【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】「ブレずに攻め切る」と決めた阿久井の粘り(12回連載/第4回)

0

2025年09月19日 15:20  週プレNEWS

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週プレNEWS

拳四朗(左)に得意の右ストレートを打ち込むユーリ阿久井(写真/北川直樹)


2025年3月13日、東京・両国国技館で開催されたWBA&WBCフライ級王座統一戦。戦前は、経験に勝る絶対王者――「拳四朗優勢」という声が多かった。しかし、いざ試合が始まると、幸先良く滑り出したのは意外にも、「僕は新米の世界チャンピオン」と話していた阿久井だった。

【写真】阿久井が打ち続けた「3分間104発」のパンチ

*  *  *

試合開始を告げる鐘が東京・両国国技館に響くと、リング中央へとにじり寄ったオーソドックス(右構え)の両者は、互いの左拳を軽く合わせた。

ともに左へサークリング。中間距離から攻撃のタイミングを探り合う。

ファーストヒットは、開始20秒――。

体勢を低くした阿久井の右ストレートが、拳四朗の腹にヒットした。阿久井は以後も左腕を小刻みに動かしてリズムを取り、いきなりの右ストレート、威力ある左リードジャブを仕掛け続ける。

前回のチャルンパク戦では攻撃が単調になり、勝利したものの自分のボクシングが出来ずに落ち込んだ。しかし、この日は、得意の右ストレートを軸に、状況に応じて高さや角度を変化させつつ、多彩なパンチを迷いなく打ち込んだ。阿久井――。

「技術的なことについては、『攻撃のリズムをわざと半拍、速めたり遅らせたりする』と意識しました。あとは、拳四朗さんの振り向きざまを右側から狙うこと。過去の試合もいろいろ見ましたが、一番参考になったのはカニサレス戦(2024年1月23日、WBA&WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ。2回にダウンを奪われた拳四朗は、3回に右カウンターでダウンを奪い返し、後半に巻き返して2対0の判定勝ち)ですね。カニサレス選手は、結果的には敗れましたが、ダウンを奪われても怯まずに攻め続けて互角に戦いました。『被弾覚悟でプレッシャーをかけ続ければ、勝機は見出せる、拳四朗さんのリズムを崩せる』と思いました。あの試合は、すごく参考になりました」

■100パーセントではなく、120パーセントの力をぶつける

上々の滑り出しを切った阿久井。ただし、それは明らかにペース配分を無視した無謀な戦法にも思えた。試合から1か月、倉敷・守安ジムで再会した阿久井に、初回の攻防について聞いた。

「おそらく加藤さんからは、初回から全力で行くことは見抜かれていた。どこかでスタミナが落ちて来て、いずれ拳四朗さんのペースになる――そう考えていたはずです。だったら『加藤さんの予想を覆してやろう』と思い、最終回まで全力で戦い切る体力を身に付けるために、持久力を爆発的に上げるトレーニング、『100パーセントではなく、120パーセントの力』を拳四朗さんにぶつける準備をしました」

平日は会社員として朝から夕方まで働く生活に終止符を打ち、プロデビュー以来、29歳にして初めてボクシングに専念出来る環境を整えた阿久井は、母校・環太平洋大学の施設で、人工環境制御下の低酸素トレーニングでスタミナを増進し、専属トレーナーの指導で筋力強化に取り組んだ。「ボクシングに専念出来る生活に切り替えた以上、結果を出さなければ」という思いはより強くなり、過呼吸になるほど自分を追い込み、練習中に何度もその場に倒れ込んだりもしたという。

阿久井は、それでも弱音を吐いたり、練習を休むことはなかった。むしろ集中してボクシングと向き合い、長年追いかけ続けて来た拳四朗を超えるために努力出来る毎日に、「プロボクサー」としてこれまで味わったことのないような充実感を覚えた。

1月末、体調不良となり、練習後の疲れも抜けない状態に陥った。心配した夢からは病院で診てもらうよう促されたが、

「体がぽかぽかするのは、たくさん練習したからじゃ。明日もいつも通り練習に行く」

と言って、話を聞こうとしなかったそうだ。それでも、明らかに普段と違う様子を察した妻の夢が執拗に受診を促すと、阿久井は渋々応じた。

診察結果はインフルエンザ。さすがにこの時ばかりは体を休めた。


世界王者同士の意地。互いに一歩も譲らない攻防。

拳四朗は、初回の攻防について、

「ユーリ選手の左のリードジャブが結構、見えにくく感じました。あとは落ち着かないというか、自分の体がフワフワと浮いているような気がしたんですけど、どうなんやろか」

と語った。

拳四朗が「フワフワ」と表現した初回について、間近で見守り指示を出していた加藤が補足する。

「初回はポイントが取れるかよりも、『不意打ちを食らわずに乗り切れたら合格』と考えていました。初回は相手も全力で来るし集中力もある。お互い、試合に向けて準備して来たものを、いわば『せーの』で同時に出し合うので、いきなりペースを握るのは難しい。拳四朗が前に出ると、ユーリ君も引かずに攻めてきた。"ブレずに攻め切る"という意志を感じた時に、ここで正面からぶつかるのか、一歩引いて無駄な被弾を避けるのか、判断が必要でした。

