篠塚和典が明かすイチローが使っていた「篠塚モデル」のバットの特徴と、WBCでの練習秘話

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2025年07月29日 10:40  webスポルティーバ

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篠塚和典が語るイチロー 後編

(前編:イチローの日米野球殿堂入りを「当然のこと」と称賛 自身のバッティングとの共通点とは>>)

 篠塚和典氏に聞くイチロー氏のエピソード後編では、イチロー氏がベースにしていた"篠塚モデル"のバットの特徴、第2回WBCなどについて聞いた。

【篠塚とイチローモデル、バットの共通点は「先端の細さ」】

――イチローさんが、プロ入り当初から"篠塚モデル"をベースとしたバットを長年使われていたことはよく知られています。篠塚さんがこのことを知ったのはいつ頃ですか?

篠塚和典(以下:篠塚) イチローのお父さんとゴルフコンペで一緒になった時があるのですが、確かその時に「ミズノ養老工場へ行って選んだのが、篠塚さんのバットなんですよ」と聞きました。

――今手に持っている(取材時に持参した)バットは"イチローモデル"とのことですが、やはり篠塚さんのモデルとほとんど同じですか?

篠塚 そうですね。共通しているのは、先端が細いこと。グリップは僕の使っていたバットのほうが少し細いです。あと、長さはイチローが使っていたバットのほうが3インチくらい短いかもしれません。先端は中指と親指で握ると指1本分くらい余ります。一般的なバットは1本半くらい余ると思いますね。先端が細いほうが振りやすいんです。

 あと、昔はバットの重さを調整するために、先端をくり抜いたバットが多かったんです。僕も最初は使っていたのですが、先っぽのほうで打った時に先端が割れてしまうことが何回かありました。打球も弱かったので、先端をくり抜かず平らにカットしたバットを使うようにしたんです。

 そのようなバットは当時では珍しかったと思いますよ。その分、ヘッドは重くなりますが、先っぽのほうに当たってもある程度強い打球を打てましたし、僕にとっては操作しやすかったですね。

――篠塚さんはバットの先っぽで打っても、詰まっても、当たりが悪かろうがヒットはヒットという考えをお持ちですが、それを実現しやすいバットですか?

篠塚 そうですね。当然のことですが、バットは自分の体型や感覚などに合ったものを使っていくのが一番いいので。自分が使っていたバットを「使ったほうがいい」と誰かにすすめることもないですし。イチローの場合は僕のモデルが合っていたということでしょうね。

【「感覚が合うバット」とは?】

――先端が細いバットにたどり着くまで、ある程度の時間はかかりましたか?

篠塚 プロ入りした頃はそういうバットのイメージもなかったですからね。当初はバットを長く持っていたのですが、僕は体が大きくないじゃないですか。なので、当時コーチをされていた土井正三さんから「そんなに長く持ったら振れやしないし、短く持ったほうがいい」と言われていました。

 あと、「篠塚みたいなタイプはグリップが太いバットを使ったほうがいいし、短く持て」と言われました。ただ、バットを短く持つと、構えた時に体が縮こまって小さくなってしまうんです。長く持つと大きく構えられるんですよ。

――しばらくは、グリップが太いバットを使っていたんですか?

篠塚 そうです。ただ、ある日に特打をしている時、僕のバッティングを見ていておかしいと思ったんでしょうね。外野からミスター(長島茂雄氏)が走ってきて、「バットを見せてみろ」と。それでバットを見せたら、「こんなバット使えるか! 自分のバットを使え」と言われたんです。その場面には土井さんもいてミスターと僕のやりとりを見ていましたし、以降は自分のバットを使うようになりました。

――同じモデルでも、バットは1本1本微妙な違いがあると思います。感覚が合うバットはどれくらいありますか?

篠塚 手で叩いた時にボンボンといい音がしていたとしても、振った時のバランスがしっくりこなかったり、逆にあまりいい音のしないバットのほうが感覚が合って使う時もありました。手元に1ダース(12本)くらい届きますが、感覚がしっくりくるのは1本か2本です。残りの何本かは練習で使ったりしますが、練習が終われば返却してしまいました。

――バットは湿度の高い環境に長時間置いておくと、水分を吸い込んで重たくなったりすると聞きますが、そういった部分の対策はされていましたか?

