
ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第12回 平野佳寿(オリックス)
プロ20年目の今季、NPB史上4人目の通算250セーブを達成するなど、長きにわたり球界を代表するクローザーとして活躍しているオリックス・平野佳寿。大学時代は先発として次々とリーグ記録を更新する「絶対的エース」として君臨していた。
【ほろ苦い甲子園デビュー】
あの頃の平野は、マウンドへ上がれば先発完投は当たり前、頼りになる絶対的エースだった。
京都産業大時代の平野は、1年秋に初勝利を挙げて以降、好不調の波も小さく、リーグ戦通算36勝。打線の援護なく敗れる試合もあり11敗を喫したが、通算防御率1.33と驚異的な数字を残した。また、4年間で奪った404三振は、36勝とともに今も残る関西六大学リーグ記録である。
大学時代の平野は何試合も観戦したが、打ち込まれる場面を見た記憶がない。それもそのはずで、4年間でノックアウトされた試合は2年春の大商大戦の1試合のみだという。
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そんな平野について、当時書いたある原稿のなかで「ミスターコンスタント」と評したことがあるが、その言葉どおり無類の安定感が光る本格派だった。
いったい、この安定感はどのようにして生まれるのか。興味を持ち、本人に話を聞くと、すぐにその理由がわかった。平野から返ってくる言葉には、高い確率で"コンディション"に関するワードが入っていたからだ。それだけ繰り返すということは、常にコンディションを意識してプレーしていた証拠だろう。コンスタントの肝は「これだ!」と確信したものだ。
小学校時代は、4年時がショート、5年でキャッチャーとなり、6年でサード。巨人ファンで「ミスター完投」と呼ばれた斎藤雅樹に憧れていたが、本格的にピッチャーになったのは中学に進んでから。しかも本人の希望ではなく、指導者の勧めによるものだった。
中学2年秋の新人戦からエースとなったが、常に地区レベルの大会で敗れ「中学時代は最後まで全然目立っていませんでした」と、振り返った。ただ中学時代の最大の変化は、入学時に150センチを少し超えた程度だった身長が、卒業時には178センチまで伸びたことだ。
その部分では目立つ中学生となり、高校は公立の伝統校・鳥羽に進学。するとチームは2年春、3年春と選抜大会に出場。平野も2ケタの背番号ながらともにベンチ入りを果たし、唯一の甲子園登板となった2年春の準決勝では、この大会優勝の東海大相模(神奈川)相手に3回1/3を投げて9失点(自責点7)。甲子園デビューはほろ苦いものとなった。
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高校最後の夏も京都府大会準決勝で敗退。脚光を浴びることなく、平野の高校生活は終わった。じつは、高校時代の平野は腰痛など体の不調を抱えた時期が長く、これがコンディションへの意識が高まるきっかけとなった。
【理想の投球フォームが完成】
さらに、高校卒業後に進んだ京都産業大の野球部もコンディションを重視するチームで、ここから平野の素質が一気に開花した。京都産業大の勝村法彦監督(当時)はコンディション重視の指導について、こんな話をしていた。
「大学に進んできた選手は高校まで一生懸命野球に取り組んできたあまり、体のバランスを崩したり、筋肉が硬くなってしまったりするケースが多い。そこを本来の形に整えてあげるだけで、投げるボールやスイングスピードが違ってくる。プレーのレベルを上げるためにも、体を整えることが大事なんです」
当時、選手たちはトレーナーの指導に従い、1〜2週間に1回の割合で各部位の簡単な動作確認を行なっていた。複数人で柔軟度をチェックし、普段より筋肉が硬くなっているとわかれば、体をほぐす。確認、対処の習慣づけを行なうことで、故障防止はもちろん、プレーのレベルアップにつなげていった。
こうした地道な取り組みの成果もあって体が整うと、加えて投球フォームの修正にも着手した。
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入部当時の平野の投球フォームには、踏み出した左足のヒザの割れと、投げにいく時に腰が落ちるという2つの欠点があった。ただ、直接そこに手を加えることはせず、体全体のバランスを整えることで欠点が自然と修正され、4年時には勝村監督が「教科書に載せたい」という理想の投球フォームが完成した。
高校時代に最速130キロ台だったストレートは、コンスタントに140キロ台中盤をマーク。しっかりヒジが上がり、高いリリースポイントから右バッターのアウトローへ決まるストレートに磨きがかかり、関西ナンバーワンの評価は揺るぎないものになっていった。
【マウンドでしっかりと立つ】
そして平野がコンディションの話をするなかでよく語っていたのが姿勢についてだ。
「立っている姿勢が悪いと投球にも影響します。少しの体のズレで肩の開きが早くなったり、腕が遅れて出てきたり......。体が少し反れるだけでも違和感があるので、そんな時は前屈したりして姿勢よく立てるように整えます。調子が悪いと感じた時は、フォームどうこうより、真っすぐ立てているかを最優先に考えます」
試合中に正しい姿勢を保つためのチェックポイントを教えてくれたこともあった。
「投球の合間にマウンドからセンターポールを見ます。ポールを体の中に入れるイメージをつくって、姿勢を真っすぐにして、体を整えます」
マウンドでしっかりと真っすぐ立つ。その意識だけはプロの世界に進んでも、海の向こうに渡っても変わらなかった。
大学4年のドラフト前、平野はまもなく入るプロの世界について、こんなことを語っていた。
「ローテーションを1年間守っていける投手になること。そのためにもコンディションが大事。上へ行けば行くほど、自分の体を知っている人が伸びると思いますから」
働き場所は先発からリリーフに変わったが、大きな故障もなく投げる平野の姿を見るたび、あらためてコンディショニングの大切さを痛感させられる。
来季の去就についてまだ明言していないが、少しでも長く、美しい立ち姿から放たれる平野の渾身の一球を堪能したい。