原材料費や光熱費などの高騰で経営苦に直面するラーメン店。その裏で、大資本による人気店の買収が相次ぎ、業界の勢力図が変わりつつある。
M&A成功の明暗を分けるのは何? ナショナルチェーンは生まれる? 最前線で取材を続ける識者に未来を占ってもらった!
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■1000円超えのラーメンが増えた理由
ここ数年人気ラーメン店の買収を進めてきた吉野家が、7月に初の麺メニュー「牛玉スタミナまぜそば」の提供をスタートし、いよいよラーメン業界に本格参入する構えを見せている。
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しかし、同業界に殴り込みをかけているのは吉野家HD(ホールディングス)だけではない。磯丸水産などで知られるクリエイト・レストランツ・HD(以下、クリレスHD)、カレーの壱番屋、丸亀製麺のトリドールHDといった他業態の大資本が、次々と人気ラーメン店を買収し、業界勢力図はまさに激変の様相を呈しているのだ。
いったい、ラーメン業界に何が起きているのか。20年以上にわたりラーメンを食べ歩き続けている、ラーメンライターの井手隊長に詳しく聞いた。
「ラーメンは今、すしと並ぶジャパニーズフードの代表格。国内だけでなく、海外展開も見据えたときに、これほど魅力的なコンテンツはありません。それが、大資本が次々とラーメン店を買収する理由でしょう。
しかし業界は今、人件費、原材料費、そして光熱費の高騰というトリプルパンチに見舞われているんです」
かつてラーメンには「1000円の壁」があるといわれていたが、今やその意味合いも大きく変わっているという。
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「昔は『ラーメン1杯で1000円は高い』という客と店、双方の心理的な壁でした。
しかし今は『1000円以上にしないと店が潰れる』という、存続を左右する壁に変わってしまったんです。しかも1000円に値上げしたところで、コスト高騰分をカバーし切れないのが実情です」
東京商工リサーチの調査では、2024年のラーメン店の倒産件数は過去最多を記録。客が入っていても人手不足を理由に閉店する店が後を絶たないという。そんな苦境だからこそ、買収が次々と成立しているのだ。
「知ってのとおりラーメン店は非常に競争が厳しく、大手であってもゼロから立ち上げて成功するのは非常に難しい。
そんなリスクを冒すよりも、すでに特定の地域で成功し、熱心なファンを持つ人気店を買収するほうがはるかに確実ですよね」
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■ラーメン店M&Aはなぜ増えたのか?
とはいえ、ある程度成功している人気店なら、すぐに閉店に追い込まれるほどの苦境ではないはず。それでも自分の店を大手に売り渡してしまうのはなぜか?
「そこには、成功したからこその切実な悩みがあるんです。
ほとんどの店主は、社長や経営者になりたくてお店を始めたわけではありません。ラーメンが好きで、『うまいラーメンが作りたい』という、その一心で店を始めた人ばかり。それが評判を呼び、弟子も育ち、2店舗、3店舗と拡大していくのは自然な流れですよね。
しかし5店舗くらいの規模になると、各店を回っているだけで一日が終わり、経営者としては麺1玉の価格が10円上がっただけでも悩みの種になります。もはや、"ラーメン店のオヤジ"ではいられなくなるんです。
そんな彼らにとって、経営や人材確保といった面倒事を引き受けてくれる大手からのM&Aの提案は、まさに渡りに船。『俺をラーメン作りに専念させてくれ!』というのが本音なんです」
もちろん、M&Aがすべてハッピーエンドを迎えるわけではない。買収された結果、今まで通っていたファンから「味が変わった」と言われ、客足が遠のくといった例も多い。
「店主が多額の売却益を手にさっさと引退してしまい、残されたブランドは味も魂も抜け殻になるパターンや、買い手側が利益を優先するあまり、コストカットで味を落とし、どこにでもあるチェーン店に成り下がってしまうパターンも確かにあります。
成功したM&Aでいうと、つけ麺ブームを牽引(けんいん)した『つけめんTETSU』があります。TETSUを運営していたYUNARIは、2014年にクリレスHDによって買収されています。