篠塚 僕らの時代はそういうことをあまり意識しなかったです。今は乾燥機に入れたりとか、いろいろありますけどね。ただ、大事にはしていましたよ。使用後はきれいに磨いていましたし、枕元に置いて寝たりしていました。

――ご自身の感覚に合うバットにしてからは、引退まで同じバットを使われていた?

篠塚 夏場に重さを少し軽くしたりすることはありましたが、バットの形状は変えませんでした。基本は930グラムで、ほかに910、915、920グラムのバットも用意していましたね。

――バッティングでスランプに陥ってしまった時の脱し方は?

篠塚 「これをやっておけばいい状態に戻る」っていう手段はなかなかないです。バッティング練習をあえてしない時もありましたし、バッティング練習の時間を短くしたこともありましたし、外野で遠投をして腕をパンパンに腫らしてバットを持った時の感覚を調整してみたり......いろいろなことを試しましたが、やっぱり練習するしかないと思いますよ。10、20打席くらいヒットが出なくなると、いい状態にはなかなか戻りません。精神的にやられちゃいますよね。

――精神的に追い込まれることがある?

篠塚 やっぱり打てない時は、マンネリ化じゃないですが、何をやっても同じになってしまうんです。なので、僕はよくウォーレン・クロマティのバットを借りたりしていました。彼のバットは僕のバットよりもグリップが細く、先っぽのほうが太いんです。持った時、振った時の感覚が全然違うバットを使ってマンネリを打破するという感じです。

 使っているといい感覚で打てるようになったりするので、クロウ(クロマティ氏の愛称)に「バットを2本くらいくれない?」と言ってもらったりもしていました。

【イチローは「同じバットマン、野球人として誇らしい」】

――篠塚さんは、世界一に輝いた第2回のWBC(2009年開催)で打撃コーチを務められ、イチローさんと同じチームでしたが、バッティングのお話はされましたか?

篠塚 普段は同じチームでないですし、まずは状態の観察からと思っていたので、最初はほとんどしなかったです。ただ、イチローがどういうルーティーンでバッターボックスに入っていくのか、バッティング練習の時にどういう感覚で打つのか、を見ていました。日本での試合(第1ラウンド)での調子はそこそこだったのですが、アメリカ(第2ラウンド)に行ってからは調子が悪くなってしまったんですよね。

 彼を見ていて感じたのは、"体のキレ"をものすごく意識しているということ。たとえば、バッティング練習でそれがわかるのですが、彼は練習ではだいたいホームランを狙います。体のキレを出すためにはしっかり振り切きることが大切なのですが、ホームランを狙うことでキレを高めているんだなと。

ガッツ(小笠原道大)やムネ(川崎宗則)、稲葉(篤紀)らとは打撃について話しましたが、イチローも最後は調子が上がって、決勝でのセンター前ヒットにつながりましたね。

――篠塚さんも体のキレを意識されていましたか?

篠塚 そうですね。僕の場合はバッティング練習をする時に逆方向から打っていきます。途中からある程度引っ張って打つようにして、最後にしっかり振り切って長打を狙いますね。意図はイチロー同様に体のキレを出すためです。

――篠塚さんは野球教室で子どもたちに教える機会が多いと思いますが、バッティングについてどんなことを教えていますか?

篠塚 上半身だけで打ってしまう子が多いんです。下半身の動きがしっかりすれば上半身もスムーズに回るのですが、今の子たちは下半身を使わずに振ってしまいがちです。野球を始めたばかりの頃は、バットにボールを当てたいという気持ちが強いでしょうし、それもわかります。ただ、その感覚でいいのは小学校の低学年くらいまでです。4年生くらいになったら、下半身を意識して使っていくことを教えるべきかなと。その後、中学、高校と野球を続けていくうえで、なるべく早い段階で下半身の動きを覚えることが大事だと思います。

――最後に、イチローさんの偉業について、あらためてメッセージなどございましたらお願いします。

篠塚 日本人初のアメリカ野球殿堂入りは名誉ですし、僕が引退した年(1994年)に日本で210安打を達成して脚光を浴び、アベレージ重視の同じタイプの日本人バッターが世界で通用することを示してくれました。

 アメリカに渡ったのは27歳の時ですが、ピート・ローズやタイ・カッブ、同じ時代の選手ではウェイド・ボッグス、デレク・ジーターら名だたる歴代の名打者とも安打で比較される存在になりました。そして首位打者獲得やオールスターМVP、WBCでの決勝タイムリーなど印象的な活躍をしてくれたことは、同じバットマン、野球人として誇らしいことです。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年〜2003年、2006年〜2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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