1978年創刊以来通算600号を超えていたホビー定期誌『月刊ラジコンマガジン』が、2025年10月発売号をもって47年の歴史を閉じる。
私は2005年に競合誌『月刊RCスポーツ』を企画立案し、その編集長としてしのぎを削った間柄である。しかし私個人のラジコンマガジンとの出会いはそこからさらに20年、1985年までさかのぼる。この年はプラモデルのトップブランドであるタミヤが『ホットショット4WD』発売を機にラジコンカー(RCカー)の一大キャンペーンを張っていた。当時中学生でプラモデル小僧だった私も、行きつけの模型店でタミヤの詳細なRCカーガイドブックを目にして「ラジコンもいいな!」と足を踏み入れることになった。このような少年たちが爆発的に増えたことで各社も追従し、いわゆる“電動RCカーブーム”が全国的に巻き起こったのである。
ところがいざRCカーを始めてみると、趣味の世界で入門者が必ず直面する「何が必要なのか」というモノの部分、「どうすればいいのか」という技術の部分両方の情報が圧倒的に不足していた。当時はもちろんインターネットなど存在していないため、教えてくれる経験豊富な模型店主や上級者が身近にいない環境では、初心者にはなかなかハードルが高めのホビーだった。
そんな時に出会ったのが、専門誌『ラジコンマガジン』である。新製品紹介にとどまらず使用リポートや組み立て方法などが豊富に掲載されており、しかも毎月新しい情報が載っていることに心躍り、購入するようになった。毎月の小遣いは少なかったが、「漫画コーナーではなく専門誌コーナーに行って雑誌を買う」「お金を出して趣味のノウハウを買っている」という行為に、まるで自分が大人っぽくなったような高揚感もあった。
その頃から競合誌はあったが、中でもラジコンマガジンは多くの支持を集めていた。採り上げられるのは陸モノ(クルマ)主体だったが、話題の空モノ(飛行機やヘリ等)や水モノ(ボート等)も随時紹介するなど、これ一冊あれば話題は網羅できる、言ってみれば良質な“幕の内弁当”であった。編集スタッフはいわゆる「わかっている人」ばかりで、ラジコンの知識だけでなく操縦技術は全日本選手権でもトップレベルに入るほどのメンバーがそろっていた。のちに編集部員から大手RCメーカーに就職した人も少なくない。
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基本的な内容は昭和のNHK番組のように手堅いが、たまに民放的な面白企画が差し込まれるような誌面構成。人間に例えれば黒縁メガネに髪は七三分けの、マジメが取り柄の成績優秀な人間がたまに頑張っておふざけしてみました的な微笑ましさもあった。
例えばある号の企画に「クルマは何色に塗ったら一番速いのか?」というものがあった。共通のシャーシで、色違いのボディに次々載せ替えてはコースを周回してタイムを正確に計測する実験企画。10色ほどを試した結果は操縦者からの視認性が高い「白」が最速タイムを記録したことが発表されると、雑誌発売後しばらくは全国のRCサーキットで白ボディのクルマが溢れかえるほどのブームを生んだこともある。
また「NHKっぽい」と評した代表的なものが、五輪のように数年に一度開催されるRCカーレース「世界選手権」リポートの詳細さだった。現在はインターネットでライブ中継までされているが、当時は誰が優勝したのかすら雑誌が発売される1か月後まで知るすべが無かった。ラジコンマガジンではそんなビッグレースの1日ごとの出来事はもちろん、選手や来場ファンへのインタビュー、現地メニューの食レポなど微に入り細に入っており、その取材フットワークには驚かされた。なかでも感銘を受けたのが「上位選手の使用アイテム一覧表」を独自取材でズラリと掲載していたこと。“上手い人は何を使っているのか?”というのはラジコンに限らずゴルフや釣りなど様々な趣味で気になるところ。プロ野球で言えばスタメン全選手の使用バット・グローブ・スパイクの品名が分かるようなもので、「大谷翔平モデルが欲しい!」などあこがれの選手と同じものを使いたいと思っている野球ファンにはたまらない情報だろう。また製品名が紹介された各メーカーにも販促になったはずで、これも「わかっている」編集スタッフだったからこそできたことだ。
こういった心躍る企画展開で全国の少年たちの心をつかみ、先導者の一人としてRC業界を拡大させたのがラジコンマガジンだ。さらにこの70〜80年代生まれのRC少年たちが成長しアラフィフになった2025年現在、実は今ラジコン業界で一番熱いのが「復刻車ブーム」なのである。つまり当時の読者であったRC少年たちが当時と同じスタイルで再販される80〜90年代復刻RCカーのメイン購買層になってメーカーを買い支えているのだ。休刊を迎えた今もなお、ラジコン業界を支えている功績は非常に大きい。
よく意外に思われるのだが、私は山鼻編集長とは親しく会話したことは一度もない。初対面で面と向かって挨拶したが返礼していただけず、「敵チームの選手とは口をきかない」的対応そのものだったためだが、私も若い頃は編集会議前には先輩部員にすら絶対に自分の企画書を見せない等の尖った対ライバル行動をしていたので(笑)、まあ同じたぐいのポリシーの編集者だなと納得していた。それでも好評を博した自分の記事写真に似せた構図の写真が翌月ラジコンマガジンに掲載されたりしているのを見ると、競合相手として脅威に感じられてはいるのだなという認識であった。会話はせずとも、誌面を通じて鍛えていただいたと感謝している。
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ラジコンマガジンの休刊によってRCカー主体の月刊総合誌は一区切りを迎えるが、RCファンを導く、知りたい情報を発信していくメディアは必要だろう。動画メディアの発展で各論的には詳細なコンテンツが増えたものの、“とりあえずコレだけ見れば全網羅できる”という総論的なものはまだまだ不十分だ。好き嫌いに関係なくあらゆる情報が少しずつ入っていて、それだけでバランスよく情報が摂取できる――そう、“幕の内弁当”のようなスタイルのコンテンツが必要だ。「先達はあらまほしきことなり」と徒然草にあるように、より多くの人がラジコンと言うホビーを楽しめるよう、RC業界に携わる皆様の案内者たる新展開を期待したい。
ラジコンマガジン、47年間お疲れ様でした。
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