日航ジャンボ機墜落事故から40年となるのを前に、取材に応じる板鼻昭さん=7月24日、前橋市 1985年の日航ジャンボ機墜落事故では、64年東京五輪で自転車ロードレース代表だった辻昌憲さん=当時(39)=も犠牲となった。「辻さんがいたから今の自分がある」。中京大自転車競技部の後輩、板鼻昭さん(78)=前橋市=は春と秋の2回、感謝の思いを胸に憧れの先輩が眠る「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)へ登る。
辻さんは大学1年のときに同五輪に出場。板鼻さんは当時高校生で、抜群の速さだった辻さんの背中を追い掛けるように中京大に入学した。
合宿所で生活を共にし、一緒にアルバイトもした。普段は優しかったが、練習では一変した。大学がある名古屋市から金沢市の実家まで自転車で帰ることもあるほどストイックだったという。
後輩思いな一面もあった。「マナーがなっていない」「強い選手は他の選手の見本となるよう心掛けてほしい」。辻さんが大学卒業後、板鼻さんに宛てた手紙には、当時の後輩たちを気に掛ける言葉がつづられていた。
辻さんは自転車部品メーカー「島野工業」(現シマノ)で自転車競技チームの初代監督に就任。84年ロサンゼルス五輪ではチームから日本代表を輩出するなど指導者としても優秀だった。板鼻さんも指導者となり、交流は続いた。
事故は、辻さんが同社主催の自転車レース開催に向けた打ち合わせのため東京に出張した帰りに起きた。車で帰省途中だった板鼻さんは、ラジオで読み上げられた搭乗者名簿に辻さんの名前があり、絶句した。後日、遺体安置所となった群馬県藤岡市の体育館で対面した辻さんの表情は「悔しそうだった」
板鼻さんは、今年4月も妻文子さん(77)と慰霊登山に訪れ、辻さんの墓標に「元気でやっています」と報告した。年々、体力的に登るのがきつくなるが「できるうちは毎年やっていきたい」と話す。
今年度末には、自転車競技の大きな大会が予定されている。群馬県自転車競技連盟会長を務める板鼻さんは、次の慰霊登山で「(大会の)成功を見守ってください」とお願いするつもりだ。

日航ジャンボ機墜落事故で犠牲となった辻昌憲さんからの手紙を読み返す板鼻昭さん=7月24日、前橋市

1985年の日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった辻昌憲さん(板鼻昭さん提供)