
Text by 包國文朗
2023年にインディーゲームクリエイターのコタケクリエイトが開発・発売したゲーム『8番出口』は、日本の地下通路を模した無機質な空間を舞台に、微細な“異変”を探し出しながら出口を目指すというシンプルな構造ながら、全世界累計140万ダウンロードを突破し、社会現象を巻き起こしました。
2025年8月には二宮和也さん主演で実写映画化される、このゲーム。
ループする通路、不気味な違和感、進んでも進んでも出口が見えない不安——このゲームに私たちはなぜ、ここまで惹かれたのでしょうか。
本企画では、YouTubeのゲーム実況動画が人気の精神科医・名越康文さんを招き、『8番出口』のモチーフやゲームに内在する構造を紐解きながら、現代を生きる私たちの「心の状態」や「不安の出口」を探っていきます。
©KOTAKE CREATE
─まず、名越先生はゲーム『8番出口』が多くの人に支持された理由をどうお考えですか?
名越康文(以下、名越):あのゲームがヒットした理由については、僕は「はめられたから」だと思ってるんです。
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身近で日常的な風景な風景のはずなのに、気づいたらすごく非日常で、奇妙すぎる展開に巻き込まれている......というギャップが大きかったからこそ、多くの人に刺さったんじゃないかという気がします。ある意味、うまく「はめられた」んですよね。
─なるほど。『8番出口』には、「日常と非日常のギャップ」があったのが大きかったと。
名越:現実の生活を考えてみると、こんなに整備された社会空間において、まるでお化け屋敷のような空間があるはずがないんです。
だから、もし現実の中に「恐怖」があるとすれば、それは何気ない風景がある瞬間から「日常ではない」と感じとれてしまう時でしょうね。『8番出口』には、日常そのものの空間が急に、理解不能な空間になってしまう恐怖があるのではないでしょうか。
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1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学、龍谷大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪精神医療センターにて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。
引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。「THE BARDIC BAND」として音楽活動にも精力的に活動中。「名越康文シークレットトークYouTube分室」も好評。チャンネル登録者数19.4万人(2025年7月現在)。
─先生は、ご自身のYouTubeチャンネルで『8番出口』をプレイした動画をあげていましたよね。実際にプレイした感想は、いかがでしょうか。
名越:ゲームのプレイの感想としては、僕にとってはすごい難儀なゲームでしたね。まず感じたのは、「のっぺりしているな」という印象でした。表情がまったくないので、自分はかなり苦手な部類の世界観だったかもしれません。
─精神科医という仕事柄、変化を探すのが得意なのではないかと勝手に思っていました。
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何かに気づくかどうかって、結局「それに関心があるかどうか」なんです。人って興味がないことって、あたかも存在しないくらいの勢いで見えていない。そういうことってありませんか。
─たしかにありますね。その場にいた人に言われてはじめて気づく、みたいな。
名越:そうですよね。でもさっき部屋のものがなくなっても気づかないと言いましたが、僕でも部屋に入ったときに何かに気づく瞬間はあるんですよ。たとえば、ある家具や調度品がすごく丁寧に磨かれていて「これはこの人にとって大切なものなんだな」と感じるとき。
そういうのって、人の「表情」と一緒なんです。空間のなかにその人の人生におけるこだわりが表れていたら読めるかもしれません。
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─なるほど。空間も人の「表情」のようなものがあると、そこに意味を感じ取れるということなんですね。
名越:本人にしかわからないような大切なもの...... たとえば、セミの抜け殻が部屋の片隅に大事そうに置かれているとします。そこにはその人がそれをすごい大切にしてあるっていう空気があるんです。
僕はそれを「集注感」と呼んでいるんですが、そうした空気を感じ取ると、自然とその物が浮き上がって見えるような感覚になるんです。
でも、『8番出口』の世界には、そういった個人的なライフスタイルがまったく反映されていない、無機質でのっぺりとした世界でしょう。基本的に、すれ違うおじさんの表情の変化もない。だから、僕のような人間は一番戸惑うゲームだったのかもしれません。
─『8番出口』では怖いポスターや天井のシミなど、さまざまなホラー的モチーフが登場しますが、先生が特に恐怖を感じたものは何でしたか?
