人事領域におけるAI活用は業務効率化への期待が高まる一方で、個人情報を取り扱う性質上、高いハードルがある。 そのような状況の中、ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)で人事のAI活用を推進する澤村正樹氏(ヒューマンリソース本部 ピープルデベロップメント部 部長)は、目標設定や配属、評価など多岐にわたる場面でAIを「アシスタント」として活用し、人間による意思決定を支援する独自の取り組みを進めている。
多くの企業に先んじて、人事領域でのAI活用を進めてきた同社。さまざまなトライアル&エラーをへて、どの施策に手応えを得たのか。また反対に、AI活用がフィットしないと判断した施策とは?
●人事のAI活用、その前に 多くの企業が陥る“勘違い”
DeNAのHR Techチームは、2019年に立ち上がった。その背景には、それまでHRBPを務めていた澤村氏自身の課題感があった。当時、従業員の履歴やパーソナル情報、組織変更の遷移といった人事にまつわるデータは、各HRBPの頭の中や個別のExcelファイルに散在しており、一元的に活用できる状態にはなかったという。
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「組織サーベイや勤怠など、HR領域にはさまざまなツールがありますが、それらがバラバラな状態でした。これらをうまく統合し、人事業務につなげるには、まず内製でデータベースを構築することが大事だと考えたんです」と澤村氏は振り返る。
HR領域には多くのSaaSツールが存在するが、DeNAの独特な文化や、人材活用、人材育成、人材開発といった同社が特に力を入れている分野には、既存のSaaSがフィットしないと判断。当時、同様の取り組みを進めていたメルカリやLINEの事例を参考にしながら、自社での開発をスタートさせた。そして近年、AIが脚光を浴びる中で、蓄積してきたデータを活用し、より強い組織作りにつなげるという新たなフェーズに移行している。
澤村氏は他社の人事からもHRテクノロジーやAIを活用したいという相談を受けることがあるというが、何よりも「まずはデータを取り、蓄積することが重要」と伝えている。AIを含め、テクノロジーは万能ではない。現状分析や、AIの学習に必要なデータを持っていることが大前提だ。
●より「ストレッチ」な目標を、AIと作る
DeNAでは、評価プロセスにAIの支援を導入するコンセプトの一環として「目標設定AI」の開発にも取り組んでいる。これは、同社が重視する、従業員一人一人が挑戦的な目標を掲げる「ストレッチな目標設定」の文化をAIがサポートする試みだ。
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高い目標を自ら定めるのは、簡単なことではない。従業員は「あまり高い目標は立てたくない」というホンネを抱いていることがあるが、一方でマネジャーは、従業員によりチャレンジングな姿勢を求める。この二者間で従来、目標設定の差し戻しが多く発生する、コミュニケーションコストが生じるといった課題があった。
設定の段階からAIがアシストすることで、より公平で、かつ本人の成長につながるような質の高い目標設定の実現を目指している。
「『もっと売りたい』といった目標を「いつまでに、いくら」といった定量的で具体的な目標へと落とし込み、達成のためのアクションプランにまで分解するのを促している」(澤村氏)
このAIとの壁打ちにより考えを整理しやすくなり、マネジャーとメンバー間で目標設定のすり合わせにかかる時間が大幅に短縮され「じゃあ、もうちょっとストレッチしてみようか」といった、より本質的な対話ができるようになったとも語る。
今後は、AIが従業員の目標設定をレビューし「もう少しこうすればどうか」といった、具体的な改善提案を行う可能性も視野に入れている。
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●360度フィードバックをAIでサマリー
DeNAでは年に2回、360度フィードバックを実施している。しかし、従業員一人に対して寄せられるコメントは数十件ほど。それらを全て読み込み、自身の中に落とし込むのは大きな負担が伴う。そこで活用されているのが、AIによる「360度フィードバックサマリー」だ。AIがフィードバックから良い点と改善点を的確に要約し、次へのアクションやトライまで提案してくれる。
今後の展望として、フィードバック内容の経年の変化をAIが追えるようにしたいと考えている。「前回のフィードバックに対し、今回はどのように変化したか」といった、本人も気付きにくい成長や変化の軌跡をAIが可視化し、指摘してくれるような機能を目指していると語る澤村氏。AIにアシストしてもらって、フィードバックの効果をさらに高めていきたいという。
●配属業務への活用 「人間なら思い付かない組み合わせ」も
毎年60〜70人ほどの新卒社員が入社するDeNAにとって、配属は極めて重要なプロセスだ。本人の希望やスキル、パーソナリティーと各部署が求める要件を掛け合わせ、最適なマッチングを生み出す作業は無数の変数が絡み合う複雑なものだ。このプロセスを支援するために、澤村氏は新卒配属へのAI活用も試みた。
2023年度にトライアルを実施したが、2025年度は本格活用していない。その背景には、AIに正しい判断をさせるためのデータ準備や成形といった「担当者の工数問題」があったと澤村氏は明かす。AI活用には、データの準備と成形、AIが正しく理解できる形式への変換に多くの工数がかかる。
