日本生まれで中国、米国にもルーツをもつノゾミ・リン(24)が22日に、今年デビュー60周年を迎えたシンガー・ソングライター加藤登紀子(81)プロデュース曲「渡り鳥の子守歌」で配信リリースデビューする。同曲は業界初となる日本語、英語、中国語の3カ国語同時リリース。CDは9月17日発売となる。加藤とリンが、日刊スポーツの取材に応じた。【取材・構成=川田和博】
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−リンさんは東京で生まれて、その後は
リン 小さい頃は、日本と中国を行ったり来たりでした。その後、高校はカナダのバンクーバー、大学と大学院はニューヨークです。今はロスに住んでいます。
−資料を見ると大学で音楽を始めたんですか
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リン 音楽は、大学に入る前からやっていました。4歳くらいからずっとやっていて、11歳から曲を作り始めました。18年には(インディーズで)配信リリースもしました。
−では、大学、大学院ではどんなことを学んだのですか
リン ミュージックビジネスですね。それから映画音楽のビジネスや、映画音楽の作曲も学びました。
−ハルビンでの60周年記念コンサートですが、どんなコンサートになりますか
加藤 今回、ハルビン交響楽団と一緒にやるのですが、これも私は夢って言ってたのよね。それが実現したんだけど、行くことが決まってからいろんな本を読んでいたら(父である)加藤幸四郎の名前が書いてあったのよ。終戦の年にハルビン交響楽団が朝比奈(隆)さんの指揮でコンサートをした日があって、「加藤幸四郎の妻淑子が、その時まだ2歳になっていない登紀子を抱っこして連れてきました」とその本に書いてあるのよ。
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−それをコンサートが決まってから読むのも、運命的ですね
加藤 実は、その続きもあってね。私の姉がバイオリンをやっていて、後に大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)に入るのね。それで姉の結婚式に朝比奈さんが来たの。私はまだデビュー前なんだけど「愛の賛歌」を歌ってるのよね。なんかもう、本当にびっくりする話が多くて。
−ということは、今回80年ぶりにハルビン交響楽団との再会ということですか
加藤 それは違うのよね。75歳の誕生日にオーケストラ自体には会っています。
−加藤さんにとって、ハルビンはどんな街ですか
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加藤 ハルビンという街自体がロシアになったり、中国に戻ったり、日本が入ったりという波の中にありながら、いろんな亡名者、特に音楽家を受け入れてきた街なんですね。だから、81年にコンサートをした時にも、すごくあたたかく迎えてくれたんです。1曲目はモンゴルの歌でしたが、その後の拍手が他の街と違った。「お帰り」って言われてるような気がして、心の中で「ただいま」と言っていました。ハルビンの人の心には音楽が満ちているなと思った。
−そんな加藤さんの思いを聞いて、リンさんが同じステージに立つということに対しては
リン 本当に光栄です。夢を見てる感じです。
加藤 音楽というものは夢なんです。だから舞台の上に立ってる時に、時々音楽の中の世界で自由な気持ちになって、どんどん行っちゃうんですよね。
−解放される
加藤 そう。1番から始まって終わるまでの間に、長い旅をしたりするんですよね。だから、ハルビンで歌ったら、同じ曲でもまた違う旅になって、私自身も私の歌を発見するような日になると思います。きっと何かそういう発見があると思いますよ。(つづく)
◆ノゾミ・リン 2000年11月6日、東京生まれ。幼少期を日本と中国、高校はカナダ・バンクーバー、大学・大学院は米ニューヨークで過ごし、現在はロサンゼルス在住。11歳で作曲を始め、18年に4曲入りアルバム「WEST COAST」をインディーズで配信リリース。
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