目指すは3個目の金メダル ! 山西利和、過去の世界陸上との違い、後半の引き出しの多さとプロセスへの充実感【東京世界陸上】

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2025年09月19日 14:06  TBS NEWS DIG

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男子20km競歩の山西利和(29、愛知製鋼)が、東京2025世界陸上で自身3個目の金メダルを目指す。山西は世界陸上初出場の19年ドーハ大会と、22年オレゴン大会で連続金メダルを獲得。しかし23年ブダペスト大会は24位と涙を呑み、昨年は選考レースの日本選手権20km競歩で自身初の“歩型違反”により失格、パリオリンピック™代表も逃してしまった。

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しかしそこから立て直し、今年2月の日本選手権20km競歩で1時間16分10秒の世界新記録を叩き出して優勝。6月の取材で、今年の世界陸上に懸ける思いを語った。

苦しんだ厚底シューズに対応

4回目の世界陸上に向かう思いを聞かれると、山西から次のような言葉が真っ先に出た。

「この2年の間に色々なことが自分の中ではあったので、これまでの3回の世界陸上とは、少し違う気持ちで臨むのではないかな、と思っています」

“色々なこと”の1つが厚底シューズへの対応だった。23年世界陸上で上位選手の多くが着用し、山西も帰国後に試してみた。だがパリ五輪選考レースの日本選手権(24年2月)までに対応できないと判断し、元のシューズに戻した。その過程で動きが崩れてしまったことが、初の失格をしてしまった理由だった。

山西は歩型が良い選手として知られ、レース中に注意や警告を出されたときも歩きを修正できた(※)。その自信があったこともあり、実業団入り後は代表入りを自身に課していた。実業団選手は競技で収入を得ているプロ、という矜持が山西にはあった。パリ五輪代表を逃し、一時的ではあったが引退も考えたという。

世界陸上に2回勝っている山西は、当時のシューズに「より適した」歩き方が身に付いていた。

「以前使っていたシューズはかかと側、靴の後ろ半分がすごく安定していました。競歩はかかとから接地して、つま先に抜けていくのでそのシューズが歩きやすかったのですが、カーボンの入った厚底シューズはかかとの安定感が少なく、前側半分の沈み込みと反発で進んで行きます。スウィートスポットに上手く体重を乗せて、その反力をもらっていく技術が必要になってきました。当初はそれができずに歩型も崩してしまいましたが、そこの技術にじっくりと取り組みながら、体の使い方とかトレーニングを探ってきました」

2月に世界記録を出したが、5〜6月のポーランド・ワルシャワ(20km)、スペイン・マドリード(10km)、同ラコルーニャ(20km)の3レースでは、「目指しているところからすると、大会毎に技術にバラつきがあった」という。

「警告と注意を出された回数がまだ多くて、平均点が少し低い状態でした。練習の中でもっと精度を上げていかないといけません」

残り3か月でそうした懸念材料がありながら、山西に不安な様子は感じられなかった。「自分なりの工夫と、イタリアでの合宿などで他の選手がやっていることからアイデアを得ること。その両面からアプローチしていきます」

大きな部分で厚底シューズへの対応法はつかむことができた。あとは細かい個々の課題に対応していく段階だが、その過程に山西は自信がある。
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(※)競歩は審判が歩型を判定し、規程の歩型(両足が同時に地面から離れてはならない。また、踏み出した脚が地面についてから垂直になるまで、その脚は曲げてはならない)で歩いていない選手には注意がイエローパドルによって出される。注意されても直らない選手には警告が出る。3人の審判から警告が出るとペナルティーゾーンで待機を命じられる(20km競歩は2分、35km競歩は3分30秒)。ペナルティーゾーンを出てさらに1枚警告が出ると失格になる。注意や警告が出されると思い切った歩きができなくなるなど、勝負に影響することもある。
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東京五輪の敗因を克服してオレゴンの金メダルに

19〜22年の山西には、どんなレースでも勝てるのでは、と思わせる強さと安定感があった。20〜21年前半は新型コロナの感染拡大で国際大会出場機会こそなかったが、世界トップレベルの選手が多数参加する日本選手権に2年連続で圧勝した。19年世界陸上にも勝っていた山西は、21年東京五輪(札幌開催)では優勝候補筆頭に挙げられていた。

