
治療法がない病気だと告げられた時、飼い主は愛猫に対して何ができるのだろう。アイルーさん(@suigintokushima)は、愛猫すいぎんとうくん(通称:すーちゃん)が「血管肉腫」だと判明した時、そんな壁にぶつかった。
「血管肉腫の怖さは、全く前兆がないこと。食欲も排泄も変わりなく、お腹が1日で急に膨らんだ感じでした」
“保健所行き寸前の成猫”を友人夫妻から引き取って
すーちゃんは、友人Aさんの旦那さんが購入した子だった。一心に愛情を注がれていたからこそ、夫婦に子どもが誕生すると、ストレスからか、マーキングが酷くなったそうだ。
尿路結石になりやすかったすーちゃんは、尿のにおいが強い。Aさんは育児と度重なるマーキングで精神的に参ってしまった。
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だが、なんとか現状を改善したいと思い、夫に相談。しかし、返ってきたのは「保健所に連れていけば?」という言葉だった。Aさんはそんな選択は下せず、飼い主さんに相談。
事情を知った飼い主さんは旦那さんの発言への怒りがこみ上げ、2015年、すーちゃんのお迎えを決意した。
「美しい毛並みや控えめで甘えん坊な性格に心奪われたのも、お迎えを決めた理由です」
当時、ペット不可物件に住んでいた飼い主さんは、すぐに引っ越し。名前はつけ直してもいいと言われたが、呼ばれ慣れていた様子だったため、変えなかった。
ある日突然、愛猫のお腹が膨らんで…
すーちゃんは4歳の成猫だったが、持ち前の人懐っこさで、すぐ新しい環境に慣れてくれた。一対一で愛してもらえるようになると、マーキングはほぼなくなったそうだ。
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愛情深いすーちゃんは飼い主さんが泣いていると、顔に頭をすりつけて喉をゴロゴロ。涙をぬぐうような行動に、飼い主さんは何度も救われた。
お迎え後、すーちゃんは2度ほど尿路結石になった。飼い主さんは3軒もの動物病院を回り、信頼できるかかりつけ医を見つけたそうだ。
「尿路結石で一晩、入院した時には、お医者さんも触れないほど気が立ってしまって…。でも、私が近づくと甘えた声で鳴き、すんなり抱っこできて…。絆を感じた瞬間でした」
飼い主さんは療法食をあげたり、カメラ付きの猫用トイレを用意したりし、できる限りのケアや配慮を行った。
だが、病魔は思わぬところに…。2024年11月中旬、飼い主さんは、すーちゃんのお腹が妙に膨らんでいることに気づく。かかりつけ医が休診だったため、他の病院へ行くと、腹水が溜まっている可能性があると告げられた。
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少し様子を見てください。そう言われたが、なぜか胸騒ぎがし、後日かかりつけ医へ。お腹の内容液を吸い出してもらうと、血が溜まっていた。
その血液を検査すると、腫瘍の細胞が見られたそう。エコー検査では異変が分からず、大きな病院でのMRI検査を勧められた。
全身麻酔が必要なMRI検査は、14歳の愛猫にはハイリスク。だが、「もう少し一緒にいたい」と思い、同意した。
検査では腫瘍があることが確認されたが、癒着はしておらず、「お腹の真ん中に浮いているような感じ」との説明を受けた。手術で腫瘍を切除するのがベスト。そう告げられ、飼い主さんはかかりつけ医に手術を頼んだ。
2024年12月5日、手術は無事成功。腫瘍からは700mlも出血していたことが分かった。
余命は3カ月…愛猫が「血管肉腫」になって
手術から1週間後、抜糸が行われた。腫瘍が摘出できてよかった…。そう安堵したが、病理検査の結果を聞き、絶望。すーちゃんの腫瘍は、「血管肉腫」だったからだ。
血管肉腫は、血管にできる悪性腫瘍。猫での発症は稀で予後は不明であるが、犬と同じく転移しやすいと言われている。
すーちゃんの場合も転移の可能性が高く、獣医師から“余命3カ月”と告げられた。
あんなに検査や手術を頑張ってくれたのに、あと3カ月しか一緒にいれないなんて…。あまりの辛さから、飼い主さんは泣きながら親友へ電話。その時、言われた言葉が深く胸に刺さった。
生き物を飼うとは、そういう辛さとも向き合うこと。自分自身も苦しい選択を迫られる場面があるけれど、愛猫にとって嫌なことを取り除いた上で、残りの時間を過ごすようにしている――。