名越:壁に同化した白い人が等速で追いかけてくるモチーフには、恐怖を感じましたね。普通、人間が走るときって、勢いをつけて10メートル、20メートルくらいで最高速度に達するでしょう。でも、あのキャラクターは、ずっと同じスピードで向かってきているように見えたんです。
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名越:僕たちが何者かに追いかけられた時には、相手の走り方を見て、何秒後にはどれくらい追いつかれるかを瞬間的に予想しながら逃げているはずなんです。
おそらく動物もそうでしょうが、それが太古から我々が有している予測能力です。しかし、ゲーム内の白い人は、たぶん加速度のかかり方が人間や動物とはどうも違うんです。ですから、予測がすごく難しい。「やばい、自分の予測よりも早く近づいてくるぞ」っていう危機感があり、とても怖かったです。
─予測ができないこと自体が、恐怖につながるということですね。
名越:そうですね。だから将来、アンドロイドに追いかけられたら、あんな恐怖を味わうのかな、とも思いましたね。アンドロイドってきっと、動物的な加速度がかからないので、すごく恐いはずなんですね。
─ほかにも『8番出口』では、映画『シャイニング』を彷彿とさせるようなモチーフもありましたね。ああいったモチーフを、精神分析的に読み解くこともできるんでしょうか?
名越:僕は精神分析を専門にやっているわけではないので、あくまで一般的な話としてですが、まず赤っていうのは血の色ですよね。
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名越:これはあくまでベタすぎる分析ですが……血っていうのは、精神分析的には性的な意味合いや、月経の血だったり、出産にまつわるものとして解釈されることもあるんです。
赤い液体のイメージには、たとえば羊水とか、再び母の胎内に戻されてしまうような、自分が個としての輪郭を失って、液体の中に溶けていくような恐怖が重ねられているともいえるかもしれません。いわば『エヴァンゲリオン』の碇シンジ的な世界というか、綾波レイが出てくる羊水的な液体の中に、自分がまた戻ってしまうような恐怖もあったり。
ただ、これは精神分析に関心のある人なら、誰でも一度は口にするような定石的なもので、僕にとっては退屈な解釈ですが、そういう読み方も「ありうる」という話ですね。
─迷路に入り込むような、『8番出口』の構図に関しては、どう感じられましたか?
名越:ゲームとしては、一般的な「筋立て」だと思います。
「迷路に入って、その中で出口を探す」というのはもう、僕が20代の頃から『ドラゴンクエスト』などでよくあった構図ですよね。いわゆる「ダンジョン制」というやつで、ゲームの王道だと思います。
おそらくゲーム製作者たちは、ダンジョンの中で人が迷ったり、窮地に立たされたり、いろいろと考えさせられたりする……という体験を体感的に知っておられて、このちょっと特別なゲームでもその歴史はとても大切にされている印象がありますね。
─たしかに、いままでのゲームでも舞台は違うものの、同じような構図が繰り返されているのかもしれませんね。
名越:そういったゲームの構造で思い出すのが、『風来のシレン』っていう昔のゲームなんですよ。あれはもっと過酷で(笑)。たとえばダンジョン内で倒されると、最初の場所に無装備で戻されちゃうんです。18時間くらいかけて進めていたのに、ゴール目前で一気にスタート地点に戻る……みたいな。
僕はその『風来のシレン』で何回も絶望を味わってるから、『8番出口』の「またスタートに戻ってしまった」という絶望はそんなにひどくはなかったかもしれませんね。
─なるほど。こういった迷路やループといったゲームのモチーフに、人が惹かれるのはなぜだと思いますか?
