
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第133話
ノースカロライナの出張で密かに楽しみにしていたことがある。それは、221年に一度しか起きないという、アメリカの「素数ゼミ」による一大イベントである!
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■日本の夏を彩る生き物、セミ(蝉)
私は全般的に虫が好きではないが、ほぼ唯一と言っていい例外がある。セミである。
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夏の訪れを告げ、日本の夏を彩るセミの鳴き声。東北育ちであった私の身近なセミは、ミンミンゼミとアブラゼミ。関西以西を生息域とするクマゼミは無縁だった。京都で初見した時の胸の高鳴りは今でも覚えている。
しかし、京都の夏はクマゼミに牛耳られていることにやがて気づく。最初は聞き慣れない鳴き声にウキウキしていたが、やがてノイズとしか言いようのないその音に辟易するようになった。
2018年、クマゼミのいない東京に引っ越し、抑揚のあるミンミンゼミの鳴き声を久しぶりに耳にして、胸を撫でおろしたのを覚えている。日本の夏を彩るのは、やはり風鈴の音と、ミンミンゼミの鳴き声であると私は思っている。
■私がノースカロライナまでやってきた理由(3)
日本とは違ってアメリカでは、毎年夏にセミが出現することはない。それは不定期で、出現する年もあれば、出現しない年もある。それはなぜか? アメリカのセミは「周期ゼミ」と呼ばれていて、13年に一度、あるいは17年に一度しか羽化しないからだ。
この「13」と「17」という数字にミソがある。これらの数字は「素数」と呼ばれる。「1とその数字でしか割り切ることができない数字」のことだ。2、3、5、7、11、19、23......などが「素数」に該当する。
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それでは、アメリカのセミはなぜ「素数」の周期にしか羽化しないのか? それは上記の通り、「素数」は「1とその数字でしか割り切ることができない」ため、他の周期と重複しづらいからだ。
たとえば、2年に一度羽化する「2年ゼミ」と、4年に一度羽化する「4年ゼミ」がいたとする。そうすると、「4年ゼミ」の羽化は必ず「2年ゼミ」と被ってしまう。4が素数ではないからだ(4は2でも割り切ることができる)。
同じ年に羽化するとその分だけ、その年のセミの数が増えてしまう。「2年ゼミ」は2年ごとに羽化するので「4年ゼミ」と被らない年もある。しかし「4年ゼミ」の羽化は、必ず「2年ゼミ」のそれと重複する。繰り返しになるが、4が素数ではないからだ。
そうすると食料争いが熾烈になり、「4年ゼミ」の「種」としての生存戦略にとって不利になる。そういう理屈で、「できるだけ羽化の年が被らないように」、「素数」の周期で羽化するものだけが選択された、と考えられている。
前置きが長くなったが、今回のアメリカ出張が計画されるのとほぼ時を同じくして、私はあるネット記事を見つけた。2024年はなんと、13年ゼミと17年ゼミが同時に羽化するというのだ!
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13と17というふたつの素数の最小公倍数は221。つまり、221年に一度のセミイベントが、2024年のアメリカで起きるという。しかもそれが、5月の下旬頃に起きるらしい。セミ好きを自称する者として、この機会を逸するわけにはいかない。
■ノースカロライナ州・リサーチトライアングルは、17年ゼミの出現地!
種類によって分布に違いはあれど、日本では夏になると、ほぼ全土でセミが羽化する。しかし、広大なアメリカではそういうわけでもないようで、出現地にかなりばらつきがあるようだった。
実際、カリフォルニア州やワシントンDCに在住する友人たちに聞いてみても、セミの話題はまったく耳にしないという。
そこですこし調べてみると、なんと都合の良いことに、私が訪問するノースカロライナ州のリサーチトライアングルは、17年ゼミの出現地と見事にオーバーラップしていたのだ!
セミの羽化が5月下旬なのに対して、私の訪米は6月上旬。チャンスは充分にあると踏んでいた。
■バリック教授との散歩道
――しかし。リサーチトライアングルに到着しても、セミの鳴き声はまるで聴こえないことに愕然とする。
ノースカロライナ大学チャペルヒル校で、バリック教授と話しているとき、コロナウイルス研究の話題の合間にふと、セミのことを思い出した。そこで私は、セミの状況について、バリック教授に訊いてみた。
「何を言ってるんだこいつは」という顔をされたが、それにへこたれずに延々とセミの話を続ける私を見て、おそらく私がセミ好きであることを理解してくれたのだろう。彼は事情を解説し始めた。
「数週間前までは、ものすごい数のセミが飛んでいて、鳴いていた。それはたしかにすごい数だったし、めっちゃうるさかった。しかしそれも数週間前までのことで、今ではぱったり止んでしまった。残念だったな」
きわめて貴重な機会をタッチの差で逃したことに意気消沈した私であったが、それでも私はめげなかった。
バリック教授と、キャンパス内のレストランまで歩く道すがら、ダメ元で提案してみたのだ。
「数週間前までいたのであれば、死骸がキャンパス内に転がってるかもしれない。死骸でも良いから見たい、探したい」
やはり「何を言ってるんだこいつは」という顔をされたが、心優しいバリック教授は、道すがらに歩きながら、一緒に足元を探してくれた。
残念ながらセミの死骸を見つけることはできなかったが、「コロナウイルス学の大家と一緒にセミの死骸を探す」という、きわめて貴重な体験をすることができた。
※(6)はこちらから
文・写真/佐藤 佳