「まだ有罪と決まったわけじゃないのに、なぜ辞めるのか?」
そう首をかしげた読者もいたのではないでしょうか。
9月1日、サントリーの新浪剛史前会長が突然の辞任を発表しました。発端は、海外から送付されたサプリメントに大麻成分THCが含まれていたとして警察が捜査を開始したこと。本人は「違法性の認識はなかった」としていますが、取締役会は「認識不足という行為そのものが会長職に堪えない」と判断しました。
捜査はまだ進行中。起訴も判決も下っていません。刑事法の原則でいえば「無罪推定」の段階です。それでもなぜ、経営トップは早々に職を退いたのでしょうか。
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●トヨタ、オリンパス 過去の事例に見る「疑惑段階での辞任」
こうした“疑惑段階でのトップ辞任”は今回が初めてではありません。他のグローバル企業も同じ状況に直面し、早期の決断を余儀なくされてきました。
トヨタ・ジュリー・ハンプ氏の辞任(2015年)
2015年、トヨタ自動車の常務役員ジュリー・ハンプ氏が、日本の麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いで逮捕されました。容疑は、米国で合法的に処方された鎮痛薬オキシコドンを日本に国際郵便で送付したというもの。米国では処方箋があれば合法ですが、日本では厳格に規制されており、許可なく輸入すれば違法となります。
逮捕直後、トヨタは彼女を擁護する姿勢を示しましたが、捜査の進展に伴い辞任を決断。最終的に不起訴となりましたが、事件はトヨタの多様性推進に冷水を浴びせ、グローバル企業の人事リスクを浮き彫りにしました。
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オリンパス・カウフマンCEOの解任(2024年)
2024年、オリンパスのステファン・カウフマンCEOが米国で違法薬物を購入したとの疑いが浮上しました。取締役会は外部調査を経て、刑事責任が確定する前に解任を決定。株価は一時下落しましたが、会社は「行動規範違反」として即時の対応を選びました。
在任わずか1年半での退任は異例でしたが、「疑惑を抱えたトップを据え置くより、速やかな交代のほうが信頼維持につながる」という判断が優先されたのです。
サントリー新浪前会長の辞任(2025年)
今回のサントリーのケースも、同じ構図の中にあります。特に健康食品を主力事業に持つサントリーにとって、消費者の信頼は命綱です。「疑惑を抱えたままの会長」という状況自体が、事業の根幹を揺るがしかねない。だからこそ、捜査段階であっても辞任を受け入れる判断となったと考えられます。
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●沈黙か、拙速か──企業が迫られる2つのリスク
危機対応の現場では、いつも2つのリスクが背中合わせです。ひとつは「沈黙のリスク」。何も言わなければ、「隠している」と受け止められ、憶測やデマが拡散します。
もうひとつは「フライング発表のリスク」。不確かなまま発表すれば、後に訂正や謝罪を繰り返すことになり、かえって信頼を損ないます。危機発生時の情報発信タイミングについては、沈黙を貫くことのリスクと、逆に不確かなうちにフライング気味に発表してしまうリスクの双方を検討する必要があります。
だからこそ必要なのは、スピードと透明性を両立すること。有事コミュニケーションに必要な原則として知られる「3S」、つまり Speed(速さ)、Sincerity(誠実さ)、Specificity(具体性) がここで効いてきます。
今回サントリーが外部弁護士による短期間の聴取を経て、迅速に辞任という形でけじめを示したのは、この原則に沿った判断といえるでしょう。
加えて、新浪氏自身が9月3日に経済同友会の会見を開き、自らの言葉で説明したことも見逃せません。購入の経緯や認識、辞任の理由を率直に語った姿は、動揺が広がるなかで一定の安心感をもたらしました。
●名誉回復と“次の一歩”をどう描くか
後日談ですが、辞任したジュリー・ハンプ氏は2022年にトヨタのアドバイザーとして復帰しました。事件は「文化や法規制の違いによる誤解」と整理され、トヨタにとってはグローバル経営を進める上での大きな教訓になりました。企業が人材を切り捨てるのではなく、経験を学びとして次に生かした好例といえるでしょう。
人は誰しもミスをします。一度の失敗で終わりにするのではなく、それを糧にして成長へとつなげていく。そんな循環がある社会であってほしい、と私は思います。
今回の辞任は「有罪を認めた」という意味ではなく、あくまで「社会との信頼を守るための措置」でした。
だからこそ、その後をどう設計するかが課題になります。例えば、違法性が否定された場合に事実関係をあらためて公表する、あるいは社外で再び活躍の場を用意する。こうした仕組みがあるだけで、企業は「切り捨てる組織」ではなく「次につなげる組織」として評価されるでしょう。
もちろん、他社の事例を手掛かりにするのは有益です。ただ一方で、それだけでは「再び立ち上がる道筋」までは見えにくい。少し先を見据えて、本人も組織もどうすれば回復できるのかを議論しておく――そんな発想があると、企業はよりしなやかに危機を乗り越えられるのではないでしょうか。
今回のサントリーのケースは、危機をどう受け止め、どのように未来につなげるのかを考えるうえで、多くの示唆を与えてくれています。
●著者紹介:大杉春子(おおすぎ・はるこ)
レイザー代表取締役/RCIJ代表理事。コミュニケーション戦略アドバイザーとしてPR戦略の企画から危機管理広報まで、企業・行政のブランド価値向上を包括的に支援。日本において唯一、コミュニケーション戦略におけるリスク管理に特化したカリキュラムを展開する日本リスクコミュニケーション協会(RCIJ)を2020年に設立。上場企業や防衛省での豊富な実績を持つ。
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