名越:やっぱり「解決できる」っていう安心感があるからじゃないかなと思います。
逆にいえば、普通の人生には迷路すらないですよね。たとえば「この努力をしたら、あの会社の部長さんに気に入られて、いい仕事がもらえるはず」と思ってたのに、実際はその仕事のせいで毎日4時間しか寝られなくなる……みたいなことが起きるわけです。
─たしかに、現実はそううまくいかないことも多いですね。
名越:そうです。でもゲームのダンジョンって、いずれはボスキャラが出てきて、倒せば外に出られる。つまり、あれは絶望ではなくて「希望」なんですよ。ある種の「安心」がそこにある。その「安心の中で不安を感じる」っていうのが、人間にとっては楽しいんですよね。
─安心の中で不安を感じる。
名越:完全に安心してたら退屈だけど、安心の土台があるからこそ、不安も楽しめるんです。エンターテインメントは全部そうだと思っていて、たとえば映画『ミッション:インポッシブル』なんて、絶対あり得ない展開ばっかりです。でも最後はトム・クルーズがちゃんと勝つってわかってるから楽しめる。
だから『8番出口』のようなループもののゲームは、不安を感じさせながらも、根っこのところで「これはいつか終わるだろう」という安心感とのバランスがあるんです。
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─『8番出口』のゲームでは違和感に気づくことが求められていましたが、現実で違和感や不安に過敏になることについては、どうお考えですか?
名越:違和感や不安に敏感になりすぎると、生きていくうえでしんどくなってしまうこともあります。それに気づく感性は大事だけど、巻き込まれすぎずに、適度な距離を取ることが必要だと思います。
─なるほど。名越さんご自身は、日頃の不安とどう向き合えばよいと考えますか?
名越:むしろ「不安と向き合おうとしないこと」が大事ですね。
不安のほとんどって、空想とか妄想なんです。実際には起こり得ないことのほうが圧倒的に多い。もし、自分が頭の中で思い描いた不安のうち、三分の一でも実際に起きていたら、おそらくいまここに生きていないと思うんです。それくらい、僕らの不安って現実離れしているんです。
─たしかにそうですね……。
名越:だから、本当に起こりうることについてはちゃんと考えるけれど、それ以外の、九割以上の不安に関しては「ああ、また始まったな」と受け流して、気分転換したほうがいい。不安と向き合うなんて、一番馬鹿げたやり方です。起こりようのないことと向き合ったって、時間の無駄ですから。
それより大切なのは、「いま、自分は不安の中にいるな」と客観的に気づいて、「じゃあ、どうやってそこから抜け出すか?」を考えること。不安から逃げるとか逸らすといった技術のほうが、よほど実用的だと思います。
─なるほど。では、どうすれば上手に不安から気を逸らすことができるのでしょうか?
名越:特におすすめなのは、「散歩」です。
人間って歩いている最中、脳の多くのリソースを「歩く」という高度な技術に使うんです。だってこんな小さな足の裏で、頭部が重い全体重を立たせて移動させているんですよ。それはとても複雑な情報処理のはずです。
歩いていると、その分一時的に考えたり悩んだりする能力が減退し、不安もなくなるのではないでしょうか。また、運動することで脳内セロトニンも分泌されて晴れやかな気分になります。
─不安に押しつぶされそうなときほど、「ちゃんと向き合わなきゃ」と思い込んでしまいがちですよね。
名越:不安に押しつぶされそうになっている人って、「向き合わなきゃいけない」と思い込んでることが多いのですが、それではうまくいかないんです。
まず、そのネガティブな気分を一旦払拭した上で、対策を練ることが大事。気分が晴れていると、実行可能なことと不可能なことがわかりやすいので、解決に向かえます。
だから、不安を感じたときには、「あ、自分のいつもの癖が出てきたな」って、少し俯瞰して見ることが大切です。そのうえで、別のことをはじめてみる。そうやって、うまく気分を切り替える知恵が必要だと思いますね。僕自身、何千、何万という不安を経験してきて、そう感じています。
─ゲームの話を通じて、いろいろな気づきがありました。名越先生、ありがとうございました!