
祇園祭の祭礼をおこなう「八坂神社」の正門・南楼門と石鳥居の間に、『二軒茶屋 中村楼』があります。訪れた7月は、家紋が入った門幕と提灯が吊るされ、玄関の奥の間には祇園祭にちなんだ飾りがしつらえてありました。「祇園町では、7月10日から28日を祇園祭の期間として飾り付けをします」と話す中村楼13代目・辻 喜彦さんを取材しました。
中村楼は八坂神社に参拝する人が寄る茶屋として、室町期に創業したとされています。その頃は「柏屋」と「藤屋」の2軒の茶屋があり、二軒茶屋と呼ばれていました。中村楼は「柏屋」の流れを継いでおり、現在は茶屋と料亭の営業をしています。
名物は、田楽豆腐「祇園豆腐」です。砂糖が貴重な時代に、豆腐に甘味が感じられる白味噌をぬった田楽豆腐を出したところ大変な話題になり、中村楼の名物になりました。その後、木の芽味噌がぬられるようになり、現在も茶屋や料亭で提供されています。
一方で、串に刺した餅に白味噌をぬり、炭火で炙った中村楼発祥の「稚児餅」があります。稚児餅は、祇園祭で神様にお仕えする役目を担う稚児が八坂神社に参拝する稚児社参の7月13日の朝に、調整されるものです。当日の朝、辻さんは12代目の父とともに、100本の稚児餅を八坂神社の本殿に供えます。
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そして午前は長刀鉾稚児社参、午後は久世駒形稚児社参があり、それぞれ八坂神社の参拝のあと、お稚児さんは中村楼でお茶と稚児餅をいただきます。以前は行事のためだけに稚児餅を作っていましたが、現在はお稚児さんに供したあと、7月14日から31日まで、茶屋で稚児餅を提供しています。
稚児社参の日が、中村楼にとって1年で最も大事な日だと話す辻さんに、13代目としての想いを聞きました。
──継ぐことを前提に、約500年の歴史があるお店に入られたときは、どのような状況だったのですか?
20歳くらいのときに継ぐ流れになって、夜間の料理学校に入り、お店でサービスなどの仕事をしながら調理師免許を取りました。小さい頃から料亭の中が遊び場で、従業員にも遊んでもらった想い出がいっぱいあって、愛着がある。継いでくれっていう話はありませんが、継がなあかんなって感覚です。
──実際に、入ってみてどうでしたか?
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入って20年くらいになりますが、いいか悪いかは、もうちょっと年がいかないとわからないですね。社長である父は74歳で、喧嘩はしますけど、仲は良い方やと思います。性格は真逆やからぶつかることはありますが、基本的に受け入れてくれます。なかでも7月などの祭りでは、立場などは違いますがお互いにリスペクトし合ってて、口には出さないですけど中村楼としての役割などが一致してる唯一の月でいい雰囲気です。
──先日は祇園町の氏子組織「宮本組」の若手としてお話を伺いましたが、祇園祭の期間はやはりお忙しいですか?(前回の記事はこちら)
7月はバタバタしていますね。父は宮本組には入っていないんですけど祇園万灯会の会長をしていますし、辻家としては1年で7月が一番忙しいかもしれない。店としては桜や紅葉のシーズンが忙しいですけど。
──13代目としての辻さんの目標は?
7月13日は、辻家にとって一年で1番大切な日だと思ってます。代々やってきたことなので、大きさが変わっても毎年この日を迎えていかなければいけないと考えてます。
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僕は立場など関係なく、純粋に祇園祭が大好きやから。中村楼が祇園祭に携わることがちゃんとできてこそ、祭りを楽しく迎えられると思っています。
──そのためにも中村楼をもっとたくさんの人に知っていただきたい?
知っている人が知っていてくれたらいいみたいなところはありますよね。観光客ももちろんありがたいんですけど、やっぱり地元に愛されたいっていう思いはすごくあって、それが大事やなと思ってるんです。祇園祭で中村楼がやるべきことを毎年できるように頑張っていきたい。そして八坂神社のお膝元でずっとやらせていただきたいですね。
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・太田 浩子)