だが結果は銅メダル。中国選手が序盤で飛び出したが対応が後れ、中盤で追い上げることに力を使ってしまった。終盤でM.スタノ(33、イタリア)、池田向希(27、旭化成)と3人の争いになったが、17kmからスパートした際に警告と注意を立て続けに出された。山西を指導する内田隆幸コーチは、「今まで見たことがない顔のしかめ方でした」と当時話している。18km過ぎで2人から後れ、銅メダルは獲得したが、レース内容的には明らかな敗戦だった。

今の山西なら、違う戦い方ができたのだろうか。

「(コロナ禍で)直近のレースをする機会の不足や、あのときのような立ち回りをしてしまう経験値の少なさが響いてしまったと思っています。簡単に言うと経験不足、想定の甘さをすごく感じました。誰かがポンと飛び出した時の対処方法も、ですね。他の選手の揺さぶりに対応する方法と、自分が主導権を握って相手を振り回す方法、その2つがあれば東京五輪も良い方向に向かったかもしれません。あの時点ではできることをやったと思っているので後悔はありませんが、それらを経て先に進むにはどうしたらいいかを考えた結果がオレゴンの金メダルでした。そこはさらにブラッシュアップできているので、東京世界陸上に向かう今はあまり気にしていません」

オレゴン翌年のブダペスト世界陸上(23年)は24位。山西の競技歴で唯一、大きく“外した”国際試合である。厚底シューズの普及もあったが、それよりも山西自身がメンタル面で、集中し切れていないところがあった。

ブダペスト後に厚底シューズへの対応に取り組み始めたことで、技術は崩れたが、気持ちの面は立て直せたのかもしれない。山西自身もブダペストの失敗を、大きな問題点として言及することはあまりない。23年の失敗は繰り返さない自信があるからだろう。

過程を楽しむ強さも加わった山西

経験不足などが要因だった東京五輪の失敗も、集中力を欠いたブダペスト世界陸上の失敗も、その後の山西は克服してきた。厚底シューズへの対応はまだ完全ではなく、前述のように5〜6月の3レースは「平均点が少し低い」という内容である。

それでも苦い思い出もある“東京”に臨む山西には、これまで以上の落ち着きが感じられる。冒頭で紹介した「2年間に色々なこと」が山西にあり、そのプロセスに充実感と自信を感じられているからだ。厚底シューズへの対応では、自身の経験と考察力、さらにはスタノと一緒に、イタリアで練習することで改善できる手応えがある。

「前足部にしっかり体重を残しつつ、逆脚を後ろから前に振っていく時間を取る必要があるので、そこを強調するようなトレーニングが重要だと思っています。それと他の選手が行っていることを見ることも大きなポイントです。去年行ったスタノとのイタリア合宿で学べたことが大きく、今年も7月にイタリアに行くことでまた新たな発見があるでしょう。そこで見えるものを大事にしたい」

レース展開的には「後半のバリエーション」が増えているという。「今までは速いペースで押し切って、相手を振り切っていく形でしたが、後半の削り合いになっても対応できます。レースの引き出しが増えてきていると思います」

オレゴン世界陸上も最後の削り合いだったが、厚底シューズに変更後では、今年の日本選手権は残り5〜6kmでペースを上げて独歩に持ち込んだ。5〜6月の3連戦2試合目のマドリードは、「出入りの激しい競り合い」(山西)になったが、パリ五輪銀メダルのC.ボンフィム(34、ブラジル)に5秒差で競り勝った。3試合目のラコルーニャは、15kmから山西がペースアップしてスタノらを振り切り、最後は川野将虎(26、旭化成)を4秒差で制した。

再び世界と戦えるレベルに戻って来られたのは、人との出会いが大きかったと実感している。

「紆余曲折を経て、様々な出会いがあり、支えをいただきながらの2年間でした。そうした経験を深みとして、新たな自分の表現として、東京世界陸上で形にできるのが1番いいですね」

来年2月に30歳となるベテランの力が発揮されそうだが、山西自身は「最初の世界陸上と似た気持ち」だという。この2年間が初めてに近い感覚の経験であり、18〜19年の自身が強くなっていく手応えを感じていた頃に似た雰囲気もある。

山西が3個目の金メダルを取った時、19、22年と比べてどんな金メダルだったと言うか。そこも注目したい。

※写真はオレゴン大会(22年)で金メダルを獲得した山西選手

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
 

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