景色を上空から見下ろすような写真が貼ってありがちなんですよね。例えばビジネスやサプリ系の広告など、頑張ってるおじさんの後ろにはなぜか高層ビル群がある。
列車に揺られて出勤して、高層ビルにたどり着いて、高層階に行って仕事をしてっていう、そういう姿が働く男の真っ当な姿であり、都心での就労こそが成功への道である、という呪いをかけていると思っています。
—8月発売の著書『その〈男らしさ〉はどこからきたの?広告で読み解く「デキる男」の現在地』についてですが、さっきご紹介いただいた展覧会で準備されたことが下敷きになっているんですよね?
小林:『「男らしさ」の広告観察』にて、(分類を)23パターンつくったんです。それから追加してはいるんですが、そのなかであげた広告をプロットごとに振り分けながら、5章構成としました。まず1章で飲料の広告、2章でスーツやパンツ、下着の広告、3章と4章で、いわゆる鍛える系や、身体鍛錬とケアがセットになりがちであること。4章目は、まず異性愛が前提となっていて、鍛えるなど自身を向上させる目的として「女にモテる」ということが必ずプロットに組み込まれているんです。そのなかで、女性をある種のケア役……ご褒美やリワード的に描くということがセットになりがち、という問題を指摘しています。5章が、政治のポスターについて。昨年、トラウデン直美さんが歴代総裁の画像をあしらった広報ポスターについて「おじさんの詰め合わせ」と感想をいったことがハレーションを起こしたことがありました。それは表現そのものではなく、表現に対するリアクションがもたらしたざわつきなんですよね。その構造って何だろう、ということを書いています。
『その〈男らしさ〉はどこからきたの?広告で読み解く「デキる男」の現在地』
—めちゃくちゃ面白そうですね……。
小林:さらに、6章が対談で「その男らしさはどこへ行くの」という章にしました。中学校/高校でジェンダー教育に携わっている方、性教育の歴史研究をしている教育学者の方、ジェンダー医療というものの専門性を追求していらっしゃる医師の方、その3人と、「これからどうしていこうかね」みたいなお話をしています。
—これからどうしていくか、そのヒントは見えてきましたか。
小林:そうですね。やはり過去や現状を認識しておかないと、将来の展望って描けないと思うんですよね。いまある課題に対して、どうしていくべきという、小さなステップをいろんな現場でトライしていくということ。
学校教育でジェンダーに取り組むということは、それまで現場で自明とされていた価値観を問い直していくということでもあるわけです。教育現場って、男女平等とはされているけれど、実際には男性の子どもたち、なかでも声が大きいほうが力を持っちゃうような不均衡はあったりするし、あるいは男性の進学校の子ほど、社会的に指導的な立場になるという感覚を幼い頃から持ってしまうので、平等や人権という部分の感覚がずれてしまうことがあったり。
誰に教わるか、どういうふうな言われ方をするか、という面からも変わってくるので、カリキュラム通り教えれば済む問題ではない。結局はコミュニケーションの問題なので、いろんな現場で頑張ってる方々に今回、現状や課題についてお話いただきました。そして、子どもたちに対峙する前に、教える側の大人の学び直しが本当に大事で。大人からまず学んで、意識について振り返って点検するというプロセスがとても大事だと思います。
—これまで「男らしさ」「女らしさ」についてお話ししてきましたが、セクシュアリティとは男女の二元論的な話ではなく、グラデーションで存在していますね。最後に、小林さんが翻訳をつとめられた、グラフィックノベル『ジェンダー・クィア:私として生きてきた日々』についておうかがいしたいです。マイア・コベイブさんというコミック作家の作品なんですよね。
小林:マイア・コベイブさんは、1989年生まれのいわゆるミレニアル世代。女性として生まれて、いまはノンバイナリーとして生きています。その生い立ちとして、2歳ぐらいから20歳後半ぐらいまでを描いた作品が『ジェンダー・クィア:私として生きてきた日々』です。主人公は1980年代〜2000年代、社会状況の変化のなかで、LGBTQという言葉を知り、自らのジェンダーに関わることを学んでいく。そのなかには日本の漫画も登場しますし、映画や音楽などのポップカルチャー、いろんなものに出会いながら、自分はどういう存在なのか、ということを知っていく過程を描いた自叙伝であり、同時に社会の文化も描いています。
『ジェンダー・クィア:私として生きてきた日々』
—例えば『らんま1/2』といった作品や矢沢あいさん、CLAMPさんの漫画にも触れています。たしかにいま読むと、クィアなキャラクターがたくさん出てきていた。そういったものに影響を受けてきた方の軌跡であって、日本の人にもぜひ読んでほしいと思いました。
小林:翻訳は日本で11か国目かな。アメリカはトランプ政権になりましたけど、宗教右派が攻撃して、禁書運動を展開し、公共図書館から撤去の対象になった本でもあります。
自分自身ものを書いたり、芸術に関わってきたりして、表現を人に届けることが、いかに手がかかるかということが身にしみていて、政治や巨大な資本がそれを潰してしまうこともよくあるんですよね。だから、ものを書くことや表現することって、ある種の抵抗活動みたいな側面もあると思うんです。個人の力はとても弱いですけど、それでも何かを伝え合うこと、それはすごい大事だし、個人を守る——若い人、子どもたちを守るために、必要なことだと思います。