《6年ぶり実現の裏で…》雅子さまも憂慮されていた須崎御用邸への“不要論”、温泉供給に年300万円の維持費

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2025年07月30日 11:11  web女性自身

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夏らしいファッションに身を包んだ天皇陛下、雅子さま、愛子さまが駅構内で待っていた地元の人々の歓声に手を振られ、ときには子供たちに話しかけられて……。



そんな伊豆急下田駅の“夏の風物詩”が帰ってくるという。地元住民はこう語る。



「今年8月上旬に天皇ご一家が、(静岡県下田市の)須崎御用邸で静養されるそうで、地元の人々はいまから心待ちにしています。’23年は新型コロナウイルスの感染者が増加傾向にあったため、直前にお取りやめになりました。



また’24年には東北で甚大な豪雨被害があったことから、急きょ中止になったのです。今夏、須崎ご静養が実現すれば、’19年8月以来、6年ぶりとなります」



’71年に竣工された須崎御用邸。



「特筆すべきは、御用邸内にあるプライベートビーチ『三井浜』でしょう。昭和天皇以来、皇室の方々は三井浜で、海洋生物の研究、散策、海水浴などを楽しまれてきたのです。また、あまり知られていませんが、御用邸には付近の源泉から温泉も引かれています」(皇室担当記者)



’22年、愛子さまは成年に際しての記者会見で、須崎での思い出についても語られている。



「静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き、海で泳いでいる時に、綺麗なお魚の群れを発見して皆で観賞しましたり、また、須崎はほとんど波のない穏やかな海でございますけれども、サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」



皇室番組を長年手がけてきた放送作家の、つげのり子さんはこう話す。



「須崎御用邸は、愛子さまにとって、自分を成長させてくれた大切な場所であるのではないかと思います。愛子さまは水泳にあまりなじみがなかったそうですが、学習院初等科5年生の夏から、三井浜で水泳の練習を始められたそうです。そのかいがあってか、初等科6年生の沼津市での臨海学校では500メートル泳がれ、さらに女子中等科2年生のときには約3キロの遠泳も泳ぎ切られたのです。須崎御用邸から帰京されるときには、愛子さまはいつもこんがり日焼けされていましたね」



ご一家の思い出が詰まった須崎御用邸。だが実は“消滅の危機”もささやかれていたという。



宮内庁関係者はこう明かす。



「一時期は、皇室の方々がほとんど利用されず、職員たちの間で“須崎御用邸はもう必要ないのではないか”という意見も上がっていたのです。



上皇ご夫妻は8年前から、須崎御用邸に滞在されなくなりました。同じく海のそばにある葉山御用邸に比べると、須崎御用邸は移動距離も長く、ご高齢の上皇ご夫妻にとっては気軽に行ける場所ではなくなっていたのでしょう。



また秋篠宮ご一家は、御用邸に滞在されるときには、上皇ご夫妻とごいっしょのときがほとんどで、やはり葉山のほうを利用されることが多かったのです。さらに天皇ご一家も、社会的な状況なども鑑みていたとはいえ、須崎御用邸から6年も足が遠のかれていました」





■警備や温泉供給など維持費が問題視されて……



この須崎御用邸廃止論の根拠の一つは維持費だったという。前出の宮内庁関係者が続ける。



「敷地面積は葉山御用邸の4倍もあり、その分警備費用がかかります。また築50年以上となり、建物の補修費用も必要です。さらに温泉の供給に年間300万円ほどかかっています。そのため“どなたも利用されないのに、維持する必要があるのか”という声もあったのです」



だが、そんな声を憂慮されていたのが雅子さまだったのだ。



「須崎御用邸は、昭和天皇や香淳皇后も愛されました。また上皇ご夫妻も幼いお孫さまたちと過ごされました。もちろん天皇陛下にとっても、愛子さまのご成長を見守られた場所でもあります。雅子さまにとっては、廃止論は受け入れがたく、この数年は“今年こそは須崎へ”と願い続けられていたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)



前出のつげさんはこう語る。



「私も須崎御用邸は必要なのではないかと思います。まず一つには、ご多忙な天皇皇后両陛下の心身の疲労を癒せる場所であることです。



また将来生まれてくる皇室のお子様方の成長にとっても、貴重な場所であると思います。次世代のお子様方も、一般の子供たちのように自由に海水浴に行くことはできないでしょう。須崎御用邸があれば、これまで愛子さまが体験されたように、お子様方も海辺の自然に親しむことができると思います」



天皇ご一家は下田市には“お召し列車”で訪問されるという。



「’19年8月に天皇ご一家が利用されたのは、JR東日本の特別列車でした。ご公務ではないため、菊紋がついた特別車両はつながれませんでしたが、特に鉄道ファンたちの間で、“天皇陛下として初めてお召し列車に乗車された”などと、話題を集めていました」(前出・皇室担当記者)



“須崎での最後の夏にはさせない”、そんなご覚悟も胸に秘め、雅子さまは思い出の海と再会される。

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