父・秋篠宮さま以来40年ぶりの“成年式”に臨む悠仁さまと、佳子さまが惜しまない指導と助力

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2025年08月24日 21:00  週刊女性PRIME

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7月25日、『全日本高等学校馬術競技大会』の開会式に臨席された佳子さま

「馬と心を通い合わせ、一体となって、積み重ねてきた努力の成果を存分に発揮できるよう応援しています」

悠仁さまの成年式

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは7月25日、静岡県御殿場市にある馬術・スポーツセンターで行われた全日本高等学校馬術競技大会の開会式に出席した。選手たちの入場行進に拍手を送った佳子さまは、冒頭のように激励の言葉を述べた。

 この後、佳子さまは同じ市内にある高嶺の森のこども園を視察した。園児たちの輪に入って「バルーンダンス」を一緒に楽しみ、「参加させてもらってありがとう」などと声をかけていた。

 佳子さまの弟で筑波大学1年生、悠仁さまの9月6日の成年式が迫ってきた。悠仁さまは皇位継承順位第2位で、伯父である天皇陛下や父・秋篠宮さまの次世代の皇室を担う。男性皇族の成年式は、秋篠宮さま以来、実に40年ぶりのこととなるだけに、多くの国民から注目を集めそうだ。

 7月29日、宮内庁は成年式に関係する一連の儀式や行事を発表した。悠仁さまは昨年9月6日、18歳の誕生日を迎え成年皇族の仲間入りを果たしたが、大学受験を控えていたため、成年式は延期されていた。

 そして今年、19歳の誕生日当日に行われる成年式だが、同じ日に大勲位菊花大綬章を受けることも7月29日の閣議で決定している。

 9月6日は午前、東京・元赤坂の秋篠宮邸で、天皇陛下から贈られる成年用の冠を、悠仁さまが、陛下の使者から受け取る「冠を賜うの儀」からスタートする。約40年前に行われた、秋篠宮さま(当時は礼宮文仁親王殿下)の成年式当日の様子を振り返ってみたい。

 1985年11月30日、秋篠宮さまは20歳の成年の誕生日を迎え、皇居では、平安絵巻そのままの荘厳な成年式が行われた。報道によると、男性皇族の成年式は奈良時代に始まり、明治時代に現在の様式に定められたらしい。

 式当日の朝8時過ぎ、当時、学習院大学の学生だった秋篠宮さまは、両親の上皇ご夫妻(当時、皇太子ご夫妻)と兄、天皇陛下(当時、浩宮徳仁親王殿下)に見送られて、住んでいた東宮御所から学習院大学に向かった。

 読売新聞夕刊には、このときの写真が大きく掲載されている。大学から戻った秋篠宮さまは午前11時半から、東宮御所で「冠を賜うの儀」に臨んでいる。その後、車で皇居に向かった。

 午後1時から、皇居・宮殿「春秋の間」で成年式の中心行事「加冠の儀」が行われた。秋篠宮さまは裾の長さが6メートルを超える、未成年者用の装束「闕腋袍」を着て、頭には「空頂黒幘」と呼ばれる未成年用の黒絹の額当て、手には笏を持っていた。

 主催者である上皇ご夫妻に続き、昭和天皇が姿を見せ、儀式が始まった。加冠の座に座った秋篠宮さまの頭から侍従次長が、黒絹の額当てを外し、成年用の燕尾纓がついた冠をかぶせた。背後から侍従が、冠に掛緒をかけてあごで結び、緒の両端を和ばさみで「パチン、パチン」と切り落とした。静寂に包まれる中、和ばさみの音だけが鋭く響いたという。昭和天皇ら皇族方や、中曽根康弘首相らが見守り、式は20分ほどで終わった。

 午後2時過ぎ、成年用の装束「縫腋袍」に「垂纓」の冠姿の秋篠宮さまは、2頭立ての儀装馬車に乗って、約1キロ離れた宮中三殿に向かい、成年皇族として初めて参拝している。そして、午後3時半から、皇居の正殿「松の間」で「朝見の儀」が行われた。

 昭和天皇に向かって、燕尾服姿の秋篠宮さまは「成年皇族としての務めを自覚し、勉学にいそしみ、ご恩にお報い申し上げたく存じます」と述べ、昭和天皇は「ますます身を鍛え心を磨き、皇族の本分を尽くすことを希望します」と励ました。続いて、昭和天皇が秋篠宮さまに、大勲位菊花大綬章を授けている。

9月6日に「加冠の儀」

 宮内庁の発表によると、今回は9月6日午前に中心行事「加冠の儀」や宮中三殿での拝礼が行われる予定らしい。また、「朝見の儀」と勲章の親授は午後に行われるという。

 9月8日、悠仁さまは、三重県伊勢市にある神宮と奈良県の神武天皇陵を参拝する。10日には皇族や首相ら三権の長を招き、昼食会が行われる予定となっている。

 さらに、「空頂黒幘」などは、40年前に秋篠宮さまが使ったものを再度、利用するという報道もある。

「公的な活動についてですが、大学在学中は学業を優先させていただきながらにはなりますが、少しずつ携わっていくことになると思います。周りの方々からご助言を頂きながら、一つひとつに丁寧に取り組み、成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいと思っております。(略)

 象徴天皇の存在につきましては、(中略)常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います。また、皇室のあり方につきましても、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思います。そして、出会いを大切にして、人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要であると思います」

 今年3月3日、成年皇族となった悠仁さまの記者会見が行われた。記者から、成年皇族としての抱負や象徴天皇、皇室のあり方などを尋ねられ、悠仁さまはこのように答えている。

 話は遡るが、1952年11月10日、悠仁さまの祖父である上皇さま(当時、皇太子明仁親王殿下)の成年式と立太子の礼が新憲法下、初めて国の儀式として行われている。
《(略)皇太子明仁親王殿下の御成年式ならびに立太子の礼が、新憲法初の国儀として、国民の代表と各国大公使の前で執り行われる。

 この両儀は、これまでは宮中奥深く行われて特別の参列者すらその盛儀を目のあたりには観ることのできない雲の上の儀式であったが、このたびは、式の次第は古い伝統を継ぎながら、全国民挙って親しく参列する心地を持つ民主国家にふさわしい新しい形がとられることになった。

 きょうの佳き日を祝う国民は、若くり々しい皇太子のお姿に、新生日本の清く正しく伸びていく力と望みを仰ぎ見て、心晴れやかに、喜びはあふれるのである(略)》

 この日の朝日新聞は、社説「立太子の礼を慶賀して」の中で前述のように書いている。敗戦によって廃墟となったわが国は、当時、立ち上がる途上にあった。こうした中、今の上皇さまは、まさに新生日本、民主主義国家・日本の希望の星だった。

 現在の世界は戦禍が絶えることがなく、核兵器廃絶への道のりも険しいものがある。混迷や混乱が続く世の中にあって、多くの国民はどのように将来の希望を見いだしていくのだろうか。

 皇室は時代とともに変わっていくが、悠仁さまには、これからの日本の「清く正しく伸びていく力と望み」としての期待に十分、応えていただきたい。両親のみならず、姉である佳子さまもこれからの指導や助力を惜しまないだろう。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など

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