そう聞き、病気との向き合い方が変化した。
「私が慌てたり取り乱したりしても病気は治らないし、すーちゃんは私が泣いていることが分かる子。私も残りの時間をどう過ごすか考えようと、気持ちを切り替えました」
愛猫を「病気で余命わずかな可哀想な子」にしたくなかった
獣医師は「抗がん剤治療」という選択もあると提案してくれたが、拘束して点滴を行うことや余命は延びても1カ月ほどであることを聞き、飼い主さんは緩和ケアを選んだ。
自宅には、「最後に会いたい」とたくさんの友人が駆けつけてくれ、みな、「あなたと暮らしていたから、すーちゃんは幸せになれた」と言ってくれた。
「私が泣くことで、すーちゃんを“病気で余命わずかな可哀想な猫”にするのは嫌だったから、なるべく、すーちゃんの前では泣かないように意識しました」
手術から10日経った12月22日、すーちゃんは再びお腹が膨らんだ。腹部の膨らみは、段々と大きくなっていった。
腫瘍が転移して、出血しているのだろう。せめて、お腹の膨らみだけでも解消してあげたい。そう思い、通院しようとしたが、すーちゃんはストレスからか、キャリーケースの内でおしっこ。
「こんなに嫌がっている子を連れて行けない。きっと、私と一緒にいることを望んでいるんだと思い、泣きながら自宅へ引き返しました」
「一緒に新年を迎えたい」を命がけで叶えてくれた
やがて、すーちゃんはご飯を食べず、おぼつかない足取りで水を飲むように。大好きな抱っこをしても、すぐ膝から降り、床で寝そべった。そうした姿を見る中で、飼い主さんは最期の時まで目をそらさず、ずっと一緒にいる覚悟を決める。
「何度も呼吸と心音を確認しながら、床に寝そべるすーちゃんを寝ながら抱きしめて『愛してる。大丈夫、ここにいる、ずっと一緒。ありがとう。もう楽になっていいんだよ』と、話しかけました」
仕事納め後の年末であったため、自身の就寝中にひとりで逝くことがないよう、布団をそばに敷き、少しだけ寝ては起きる日々を送れた。
すーちゃんはもうあまり目が見えておらず、貧血で歯茎は真っ白。ただ、話しかけたり撫でたりすると、時折、甘えるように鳴いてくれた。
なんとか一緒に新年を迎えたい。そんな願いを、すーちゃんは命がけで叶えてくれた。最期の時が来たのは、2025年の元旦。別れを悟った飼い主さんはすーちゃんを抱きしめ、話しかけた。
すると、すーちゃんは一度だけ甘えた声で「ニャア」。まるで「痛い、助けて」と言っているように思え、飼い主さんは「大丈夫、よく頑張ったね。楽になっていいよ、愛してるから。ありがとう」と繰り返した。
「腕の中で逝ってくれたことに感謝しています。仕事中に亡くなっていたら、こうして人に話せなかっただろうから」
ペットロスと向き合う中で知った「苦しみ」と「愛の正体」
きっと、すーちゃんは私が大丈夫なように、余命宣告という形で覚悟を決めさせてくれ、闘病という形で一緒にいる時間を作ってくれたんだ。
すーちゃんを亡くした直後、飼い主さんはそう感じ、感謝した。だが、時が経つにつれ、“愛猫がいない現実”の辛さを痛感し、苦しくなっていったという。
一時期は、枕元に骨壷を置かないと眠れず。職場にも骨壷を持っていきたい気持ちに駆られ、遺骨ペンダントを購入した。
「すーちゃんがいない日常がどんどん流れていくのが辛い。見えないだけで、そばにいてくれると信じていますが、帰宅時や出迎えや日課だったテレビ中の肩乗りがない時など、ふと現実に戻った瞬間が苦しいです」
ただ、ペットロスの苦しさと向き合う中では大切なことに気づけもした。それは、愛猫を思うたびに込み上げてくる温かい感情の正体だ。
「これが“愛”なんだと、初めて分かりました。一緒に過ごした10年間の思い出や奇跡的な最期だけではなく、こういう発見も、すーちゃんがくれたものなんだなって」
なお、飼い主さんは最近、子猫を迎えた。子猫との縁は、電話で諭してくれた親友が紡いでくれたそうだ。
「名前は、すず。すーちゃんの面影を少し入れたかったので…。でも、すーちゃんの代わりとは思っていません。すーちゃんが教えてくれた“猫と暮らす素晴らしさ”を忘れず、これからも自分を必要としてくれる存在のために生きていきたい」
血管肉腫と闘い、愛されながら旅立ったすーちゃん。そのニャン生は血管肉腫の恐ろしさだけでなく、人間と猫の間に生まれる絆の深さも教えてくれる。
(愛玩動物飼養管理士・古川 諭香)