拳四朗は『迷い』ではなく『慎重な対応』を選んだ。それが"フワフワ"の正体だと思います。入り方としては集中力もあり、『悪くない』と思いました」

ジャッジ3人の採点は、初回が全員「10対9」で阿久井。続く2回も、阿久井は圧力を強めてワンツーで前進し、半拍の揺さぶりでペースをつかむ。

一方の拳四朗は、やや強引に右ジャブを隙間に差し込み、少ない打数でも回転力あるワンツーや右ボディを正確にヒット。要所でバックステップを使ってかわした。勢いは阿久井に見えたが、公式採点はいずれも「10対9で拳四朗」。見方が割れる接戦を、10ポイント・マストの「わずかでも優劣を付ける」というルールが数値化した格好だ。

3回、拳四朗はテンポ良く左リードジャブを突いてリズムを作り、隙間を見つけては右ストレートや右アッパーを打ち込んだ。

阿久井も引かない。1発打たれたら2発、2発打たれたら3発――必ず多くパンチを返した。それは、ダラキアン戦前に拳四朗と最後にした4回目のスパーリングで見せた姿と同じだった。

3回残り1分35秒。阿久井のカウンター右ストレートが拳四朗の顔面にクリーンヒット。続けざまのラッシュで、拳四朗は、この日初めて、ロープ際まで後退した。

それでも冷静にガードを固めてサークリング、ステップバックで距離感を整えると、ふたたび左リードジャブでリズムを取り戻す。「世界戦はこれで17試合目」という経験は伊達ではない、と示すような見事なさばきだった。

序盤戦の締めとなる4回――開始早々、拳四朗は、初めて阿久井より先に攻撃。左リードジャブ3連発から右アッパーでプレッシャーをかけ、その後も、やや強引に前へと出て攻撃をつなげた。しかし、拳四朗がペースを上げれば、阿久井も呼応してペースをさらに上げた。

ガード意識を保ちつつ、シンプルでも力強いワンツーで攻める阿久井。

生命線である左リードジャブを軸に、回転力のある左ストレート、左アッパーを交えて応戦する拳四朗。

根性試しの殴り合いとは違う、高度な技術がぶつかり合う両雄の戦いに、両国国技館は大歓声で沸き返った。

4回は、2人のジャッジが「10対9」で拳四朗。残る1人は阿久井に「10対9」。もし公開方式であれば、ここで1回目の採点が示された。合計は「39対37」と見るジャッジが1人、残る2人は「38対38」。僅差ながら、阿久井がわずかに主導した序盤だった。

序盤4回までの戦いを、拳四朗はこう振り返る。

「4回までは、ほんまに気を付けて『集中せな』という思いでした。特にユーリ選手の右ストレートは警戒しました。試合に懸ける覚悟はもちろん感じましたし、スパーリングをした時とは全然、違う感じでした。

ユーリ選手は想像以上に強くなっていました。まだ序盤なので焦りはありませんでした。『ポイントは取られているな』という意識はありましたが、公開採点ではなかったおかげで気持ちはブレず、『やるべきことを冷静に出来た』と思います」

事前のルールミーティングで公開採点の採否を決める際、阿久井陣営は公開方式が採用されると踏んでいた。しかし、拳四朗陣営の加藤が「非公開でお願いします」と強く主張。阿久井陣営も、とりわけ公開に固執していたわけではなかったため反対意見は出ず、「非公開方式」に決まった。

加藤が非公開にこだわった理由は2つ。ひとつは、途中採点を知ることで拳四朗、ひいては自分たちの戦略に僅かなブレが生じるのを避けるため。もうひとつは、8回終了時の2回目――最後の途中採点で拳四朗が劣勢だった場合、拳四朗以上に特別な思いを抱く阿久井に、"思いがけない力"を引き出してしまう危険があると心配したからだ。

もちろん途中経過が公開されようが、条件は互いに同じだが、加藤は、結果として影響が小さく見える事柄でも、少しでも有利と思える要素は取り入れ、不利になり得るものは徹底して排除した。しかし、どれほど綿密に準備をして最高の状態で挑んだとしても、想定外の出来事は起きる。

加藤は阿久井から、まさにそれを思い知らされた。

■阿久井が打ち続けた「3分間104発」のパンチ

5回。阿久井は拳四朗の左リードジャブを被弾しても怯(ひる)まず前進し、左リードから右ストレートのワンツー、ボディアッパーを織り交ぜて反撃に出た。初回から全力で動いているにもかかわらず、脚は止まらない。細かくリズムを刻み、左右のショートアッパーを鋭く放つ。

「5回からはこのままの勢いで崩せる」と踏んだ加藤の予想を覆し、それ以上の勢いで拳四朗に対抗した。

5回、阿久井は3分間の総数で拳四朗を初めて上回り、「104発」のパンチを放った(拳四朗は「90発」)。残り40秒を切ってからは被弾覚悟――"肉を切らせて骨を断つ"攻勢で拳四朗を後退させた。

幾度も修羅場を潜り抜けてきた参謀・加藤の「トレーナーとして負ける理由はひとつも作らない」という信念。その上をいく踏ん張りに、拳四朗は想定していた以上に苦戦を強いられた。

そんな中、拳四朗の肉体や体力面を冷静に分析し、持てる力を余すことなく発揮させるために尽力していたのが、フィジカル担当の篠原茂清だった。


■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左 
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右 
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。

取材・文・撮影/会津泰成

    ニュース設定