しかし買収された後も、TETSU創業者の小宮一哲(かずのり)氏がすぐにYUNARIを去ることはなく、味もブランドも維持されました」
結果、TETSUは現在も全国に23店舗を展開し、人気つけ麺店の座を確固たるものにしている。
「高田馬場の名店『らぁ麺やまぐち』も好例です。創業者の山口裕史氏は『俺はラーメンを作るのが好きで、ずっとラーメンを見ていたいんだ。エクセルの表を見て計算なんかしたくない』という方。
『焼きあご塩らー麺 たかはし』を運営するヒカリッチアソシエイツに買収された後も、山口氏はグループ全体の料理長に就任して腕を振るっています。
その結果、『やまぐち』の味もしっかり維持されていますし、『たかはし』の味もさらに上がったんです。職人の才能が失われず、客も安心して通い続けられる理想的なM&Aと言えるでしょう」
■松屋もラーメン業態をオープン
では、あらためてM&Aを進める各社の動きを振り返ってみよう。
まず、最も大きな動きを見せているのは冒頭でも紹介した吉野家HDだ。ラーメン界の重鎮「せたが屋」、京都府の人気店「キラメキノトリ」、さらに製麺・スープ製造の宝産業までも買収済みで、盤石の布陣をつくり上げてきた。
せたが屋創業者で"ミスターラーメン"こと前島司氏がグループに残っているため、ラーメンの味も保証されている。そんな吉野家が満を持して投入する麺メニューとなれば、誰もが期待を抱くのも当然だろう。
しかし、吉野家が提供を始めた「牛玉スタミナまぜそば」について、前島氏はSNSで、
「この商品の監修は私自身一切関わっておりません。同じグループとして試食くらいはさせてもらいたかった」
と吐露している。井手隊長も「せっかくそろえた最高のメンバーを生かしていないようで、やや不可解ではあります」と首をかしげる。
しかも、最近になって吉野家の本業においてのライバルともいえる松屋フーズがラーメン店「松太郎」や中華料理店「松軒中華食堂」を、「伝説のすた丼屋」のアントワークスは「伝説の肉そば屋」をオープンさせており、丼物チェーン店によるラーメン進出競争も激化している。
早くからラーメン進出に向けた手を打ってきた吉野家 HDとしては、なんとしてもリードを広げておきたいところだろう。
一方、着実に勢力を拡大しているのが、前出のクリレスHDだ。今年5月には埼玉県大宮・浦和エリアのつけ麺の雄「狼煙(のろし)」を買収した。
「クリレスHDは、すでにTETSUを傘下に収めていましたが、大宮・浦和エリアにおいては狼煙と争う道は選びませんでした。同エリアの強者である狼煙を仲間に引き入れ、グループとして共存共栄を図る戦略です」
クリレスHDと同様に、買い手側は特定のエリアで複数店舗を展開している人気店を買収するケースが多い。壱番屋は大阪市内を中心にラーメン店6店舗を運営するKOZOUを、トリドールHDは兵庫県姫路市発祥の「ずんどう屋」を傘下に収めている。
では、この買収戦争の果てに、全国的に展開する巨大ラーメンチェーンは誕生するのだろうか。井手隊長は「それはありえない」と断言する。
「ラーメンは、極めて地域性の濃い食べ物です。わかりやすい例があって、福岡で全国のおいしいラーメン屋が集まってブースを出すというイベントがあったのですが、結局、一番売れたのは地元の博多ラーメンだったんです。
同じラーメンといっても、共通しているのは器にスープと麺と具材が入っているという点だけなんですよ。なので、今後も各企業は個性の異なるブランドをさまざまな地域で展開する多ブランド展開を進めると思います」
ただし、このM&A戦争で笑う意外な存在がいると井手隊長は語る。
「それは、全国のラーメンファンです。ラーメン店が味を継承する方法は、弟子を育てるか、子供に継がせるか。これまでの個人店には、その2択しかありませんでした。
しかし、後継者不足は深刻で、弟子が独立してしまったとか、子供が継がないといった理由で閉店した名店は数知れません。ある日突然、店のシャッターに『閉店します』と書かれたチラシの裏紙が張られ、常連客が膝から崩れ落ちるという悲劇が日本中で起きているのです。
そう考えれば、志のある企業が味とブランドを継承するM&Aは、日本の食文化を守るための有効な手段とも言えるのです」
コスト高が促した業界再編。インフレは困ったものだが、巡り巡ってラーメン好きにとって思わぬ恩恵をもたらすかもしれない。
取材・文/伊藤将史 写真/時事通信社 iStock