この準備が不十分だと、期待するような結果が得られない。誰がやっても同じような「当たり前」の提案にとどまり、業務に直接役立つレベルに達していない部分があったため、データの量と質の向上が今後の課題だという。
一方で、トライアルによる大きな成果もあった。配属担当者からは、AIが配属候補を提案する過程で「人間だったら気付かない組み合わせを提案してくれて、組み合わせに難航したときの参考資料として有用だった」というコメントが寄せられた。
現在はAIに意思決定を委ねる段階ではないが、人間が行き詰まった際の新たな視点を提供するアシスタントとして活用できたと澤村氏は分析している。現時点では意思決定はAIに委ねず、あくまで人間が判断するための参考情報として活用するという位置付けだが、今後は配属だけでなく、社内の人員配置転換などにも応用していくことを検討している。
新卒配属や目標設定の他にも、同社でAIを活用している取り組みに「組織サーベイのサマリー」がある。これにより、膨大なサーベイ結果から主要な情報や課題を効率的に把握できるようになった。
また、評価プロセス全体へのAI支援も構想中だ。目標設定に続き、最終的な評価を決定する場面でも、過去の評価履歴との矛盾や他部門との公平性をAIがチェックし、評価のブレやバイアスを減らすことで、より質の高い公正な評価を目指している。
さらに、人事・総務・情シスといったバックオフィスへの問い合わせにAIが一次対応するチャットbotも一部で導入済みだ。社内のドキュメントや就業規則などをAIに学習させ、Slack上で手軽に質問できる仕組みを構築中である。
「組織変更が多い会社」としても知られる同社。澤村氏は、ここにもAIを活用したい考えだ。現在は各部門の要求がバケツリレー的に処理されがちだが、本来あるべき事業戦略から逆算した組織設計に基づき、AIがアシストできる形を模索している。事業で勝つための組織作りをテクノロジーで支援するという、より戦略的な活用を見据えている。
●AI活用のポリシー
人事業務にAIを活用する上で、澤村氏が最も注意を払っているのが「権限管理」の難しさだ。人事系のデータは「この人は見ていいが、あの人は見てはいけない」といった、共有範囲を慎重に定めるべき情報が多い。例えば、HRBPは担当部門の情報にはアクセスできるが、他部門の情報は閲覧できない。こうした細かな権限をAIに正しく理解させ、情報が混ざってしまう事態を防ぐ管理は、極めて慎重に行う必要がある。
そして、もう一つの重要な指針が「あくまで判断の主体は人間である」という意識だ。現状、AIに最終的な意思決定を委ねる「全自動化」はしていない。新卒配属であれ評価であれ、AIはあくまで人間が判断するための材料を提供するアシスタントという位置付けを徹底しているのだ。テクノロジーの力を借りつつも、最後は人の目で判断するというポリシーが一貫している。
澤村氏は「人間がやるべきことの線引きを常に意識し、両者の強みを最大限に生かすという考えが、チーム全体の共通認識となっている」と語る。
●判断主体は「あくまで人間」
澤村氏は「多くの部分はAIで代替可能になる」との見方を示している。特に、ルールが明確な管理的な業務はAIが得意とするところだ。しかし、AIが業務を代替することで、それに付随する新たなプロセスが生まれる可能性も指摘する。作業はAIに任せられるが、そのAIを管理・運用するという新たな仕事が発生するという考えだ。
一方で、人の判断が重要になる領域は残り続けると考える。
「AIで作業は圧縮されますが、より上段の戦略を考えることや、意思決定の部分は人の仕事として残っていくでしょう」(澤村氏)
定型的な作業はAIに任せ、人間はより創造的で戦略的な業務に集中する。これが、澤村氏の描くAIと共存する未来の人事の姿だ。
●「AIが働きやすい環境づくり」を
DeNAの人事におけるAI活用は、まだ試し始めた段階であり、試行錯誤の最中だと澤村氏は語る。良いと思って試したものが期待通りの成果を上げないこともあり、その繰り返しの中から少しずつ前進しているのが現状だ。
今後の目標は、現在取り組んでいる施策が、構想で終わることなく、きちんと動くようにしていくことだという。そのために最も重要だと考えているのが「データの拡充と整備」である。AIが良い仕事をするためには、AIが理解しやすいデータを準備することが不可欠だ。「時には、AIの力を最大限に引き出すために、既存のHRプロセス自体を変えていくという大たんな発想も必要になります」(澤村氏)
例えば「多くの企業で実施されている1on1ミーティングも、議事録をきちんとデータとして蓄積しAIに学習させれば、新たな価値を生む可能性がある」と澤村氏は言う。「雑談のない1on1って駄目だと思ってます。信頼関係の構築がベースにある」ときっぱり。
この言葉には、テクノロジーを活用する上でこそ、人間同士のつながりを軽視してはならないという強い信念がにじむ。そして、少し楽しむようにこう続けた。「むしろ将来は、業務の話ばかりしているとAIが『ちょっと本題にいきなり入りすぎじゃないですか?』ってAIが指摘する。そんな未来もあるかもしれません」
信頼関係の重要性を、AIに諭される──そんな未来像を笑いながら語る姿に、DeNAが目指すテクノロジーと、血の通った人事が理想的な形で共存する新しい組織の姿が垣間見えた。
著者:松尾隆弘 元人事ライター
人事として30年間採用や人材開発、制度構築に携わる。新卒でブライダル業界へ就職。その後、宿泊業・小売業を経て2022年に独立し、ライターの道へ。HR領域を中心に、SEO・インタビュー・コラム記事など幅広く執筆。Webメディアのディレクター、ライティング講師としても活動中。福岡県在住。
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